kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年05月02日

オサマ・ビン・ラディン殺害

昼前に急に、Twitterのタイムラインがこの話題一色になった――「オサマ・ビン・ラディンが死んだ」。

最初に気づいたのはいくつかの通信社の速報だった。例えばロイター。
WHAT? RT @Reuters: FLASH: U.S. networks report Osama bin Laden is dead
posted at 11:50:15
http://twitter.com/nofrills/status/64884376432951296

この時点で「病死」だとか「事故死」だとかは思っていない。急に病気で死ぬテロ組織のリーダーもいるけど(ショーン・マクシュトイファンとか)、タイムラインを埋める文字列の雰囲気(というとオカルトめいて聞こえるかもしれないが、多くの言葉の集積から感じられる「方向性」というものがある)からは、よほどのことがあったという印象。実際、どういうことがあったのかは現地から、それと知らずにツイートされていたのだけど。

そのとき、既にBBCには速報で上がっていた。



最初に「ビン・ラディン死亡」の情報が入ったころ、日本時間で正午からしばらくの間の私のタイムラインのキャプチャ。画像クリックで読める大きさ(原寸)。この画像では、実に9割以上が「ビン・ラディン死亡」の話題である。


※右下が時間が最も古いもの、左上が最も新しいもの。一番右のカラムで、35 minutes agoの次が1 hour agoになっているのは、画像の編集中にオバマ大統領の演説が始まってそれを聞いていたため。

かなり後のBBCのトップページ:


ガーディアン……これだけでも、正直、「こんなに読めるか」っていうくらいの文章量っすよね:

アルカイダについての調査報道をしてきたジェイソン・バークが、今日は水を得た魚というかTwitterでもすごい発言量。

書きかけ


※この記事は

2011年05月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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