「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年05月09日

被災地の医療スタッフさんの手記が英訳され、ガーディアンで紹介されている。

3月下旬。近所の道を歩いては、いつまでも寒いから今年の桜は遅いなと思っていたころ――確か、AERAの表紙(顔面を覆うマスクの人に「放射能が来る」の文字)が「過剰にセンセーショナルだ」、「ほとんど明確な根拠なく不安を煽っている」、「風評被害の助長だ」とかいう空騒ぎが落ち着いて、TEPCOが「先ほど発表した数値は間違いでした」とかいうことを繰り返して英語圏から「ただでさえ情報が少なくてやきもきしてるのに、何をやっているんだ」という呆れた声が聞こえてきては、「あああうううう」と思っていたころだ。

はてなブックマークで非常に多くのブクマを集めていたブログがある(私が読み終えてブクマしたときには、ブクマ数はとっくに1000件を超えていたと記憶しているが、現在は2000件を超えている)。"JKTS" というブログで、3月11日の震災で大きな被害を受けた地域に、勤め先の病院が組織した災害対策支援医療チームの一員として派遣された看護師さんの手記である。

記事一覧:
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/arcv

それから10日か2週間くらいのうちに、このブログが、@anontransさんという方によって英訳され、アップロードされた(自分のログを確認すると4月13日のようだ)。
http://jkts-english.blogspot.com/

今日5月9日の昼ごろ、ガーディアンのトップページをチェックしたら、このブログが大きく紹介されていた。記事を書いたのはジャスティン・マカリー記者。



'Do not cry': a nurse's blog brings comfort to Japan's tsunami survivors
Justin McCurry
guardian.co.uk, Sunday 8 May 2011 20.29 BST
http://www.guardian.co.uk/world/2011/may/08/japan-tsunami-nurse-blog-comfort-survivors

ブログを書いた看護師さんが――お名前がハンドルでさえわからないので、以降、ブログのURLから「flower-wingさん」と呼ばせていただくが、彼女が派遣されたのは、岩手県の陸前高田だった。

陸前高田は、東北地方には特に縁のない私でも知っているような有名な地名で聞けばすぐに「だいたいあのへん」ということがわかる場所だ。この町の被災は日本でももちろん大きく報道されているが、英語圏のメディアも数多く入っていた。例えばウォール・ストリート・ジャーナルの市長さんのインタビュー(4月12日)(←日本語訳にリンク)は本当にすばらしい仕事だ。

被災直後の取材、3月14日付でYouTubeにアップされたアルジャジーラの取材:


今回、ガーディアンの記事を書いたマカリー記者も前に陸前高田を取材している。日経BPの記事なども大きな話題となったお醤油の「八木澤商店」の取材だ(4月18日付)。記事は英語だが、インタビュー映像は日本語に英語字幕なので、「英語だとちょっと」という人もぜひ。7分くらい。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/apr/18/soy-sauce-japan-determination-tsunami

マカリー記者はflower-wingさんのブログについての記事を、次のように書き始めている。
3月に津波が発生した直後に日本の東北に向かった支援スタッフでも、そこに待ち受ける光景について想像していた人はあまりいないだろう。

東北地方の沿岸部を広く破壊しつくした波が引いて何日もの間、暖房も水道も断たれた病院の廊下は診察を受ける患者であふれ、医師たちはあの壁となって押し寄せた泥水によって必須の薬品が流されてしまったことを把握しながらも、何千人という患者を診察した。そして物資が届くのを待ちながら、津波を生き抜いた高齢の患者たちが低体温症にたおれるのを、なす術もなく見ているしかなかった。

支援スタッフは、現地に到着するや、戦場と言われても違和感のないような破壊の光景を目にすることになった。しかもこの悲劇が起きているのは世界で最も裕福な国のひとつにおいて、それもネオン輝き豊かさを謳歌する首都、東京から200マイルも離れていない場所でのことなのだ。

支援スタッフの1人、東京から派遣された緊急医療チームに加わっていた看護師が、自身の経験について、ブログに書いている。津波で被災しながら生き延びた数万人の人々が、どのような痛手を受けているか、このブログはその点について最も詳細に書かれた文章のひとつである。匿名の翻訳者の尽力で、この看護師のブログが一字一句もらさず、英語で読めるようになっている。

このブログは、日本のメインストリームのメディアではほとんど言及されていないが、ネット上では数千というコメントが書かれている。そのほとんどが、避難した人々や、ブログ主と同じく支援活動をしている人々、また彼女の言葉に励まされた人々からの感謝のメッセージだ。ブログ主のもとには書籍化の提案やインタビューの申し込みもあったが、彼女はそれらを断り、名前も出さずにいる。自宅で彼女のブログを英訳した翻訳者も、その点は同じだ。

