◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年05月16日

63度目のナクバの日に、結局何人が殺されたのかも把握できてない。

5月15日=ナクバの日(→写真集:モノクロだけど、かなり凄惨なものもあるのでその点ご注意を。頭を割られた子供など)。今年は「帰還権の日」と再定義しようという人たちもいたが、Twitterでは #nakba だった。

で、日本時間で15日の夕方(現地お昼前)、オンラインになってTwitterを見てみたら既にいろいろ起きかけていた。それも1箇所ではなく何箇所でも同時多発だから、何が何やら、という感じだった。

エントリ書ける状態ではないので、とにかくまとめた現地からのTweetsを。

Page 1:
#Israel army fired on #Nakba Day protests #Palestine #pror
http://chirpstory.com/li/1446

Page 2:
#Nakba Day protests turned deadly #palestine (page 2)
http://chirpstory.com/li/1448

Page 3:
#Nakba Day protests in Cairo, #Egypt #palestine (page 3)
http://chirpstory.com/li/1450

Page 4:
Tweeps arrested: #Nakba Day protest in Cairo, #Egypt (page 4)
http://chirpstory.com/li/1452

15日のフラッシュ・ポイントは、最初はガザ地区のベイトハヌーン(エレズ検問所)と西岸地区のカランディヤ(ラマラ近く)だった。実際、この地点のほかに、ラファとか東エルサレムとかヘブロンとかも予想していたのだけれど、「イスラエル軍の攻撃」での流血があったのは「パレスチナ自治区」ではこの2箇所。

ただしベイトハヌーンでは銃撃だけではなく砲撃があった。カランディヤでは人が倒れるほどの催涙ガス攻撃(イスラエルの催涙ガスは、USのとは成分が違うらしい)があったが、それはいつものことだ。(悲しいことに)

問題はパレスチナ自治区の外。毎年「帰還」を誓う日なのだけど、今年はゴラン高原(シリアだが、イスラエル軍に占領されている)とレバノンで、「難民たち」による「越境」が行われ、イスラエル軍の発砲で何人もが殺され、負傷させられた。レバノンでは「越境」する前の段階で銃撃があったそうだし、ゴラン高原は占領されている状態だ。

その人数が、はっきりとはわからない状態なのだが、死者は10人から15人(日本語圏では「12人」とする例が多いようだ)、負傷者は100人を軽く超えている(催涙ガスを吸い込んで病院で手当てを受けている人が多いようだが)。

  ▲ここまでが上記のpages 1 & 2. ▲

  ▼ここからが上記のpages 3 & 4. ▼

で、現地が夜になり、それらが一通り落ち着いたときに発火したのが、とっくに夜になっていたエジプトだった。

先週、「カイロからバスを仕立ててラファに行くツアー」などが計画されていたが、結局土壇場で軍が(ええ、軍が)許可を出さず、大人数でラファに行くことはできなくなったエジプトでは、「それでもラファには行こう」という少な目の人数がラファに向かい、15日は昼間にラファ国境で通せ・通さないの悶着があり(ただし暴力的にはならず)、わずかな人数が隙を見て国境を越えたらしいがほとんどは国境で諦めて引き返してきた。

一方で首都カイロでは、最近いろいろきなくさいことが続いている「コプトとムスリム」でのデモがあった。1月の革命のときのような、「コプトとムスリムは一体」の意思表示。これはパレスチナとは関係ない。(しばらく続いている。)

同時に、カイロのイスラエル大使館でパレスチナ支持デモがあった。で、この大使館前デモで、人々の一部が大使館に入ろうとしたとかいうのがきっかけで催涙ガス投入。すっかり鍛えられているカイロの人々がそれで引くはずもなく、エスカレートしてゴム皮膜弾など発砲→実弾発砲、となったらしい。

そこらへん、ツイートのまとめを読んでください。なんかもう、追ってるだけで疲れた。

エジプトは、国際司法裁判所判事としてイスラエルが建設中だった「分離壁」を「違法」であると判断した法律家の1人であるナビル・アル=アラビという人が、革命後に外務大臣になって、その文脈で先日の「ファタハとハマスの和解」なども実現したということなのだけれども(もちろんそれが唯一の要因ではない)、この人が15日に突然、アラブ連盟の事務総長の候補にされてしまい、その日のうちに事務総長に選出されてしまって(カタールの動きが怪しいのなんの)、閣僚の座を去らなければならなくなってしまった。

アラブ連盟なんてお飾りの組織(今はGCCのほうが強大)のトップより、エジプト外相のほうが権限もできることも大きいんじゃないの、というのが私がフォローしてるジャーナリストやエジプト人の多くの意見なのだが、そして実際にそうだと思うのだが、「イスラエル諜報が30分だけカイロに立ち寄って…」という話(←アルジャジーラ英語版のアダム情報。Chirpstoryにまとめたものに入ってる)とかあるしね。。。

とにかく、カイロで別に暴れてたわけでもないのに逮捕された人たちを解放してほしい。Twitterで実況中継してくれてたフォトグラファー&学生さんや、携帯でライヴ映像中継(Ustみたいなの)をしてくれてた人道支援活動家&IT業界の人は、本当に逮捕されるようなことは何もしてない。



最初、ベイトハヌーンで発砲と砲撃があったときのBBCのトップページ。(このIMF専務理事の話、もううんざりです。英語圏はそればっかり)



話が「パレスチナ」だけではすまなくなったあと:


ガーディアンのライヴを見ると、どの程度情報が錯綜してたかもわかると思う。
http://www.guardian.co.uk/world/middle-east-live/2011/may/15/syria-libya-middle-east-unrest-live

※この記事は

2011年05月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:01 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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