「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年05月21日

オバマ中東演説

下記のようなのが「非常にまずいアレに似てない」?って回ってきた。


ともあれ、オバマの19日の演説:
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2011/05/19/remarks-president-middle-east-and-north-africa


ともあれ、いつも通りの展開なのにやたらハイプされているのが意味わかんないけど(米国が「自重を」的なことを言い、イスラエルが理屈や屁理屈で反発するのは、トムとジェリーの展開なみに「お約束」だ)、考えてみればハイプされていたのは演説が行われる前からだった(ただし個人的に、アイルランドに関心のほぼ100パーセントを注いでいたのでよく知らん)オバマの中東演説、リアルタイムで聞くのが一番時間の無駄がないだろうと思ってトライしたのだが、アイルランドでのあの、あまりにすばらしい国家元首2人のスピーチのあとでは聞いていられなくて、10分もしないうちに離脱した。

バラク・オバマという人は、ビル・クリントン以上に「米国内向け」のことしか語れない人で、米国内についての演説は上手なのに、「国際」となるとまったくダメ。「米国の」大統領だからそれでいいんだけど、問題は、それでいて「米国の大統領」は「世界のために」発言することが期待されており、本人もそうするのが当然と思ってること。逆にブッシュくらい過剰で異常な使命感にかきたてられたデタラメを展開してくれていればツッコミどころもあるのだが、バラク・オバマは単に退屈。あれならヒラリー・クリントンが民主党の大統領候補になろうとして「あたくしがいなければ北アイルランド和平はなかった」とか「あたくしと夫はサラエヴォの空港でスナイパーに撃たれそうになった」とかいう大袈裟な話をしているのを聞いてたほうがまだおもしろい。

しかもその、中身のない単に退屈なものを「何かすごいもの」に見せようと必死にスピンをかけるので、ダダすべりの「メディア・サーカス」が展開されているという空虚さ。

少しはメアリー・マッカリース(アイルランド共和国大統領)やメアリー・ロビンソン(同元大統領)を見習えばいいのに。マッカリースはすごいよ、敵方の武装勢力(UDA)の親分とツーカーの仲になって「和平プロセス」を側面支援したばかりか(そういうことは首相にはできない)、女王がおわす場にその武装勢力リーダーを列席させたんだから。(その武装勢力リーダーは「政治目的のための武力」をいまや完全に否定している。UDAにはいろいろと信じられないところも多くあるけれど、その武力否定だけは信じていいと思う。)

「テロ組織とは話をしない」という連中は、本気で「和平」を考えているのなら、アイルランドのそういうしたたかさというお手本を無視するのはなぜかなあ、と思う。

暗殺作戦をするときの偽造パスポートとしてはアイルランドを利用していたくせに。

※この記事は

2011年05月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 05:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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