「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2011年04月28日

北アイルランド、「えっ、ここなんですか」という場所でボムアラートが出た。(→ Hoaxで確定)

2:46にお数珠と合掌で個人的四十九日をしたあと、お茶をいれて画面を見たらこんなのがあった。

A number of people are moved out of their homes due to a security alert in the Falls Road area of west Belfast. http://bbc.in/kVt7UA

http://twitter.com/#!/inderry/status/63482340457979904


西ベルファストはボム・アラートがよく出る。たいがいは数時間後に「hoaxでした」と公表される。「相当数の/複数の人」が自宅から退避というのも、あまり深刻そうな書きぶりではない。ちなみに現地では朝7時前の配信で、ということは朝5時か6時くらいにアラートが出たのだろうと思われるが、早朝は早朝であるにせよとんでもない時間ではない。だから、この通りの名が出ていなければ、記事URLをクリックすることすらしなかっただろう。

でもね、Falls Roadなの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Falls_Road,_Belfast

というわけで記事を見た。BBCの、あまり情報がないときのフォーマットで、上のツイートにある情報のほか、「爆発物は2点で、軍の爆発物処理班が現場で作業に当たっている」などとあり、さらに、「アラートが出たのは現地時間深夜2時」と、とんでもない時刻であることが書かれている。そしてDivisの公民館が避難所となっていることも。



で、具体的に、しばらく封鎖されるというこのRoss Roadとはどのへんか、を確認するために、Google mapに行ってみたわけですよ。Falls Roadと一口で言っても長いので、都心寄り(シン・フェインの本部、つまりボビー・サンズの例の壁画の建物の方)なのか、郊外のほうなのかで随分違うし。

そしたら……


Google Street Viewで見たところ、まあ、Ross Road自体はFalls Road(これは大通り)の一本裏の、普通の住宅街なんですよ。Five Minutes of Heavenでグリフィンさんがこういうところに住んでたな、という感じの住宅街。

なので、Ross Roadのピンが立ってるところから真上(真北)に、GSVのあの黄色い人を動かしてみたんですね。そしたら……



えっ。

門の上のアーチみたいなのを拡大表示させると:

大きな地図で見る

まじでここなんですかという場所じゃないの。

つまり、一連の「闘争」を「戦争」と位置付けるならば「戦没者慰霊碑」。「紛争」のなかで命を落としたフォールズ・ロードのIRA義勇兵と一般市民の名が刻まれた碑と、庭園として整備された一角。

http://www.geograph.org.uk/photo/520802
Garden of Remembrance, Falls Road

The garden of remembrance is dedicated both to Irish Republican Volunteers and civilians from the Falls area who lost their lives.

このガーデンの碑には、1916年(イースター蜂起)から69年までのこの地域の「戦没」IRA義勇兵たちの名が刻まれたものと、69年以降の、つまり「北アイルランド紛争」の時代、なおかつProvisional IRAとしてのPOW(戦争捕虜)たちの名、そして「戦没」者たちの名が刻まれたもの、そして一般市民たちの名が刻まれたものなどがある。
http://www.brown-bread.blogspot.com/2006/01/falls-road-garden-of-remembrance.html

Google Street Viewの写真は、もっと右に振るとわかるけど、この碑と庭園が観光(というか「巡礼」というか)ルートに組み込まれていることをはっきりと示している。(GSVの写真に写りこんでる人たちは、バスでここに来た観光客/巡礼者だろう。)

そのくらい「エスタブリッシュ」された「アイルランド民族主義の(一部の)記念碑」。

その区域で夜中の2時に、ボム・アラート。

おそらくこれもまたhoaxだろうけど、それでもここが標的にされるということのメッセージだけで十分だ。

やっているのが「彼ら」であるとすれば。(というか、「彼ら」だろうけど。ロイヤリストとは考えられないので。)



UPDATE:
やはりhoaxでした。



ちなみに、このGarden of Remembranceから東にほんの少し行ったところにあるのが、この有名な壁。

大きな地図で見る

※この記事は

2011年04月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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