「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2011年05月08日

北アイルランド自治議会選挙結果

さて、木曜日に投票が行われた北アイルランドの自治議会(108議席)の選挙結果が、土曜日の夜(日本時間の日曜日朝)になってようやく出た。

開票作業については「各自治議会選挙結果まとめ」の7日00時台から後や、英語圏のtweetsのまとめ(開票所の記者やテレビを見ている一般人など)を見ていただくと小一時間笑っていられると思うが、ポイントだけ抜粋すると、投票用紙が濡れてしまいドライヤーで乾かす(その上、有効票か無効票かを判定するのにものすごく時間がかかった)などの「ダメだこりゃ」に見舞われた選挙区があり、金曜日の午後に放送されたBBC NIの選挙特番の間に1議席も確定せず、BBC NIの政治記者が「こんなことになるのなら、白黒の名画を流しておけばよかった」と言い出し、選挙特番のキャスターも苦笑をこらえきれず、東ベルファストの開票所のピーター・ロビンソンも何か思いついてしまって言いたくなったのをこらえているかのようなニヤニヤ笑いになるほど。こんな状態で「カタツムリの速度 snail pace」と称された開票の作業では、開票所のスタッフが寝落ちする(あるいは開票所に泊まり込む)という珍事態が見られた。開票中のBBC NIのトップページのキャプチャ(クリックで原寸)。



この珍事態とは別に、投票所の入り口で「北アイルランド自治政府副首相」が顔パスで通れないという事態も発生。いろいろ物騒だし、当然、警戒レベルは高められているのだろうけれども、何のために警戒しているかというとこの人が狙われる危険性があるからで……はっ、ばっかもーん、そいつがルパ(略

……と、結果と関係のないことを書いているのは、大筋では結果が「別に……」という感じだから。(というか過程がおもしろすぎた。^^;)

「UUPがいわれているほど溶けなかったね」というのはマニアにはポイントなのだが、マニアじゃなければどうでもいいだろうし(専門家は「溶ける」っていうのをさほど真に受けてはいなかっただろうし)。でもDUP側のメディア・マニピュレーションはすごかったね。まだ全部結果が出てないのに、「UUPの獲得議席1桁か」とか「お膝元のノース・ダウンで議席ゼロか」とかいう情報が流され、DUP側から「これからはユニオニストでまとまった勢力を形成すべき」という発言が公然となされ……。SOもこういう状況を見て驚いていたようだけど。

というわけで、結果はウィキペディアがまとまってます。(ウィキペディアンも待ちくたびれただろうな……。)UTVも淡々と図表だけでまとめてくれている(見やすい)。右のキャプチャ画像はUTVのページ。右側のカラフルな地図は、1st preferenceの得票で見た各選挙区のトップの政党の色分け(オレンジ=DUP、緑=シン・フェイン、赤=SDLP)。東側がユニオニストというのはずっと昔からなんだけど、UUPがこういう「表舞台」では影も形もなくなったのはここ5〜6年の現象。SDLPも、NICRA以来の地盤であるFoyle選挙区(デリー市)とサウス・ダウンではまだまだ強い。

結果から、数値だけメモっておくと、総議席108のうち、DUPが38 (+2)、シン・フェインが29 (+1)、SDLPが14 (-2)、UUPが16 (-2)、アライアンスが8 (+1)、新政党TUVが1、緑の党1で、無所属が1人当選しているが、この人は昨年のウエストミンスターの選挙でのレイディ・シルヴィア・ハーモンと同じく、元UUP(UUPの現在の強硬派・宗教右派路線に反対して離党し、無所属で立候補した)。ロイヤリスト武装組織UVFの政治部門であるPUPは、今回、ストーモントの議席を失った。

