「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年04月03日

北アイルランド、オマー、ブービー・トラップ、警官死亡

昨日(2日)の東京での写真。
零れる

近所の小学生が半袖Tシャツ一枚で自転車をかっとばしていた昨日とは異なり、「花冷え」の今日、朝イチで見たニュースはひどいものだった。

2 April 2011 Last updated at 19:39 GMT
Policeman killed in Omagh car bomb attack
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-12947225



ベルファスト・テレグラフ:


ガーディアンもトップ扱い(右側の派手な写真は別なトピック):


死者が出れば日本語の記事にもなる。共同:
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040301000180.html

記事に使える文字数が少なすぎるのだろうが、こんな記事を読んでもよくわからんだろうよ。第一書き出しからして「プロテスタント系とカトリック系の住民対立が続く英国・北アイルランド」、これは何十年前の話だ。あるいはどのレベルの話だ。今なお続いている「あれ」は、「プロテスタント系とカトリック系」の構造で説明できる、また説明されるべき「北アイルランド紛争」ではない。2002年ごろのUVFとUDAの抗争(「プロテスタント系」内部での紛争)の構造のほうが近い。

TwitpicTwitterでは、Omaghという地名と、殺された警官の名前がTrending Topicsに上がっていた。

こんな理由で北アイルランドの地名をTTに見るなんて、もうたくさんだ。しかも「オマー」って。

Twitterを少し見て、誰かが書いているのを見た。「1998年8月15日も土曜日の午後だった」と。

日本時間の午前8時過ぎ(現地深夜0時過ぎ)、Twitterでは、ハッシュタグで #Omagh と #notinmyname を使って、このボムを非難する一般の人々の声が上がり始めていた。

http://chirpstory.com/li/1045

この1週間、北アイルランドから「ボム」の話が毎日聞こえてきていた(そんなの「この1週間」に限った話じゃなくないか、と言われればそれまでだが、この1週間は密度が濃かった)。日曜日から月曜日にかけてはデリーのコートハウスの駐車場にボム(ビアケグ・ボムが車に積まれていたらしい。告知電話あり)、その後ベルファスト北部の住宅街で200人が足掛け2日避難するはめになったボム・スケア(hoaxだった)、ベルファスト西部(ジェリー・アダムズのお膝元……ていうか本人既にベルファストを離れているのだが)でもhoax bomb騒動があり、デリーでも同じ場所でhoax(「消火器に仕掛けがつけられていたものを通行人が発見」というかたち……「彼ら」が混乱を引き起こす目的なら消火器は使わないよな……)。

で、例えばデリーでビアケグとかコーヒージャーのボムが爆発しました、という報告なら、まあ、あるかもしれないなという雰囲気だったことは確かなのだが、まさか、オマーで、という、ね。

その点、元IRAで、グッドフライデー合意でのIRAの(アダムズ中心の)「和平路線」に反対して組織から離れ、一方で武装闘争継続のRIRAなどとも距離を置いているアンソニー・マッキンタイアは、次のようにブログに書いている。

Saturday, April 2, 2011
Bombing Omagh
http://thepensivequill.am/2011/04/bombing-omagh.html
Omagh is the last venue that armed republicanism might be expected to have put in an appearance. It takes some nerve. There, the levels of abhorrence for the phenomenon are probably higher than they are elsewhere. Its presence is unwanted, its visitation unsolicited and viewed as a deeply insulting intrusion.


以下、「カトリックで警官であるということ」、「50:50政策」、「なぜ彼らはカトリックを殺すのか」といったことを書くためのスペース。

書いてからアップロードすればよいのだろうが、そうするといつまでもアップしないままになりそうなので。


※この記事は

2011年04月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:00 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