「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年05月20日

Was: unthinkable, NOW: NORM 前は考えられなかったことが、今は普通に起きている。

やはり、ちょっと、考えられなかったことが次々と、まとめて起きていて圧倒されていて、精神的にアウトプットができない状態にあるので、ある程度まとまったエントリにするには時間がかかる。というか、今、非常に苦しい。自分にとって、ただ消費するような「日々のニュース」ではないことが複数、同時進行していて、消化する時間もないのに、さらに次々に展開する。それが、「いちいち全部見ててもしょうがないな」ということ(例えば2002年のNI議会のサスペンドまでのあれこれのような、単なる「途中経過」のようなもの)ではなく、「結論」的なものが生じたあと、少し遡りましょう、というような解説を読む必要があったりするから、詰め込むだけで消化もできなければアウトプットもできていない。

そこにきて、Oh, spare me! としか言いようのないことが複数。もう私は関係ありませんので、的な結論になったはいいが、それまでの労力はいったい何、と。それも要するに誰かのstupidityから生じたことで、ていうか最初に提示された条件は何だったのかなど、とにかく、徒労感特盛というか、まあいい。

ともあれ、unthinkableが続発しているのだけど、その最新のもの。


( ゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシ
 
(;゚д゚) ・・・

FitzGerald was 'decent man' - Paisley
http://www.u.tv/News/FitzGerald-was-decent-man-Paisley/62d35780-5893-40ff-8657-8696ebdb038a

5月初めに体調を崩していることが報じられ、19日、英国の女王がダブリン城でのステート・ディナーで考えられないほど踏み込んだスピーチをした翌日、訃報が報じられたアイルランド共和国元首相、ギャレット・フィッツジェラルドについてのイアン・ペイズリーの言葉だ。

フィッツジェラルド(とマーガレット・サッチャー)の推し進めた「北アイルランド和平」への取り組み、すなわち、英国だけではなくアイルランド共和国も一緒に、「問題」に取り組むという基本合意(アングロ・アイリッシュ合意 Anglo-Irish Agreement)は、後のグッドフライデー合意の前提となるのだが、サッチャーの保守党は党内の強硬派が猛烈に反対していた。その反対の背後にあったのが、「アルスター」のユニオニスト――「アイルランド人」を見下していた、というか、数の力としての「アイルランド人」の人口を恐れていた人々――の反対だった。当時、ペイズリーのDUPという政党はマージナルな存在だったけれど、マージナルであるがゆえ、より強硬な姿勢で「アイルランド共和国に、北アイルランドについての発言権を与えること」に反対した。2007年の態度軟化までの40年近くにわたって「ペイズリーといえば」として参照されてきた "Never, never, never" の演説は、このアングロ・アイリッシュ合意に反対する集会でのものだ。(サッチャーはそれを乗り越えて合意を実現させた。それはそれとして正当に評価されるべき。)

そのペイズリーが、フィッツジェラルドについて、decent manと述べている、というのがUTVのヘッドライン。ま、記事を読めば「タイトルは釣り」ってのが一目瞭然なのだけど。
"I thought, in his own way, he was a decent man," Mr Paisley told UTV.

"But I didn't like what he did on the majority unionist population. Going behind our backs and entering into an agreement with the British Government."

...

"I don't think it was a milestone on the road to peace," Mr Paisley disagreed. "I think it was a milestone on the road to put their boot on the necks of the unionist people of Northern Ireland."


で、ペイズリーのコメントの次の段が、アダムズの女王のスピーチについての発言だ。

Queen's speech 'genuine' - Adams
http://www.u.tv/News/Queens-speech-genuine-Adams/b2fac348-0da8-49d4-a68a-8f56c789cb1f

これは、出てすぐにシン・フェインのサイトで読んで、もう何というか、感涙としか言いようのない状態に。

そんなに長くないし、シン・フェインの英文にしては驚くほど読みやすいのでどうぞ。
http://www.sinnfein.ie/contents/20686

※この記事は

2011年05月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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