得票率で見ると、2007年(前回)と比べてアップしているのはシン・フェイン(強ぇ……あのスキャンダルも、あの疑惑も、なかったかのように)とアライアンスだけで、投票率が前回より大幅にダウンして(後述)、全体の票数が下がっているので仕方がないのだが、議席を増したDUPも前回比減、議席を減らしたSDLPもUUPもそうだ。初めて議席を得た緑の党(Green Party)も得票自体は減らしている。(議席獲得できなかったエイモン・マッカンのPBPAや、UKから出張ってきたUKIPが増やしているのは興味深い。あとWPも微増だが、ここは元々の数値が小さすぎるのであんまり意味はないと思う……ちなみにWPは元Officialsです。)

オレンジ陣営(DUP, UUP, TUV, 元UUPの無所属)と緑陣営(シン・フェイン、SDLP)を比較すると:
オレンジその区別を重視しない
議席数(母数108)56(約52%)43(40%)9(約8%)
1st Pref の得票率48.4%(*)41.1%10.4% (*)

※数値は http://www.u.tv/election2011/results.aspx を元にした。
(*) Othersが「その他の党」も当選した無所属もGreen Partyもあわせて計上されているので単に半分にした(5.4%→2.7%として計算)が、実際には「緑」のほうが若干高いはず(エイモン・マッカンら社会主義の人たち、旧Officials系がいる)。

なお、最終的に投票率は54.5%(ウィキペディア)か55.5%(UTV)で、これは日本の感覚では「高い」部類だろうが、アイルランドや英国の感覚では「低い」部類に入る。特に、「セント・アンドルーズ合意」とその後の展開(DUPとシン・フェインのパワーシェアリング)という新局面を承認するかどうかという大きな転換点だった2007年の選挙の62.31%はかなり下回った。要因としては、大筋では「現状を認める」ための選挙だったこと、悪天候だったこと(移送中の投票箱に水が入るほど!)などが挙げられているが、「投票の権利を求めて人々が戦ってから、まだそんなに時間経ってないのに、投票率低すぎ」という声をリアルに見聞すると、たとえそれが常套句であっても、重い。(1968年の公民権運動は「まともな、1人1票の権利」を求める運動だった。)

投票率が最も高かったのがファーマナ&サウス・ティローン選挙区で68%近い(source)。次がミッド・アルスター、ウエスト・ティローンで、いずれも「緑」側の強い選挙区だ。低いのは東海岸側(「プロテスタント」が多い都市部)で40%台。

でも「あの人に投票できるんなら選挙行くわぁ」的なビッグスター(イアン・ペイズリー父子やジェリー・アダムズのような)が不在となった選挙であるということを考えると、やはり関心は高いなあと思う。むろん、自治議会だけでなくカウンシル(地元の自治体)の議会の選挙も、英国会選挙制度改革のレファレンダムもあったので(後者はほとんど関心なしにしても)、一概には言えないかもしれないが。

(イアン・ペイズリー父は引退、息子は国会議員に専念、ジェリー・アダムズは「統一アイルランドへの一歩として」的にアイルランド共和国の議員に転身……スコットランドもSNPがああなったし、70年代的な「民族自決」のナショナリズムのみなさんにとっては楽しい年だろうなあ。チュニジアやエジプトもあるし。)

あと、今回ものすごく鮮明だったのがDUPの変化。「もう過去には戻らない。前進あるのみ」というようなキャッチコピーを立てていたのだけど、それが徹底している。これは単純に、ピーター・ロビンソン(元アルスター・レジスタンスという超過激派)のリーダーシップ。緑陣営でアダムズとマクギネスによって示されたのと同じような(ただしアダムズの場合、ほんとにいろいろあるんだけど、ごにょごにょ)。その象徴として、ピーターは選挙後のコメントとして、「わが党の勝利は、コミュニティを守るという職についたがゆえに殺された(リパブリカン非主流派に爆殺されたカトリックの警官の)ローナン・カーさんに捧げます」と述べた。これが真心からのものであることは私は疑っていないのだけれども、それにしても見事すぎるフィニッシュ。

というわけでとりあえず、選挙によって、現在の「和平」の路線は「承認された」形です。

ただ、そこで「めでたしめでたし」で終わらないのが北アイルランド。予告編……




※この記事は

2011年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:07 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