マカリー記者はこのあと、flower-wingさんのブログの抜粋を紹介し、このブログに書かれているのは、「高齢者の被災」と「家や家族を失った子供たち」という今回最も心の痛む「被災」についての、ファーストハンドでの目撃である、と述べた上で、「先週発表された警察の数値によると、身元の確認された11,000人強の犠牲者のうち3分の2が60歳以上であり、その9割の死因が溺死である」と説明し、超高齢社会である日本の中でも東北地方は高齢者の比率が高い(「64歳以上が人口の3分の1近くを占める」)ことにも言及している。(これはおそらくイングランドでもそう大きくは違わないという地域があるはずだ。)

そして、双葉病院での「患者置き去り」の件(下記報道@毎日新聞、2011年4月26日 東京朝刊)にも言及。


そして、子供たちの被災について、「正確な数値はまだ出ていないが、両親ともに失った子供たちは公式の数値で既に100人を超えている。祖母に引き取られた4歳の女児もいれば、ダンスの先生のもとに身を寄せている10代のきょうだいもいる」といった説明の後、flower-wingさんのブログで最も胸に迫る章のひとつ、「瑠奈チャン」の紹介。それから、「熱と食欲不振で受診した男の子」との「ドラえもん」の話

それから、「この先、医療は」という点の検討(長期的視野で見たときに必要なこと、精神面のケア)に入り、TIMEの「最も影響力のある100人」に選ばれた南三陸の医師、菅野武さんにも触れつつ、岩手県山田町でボランティア活動をしている医師、Toru Hosadaさんによる「(とりあえず今どうするかが優先された)これまでは、実際にどんなことが起きたのかは見ないようにしていたにせよ、これからそれらを直視せざるを得なくなる」との指摘を紹介している。

そして最後に、読者の反応(たぶんflower-wingさんのブログのコメント欄から選んだもの)を少し紹介し、flower-wingさんの手記の最後の章、「14.From TOKYO」から抜粋した次の一節の英訳で締めくくられている。
本当に大変なのはこれからです。

だんだんテレビやマスコミも震災のニュースが減っていき、みんなの脳裏から薄れていくに従って被災地の今後の課題や病人や悲しみは増えていくと思います。

被災していない人たちが自分たちは明るく頑張ろうって元の生活にどんどんしていくのは良いことだけど3月11日のことは決して忘れてはいけないのです。


なお、記事タイトルの "Do not cry" は、flower-wingさんのブログの第1回記事「被災地へ」にある、支援チームのリーダーからの言葉から取られている。
『想像以上に現場は壮絶。甘い考えやボランティア精神の人はここでリタイアしてください。

現場ではどんな状況下においても絶対に泣かないこと。

私達は同情しに行くんじゃない。看護、医療を提供しに行く。あなたたちが泣きたい気持ちなんかより現地の方々はどんなに泣きたいか。こんなに裕福な東京医療チームの涙なんて現地の人には迷惑や嫌味だからね』

英訳では
"The situation over there is beyond your worst imagination. If any of you have signed up with optimistic outlooks or from the spirit of volunteerism, please leave the team now.

No matter what happens at the site, DO NOT CRY.

We are not going there to express our sympathy. We are going there to provide nursing and medical care. If you think YOU want to cry, think about how much the people there want to cry.The tears of a rich medical team from Tokyo will only be bothersome or even insulting to them."


ガーディアン記事にはコメント欄があって、そこに読者の感想がいくつも投稿されている。いくつか。
chrismhale
8 May 2011 9:28PM

Very moving article about a remarkable person in an unimaginable situation. How sad it is that this ongoing tragedy has dropped out of our media's sight, to be replaced by the usual diet of celebrity trash and political bickering.
想像も及ばぬ状況の中のすばらしい人について、とても心にしみる記事でした。悲劇はまだ続いているというのに、こちらのメディアといえば例によって芸能ネタやら政局やらで通常運転、まったく残念です。

rowingrob
9 May 2011 12:38AM

In a cynical world it's inspiring to read about someone simply trying to do good.
冷笑に満ちたこんな世の中で、単によいことをしようとしている人のことを読むと、前向きな気持ちになれる。

MadameDotty
9 May 2011 12:53AM

... This story, this blog, is a huge drop of humanity in the sea of indifference and pointless killing and harming we inhabit.
I am humbled by the nurse's and the translator's humility and am moved by their totally selfless motives. It made me cry to think there are still people like that out there.
I too wish Doraemon was real and could use his magic powers to erase some of the suffering in Japan. It was a healing article to read. Thank you, Justin.

