「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2011年04月20日

ニール・レノンらにレターボム

第一報のときに「またか」と思ったのだが、今回、厳密にはこれまでとは違うらしい。

グラスゴウのセルティックFCの監督で、北アイルランド人のニール・レノンに、また爆発物が郵便で送りつけられようとした。今回はレノンだけではなかった。彼の弁護士と、次の選挙で引退するスコットランド自治議会議員のところにも……。議員は以前、セルティックのレプリカ・ユニを着用して議場に来たことがあるそうだ。BBC記事の写真参照。



BBCの報道によると:
http://www.bbc.co.uk/news/uk-scotland-glasgow-west-13141592

問題の「郵便物」はスコットランド西部の複数の地点で発見された。

第一の「郵便物」は3月26日、East DunbartonshireのKirkintillochで不審と感づかれた。これはセルティックの練習グラウンドのニール・レノン宛てだった。(もっと下の方にリンクするガーディアン記事などによると、レノンのところにはその前、3月4日にも爆発物が送られていたそうだ。)

その2日後、今度はスコットランド自治議会議員のところに不審な郵便物が配達された。宛先はRenfrewshireのBridge of Weirにある議員の選挙区の事務所。スタッフがおかしいと思い、警察に通報した。

そして3通目は、エディンバラの弁護士に宛てられていた。これは金曜日、レターボックスにあるのを郵便局員が見つけ、Kilwinningの集配所に持っていき、そこで警察に通報した。投函はAyrshireだったとのこと。

というか、3通ともスコットランドの中から投函されているという。

これまでニール・レノン宛ての不審な郵便物は、北アイルランド紛争絡みというかアイルランド問題絡みというか、とにかくかの地での「プロテスタント対カトリック」の構図がそのまま移植されてグラスゴウの「レンジャーズ対セルティック」の対立がある、というのを背景にしていて、実際、今年1月に配達される前に郵便局で止められた実弾入りの封筒は、北アイルランドで投函されていた。

今回の不審な郵便物、最初はhoaxとも考えられていたが、調べた結果、いずれも爆発の能力のあるものだったことがわかったという。中身は液体系。

捜査当局は、今回のこれは、単なる「脅迫」を目的とした不審な郵便物ではない、と見ているようだ。つまり、本当に殺傷する目的だった、と。

グラスゴーでは著名人のセルティック・サポに、不審な郵便物などに注意するよう警察から警告が行ったそうだ。ガーディアン記事:
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/apr/20/famous-celtic-fans-warned-over-bombs

ベルテレさんのスポーツ・エディター、Jim Graceyが熱い文章を書いている。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/sport/football/scottish/neil-lennon-is-no-quitter-but-this-time-it-goes-beyond-him-15145082.html

ニール・レノンは1971年生まれ、つまり「北アイルランド紛争」のピーク(1971年8月にインターンメントが始まって、そこから「公民権運動」→ブラッディ・サンデー事件……というようにつながっていく)に幼少期を過ごした。しかもアーマーのラーガンで。(ラーガンは、現在もなお、ディシデント・リパブリカンの活動が活発であるくらいの拠点。)それでも彼はその中でサッカーの技術を磨き、ケガなども乗り越えてプロのプレイヤーとして活躍し、今は指導者となっている。Jim Graceyはその彼を、10代のころから知っている。
I've known Neil since he was a raw, 16-year-old kid, trying to make his way as an apprentice at a much less cash-rich and fashionable Manchester City than they are now.

And he has always been a fighter, overcoming adversity every step of the way to become a top player and now manager.

Doubts over his ability to even carve a career in professional football; a crippling back injury that threatened to wreck his dreams, dark bouts of depression, upheaval in his private life, and now this.

Bullets in the post, while frightening and intimidating, pose no physical threat. But a parcel bomb capable of causing injury?

That's taken the vicious and insidious campaign against his person to a level never before seen in British football.

It has moved from downright nasty and unpleasant to sinister, the latest twist amounting to terrorism.

※この記事は

2011年04月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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