この記事、看護師さんのブログは、無関心と意味のない殺人や襲撃にあふれたこの海に落とされた、人間性の大きな一滴です。看護師さんと翻訳者さんの謙虚さに頭が下がります。完全に利己心のない動機に胸を打たれます。このような人がまだ存在するということに涙が出そうです。ドラえもんが実在して、その魔法の力であの苦難のいくらかを消してくれればいいのにと思います。この記事は読んで癒しを得られる記事でした。ありがとう、ジャスティンさん。

aussiejen
9 May 2011 5:16AM

Where news tends to be dominated by people who do BAD, it is inspiring to read of people who do good, even in the face of great hardships and pain to themselves. Many of us hold back from doing any voluntary work for fear of that involvement and pain she describes so well, so I hail her courage.
ニュースというものは「悪い」ことをした話ばかりになりがちなものですが、とてつもない苦難と自身の痛みに直面してもよいことをしている人のことを読むと、背筋が伸びる重いです。ほとんどの人が、この看護師さんが非常に雄弁に語っている苦痛を恐れて、ボランティア活動には二の足を踏んでしまいます。彼女の勇気を讃えます。

zaphia
9 May 2011 12:00PM

I could not finish reading this article as I started crying mid way.
Quite unexpectedly.
God bless these silent workers.
この記事、最後まで読めていません。途中で泣き出してしまいました。まったく思いもかけずに涙が。彼女たちのように何も言わず作業に当たる人々に幸いあれ。

このほか、「原発の話なんかどうでもいいから、震災の話をもっと」的なコメントもあるが(何か今日、こんなのあったんだよね、英国は)、それらは個別ばらばらなことではないということ、それを伝えていくのがうちらの次の課題だね。がんばりましょう。

手記がこうして英語圏の大手メディアに伝えられ、多くの人に読まれているということが、flower-wingさんやそのご友人のみなさん、陸前高田の医療関係者のみなさん、被災者のみなさんに伝わることを祈りつつ。



ところで、1995年の阪神大震災のときも現地の人の話を聞いてはじめて「言われてみればそうなりますよね、当然」と思ったことがあるが、「外」にいる限りは想像もしていないようなことが現場では起きている。例えば停電したらPOSレジが使えなくなってしまうというのは、私は阪神大震災で気づかされたことだが、今回は停電でガソリンスタンドが機能停止してしまう(給油の設備が電動だから)ことを聞かされた(自分が車に乗らないのでそういうことにはとてもうとい)。写真家の冨田きよむさんのフォトログ&ツイッターでのやり取りでは、防波堤(木っ端みじんになった)は、津波には押し寄せる波だけではなく建物の破片などをたくさん含んだ引き波があり、その威力がハンパないということを知らされた。

一方、地震による被害はないも同然で、電気・ガス・水道もまったく影響を受けなかった東京の私の地域でも、ガソリン不足の影響は受けた(それが「海外メディア」と呼ばれるくだらないタブロイド類などで「東京にとってはこの世の終わり」のように書きたてられているらしいということも、少しは見たが、自分が普段読んでるようなメディアではそういうバカ騒ぎはなかった)。

おやじさんが自分で運転して市場から仕入れてくる八百屋さんはいつもと同じだったけど(しかもほうれん草激安w)、トイレット・ペーパーやティッシュ・ペーパーは店頭から消え、食パンやカップラーメンがレアものになり、駅前の食料品中心の100円ショップの中は洗剤や文具のコーナーを除いてほぼがらんどうで、棚には七味唐辛子やケチャップのようなものしか残っていない状態になっていた。コンビニもいろいろ売り切れたままになっていた。もちろん「節電」による商店の早仕舞いもあり、夜遅くまでやってる近所のスーパーは6時とか7時に閉店していた。何も「被害」はなくても、こんなふうな影響が出るものなんだ、というのは発見だった。阪神大震災でも中越地震でも、東京は何も影響なかったから、こういうのはほんとに初めてだった。

陸前高田で医療活動にあたられたflower-wingさんの手記も、そこに書かれている状況があまりに凄絶で、最初はただもう、圧倒されるのだけれど(特に「3.赤い旗」)、二度目に読むと「現場では、個人にとってどんなことがあるのか」を事細かに示してくれていることに気づく。例えば医療スタッフさんも雪解け水を飲んでいたとか。

それから陸前高田だが、元々、ロータリークラブの活動などがあったこともあり、英語圏(というかラテン文字圏)でもまったく知られていないわけではなかったようだが、英語圏でよく見られる表記である "rikuzen takata" でGoogleリアルタイム検索しても3月10日にはゼロだ。震災当日11日が1件で、以降増えている。

ああ、そうそう、flower-wingさんのブログでも言及されていた「海と貝の博物館」、以前陸前高田に住んでいたことがあるという米国人のマーティンさんのブログでも言及されている。

英語だけでの検索結果を見たい方はgooの検索が便利です

※この記事は

2011年05月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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