「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年03月29日

今日のThe Japan Timesで、#quakebook が紹介されています。

#Quakebook on The Japan Times, 29 March 2011, w/ OurMan

先日来、当ブログのエントリで何度か言及している @OurManInAbiko さんの発案による、震災被害者支援(日本赤十字への募金)のためのチャリティ・ブック、#quakebook が、今日29日のThe Japan Timesで大きく紹介されています。駅売店、コンビニなどで買えると思います。1部180円です。

#Quakebook について詳細は:
http://quakebook.blogspot.com/

既にBBC blogなど、いくつかの媒体で紹介されています:
http://quakebook.blogspot.com/p/media-coverage.html

You can read my story on my blog:
http://nofrills.seesaa.net/article/191378668.html

私の文章(日本語):
http://nofrills.seesaa.net/article/191701785.html



The Japan Timesの一面トップはもちろん福島第一原発の現況についての記事で(二番目のニュースはリビア)、Quakebookは横の、文化欄的なジャンルの「今日の記事」の紹介コーナーで大きく取り上げられています。

#Quakebook on The Japan Times, 29 March 2011

記事本文は15ページにあり、まるまる1ページを使って、企画の説明と、本に収録されている文章7本を掲載しています。オンラインでも読めます

#Quakebook on The Japan Times, 29 March 2011 (Page 15)

この「割れた日本」のアートワークは、イラストレーターのクリス・マッケンジーさんの作品で、ジャパン・タイムズのチャリティポスターとなっています(B2サイズで5000円)。最初に見たときはあまりにつらいデザインですぐにウィンドウを閉じてしまったのですが、紙の上で、新聞品質で印刷されたモノクロの画像で見ると、この見慣れた形がいとおしい。3月11日にうちの台所では、ガラスのティーポットやいくつかの食器が割れました。

(さすがに少しパニクって、なんだかわかんないけどやかんと鍋に水汲んでおこうと思って、でもそれをするためには割れた食器を片付けなければならず、まだ大きな余震があるかもしれない段階では無理と諦めて、親のところに電話をしようとしても通じず、落下してきていたCDや本や梱包用具などをとりあえず横にのけてパソコンに向かったら、視聴がほぼ習慣化していたアルジャジーラで津波のすごい光景が……「え、これ何、以前の津波の映像を参考に流しているのか」と一瞬思ったけど、TweetDeckに流れてくる人々の声で現実と知り……。)

#Quakebook on The Japan Times, 29 March 2011 (Page 15)

Quakebookから抜粋掲載されている7本の文章の一部。ご本人が、またご家族が被災された方の書かれた文章を読んで、圧倒されると同時に、何ていうのかな、当事者ではないのにこんなところにいていいのか、という感覚が……そうすると、イングランドから「こんな遠くにいる自分」を書いた文章が。

これにはすっげー救われた。我孫子の敏腕エージェント、これを企画してくれて、誘ってくれて、ありがとう。

I'm part of it. とか I did my share to make a difference. とかいった、こういうプロジェクトにお決まりの「参加」の感覚を、東京でのほほんと過ごしている私はどうしても抱けなかったし、今も抱けないのだけど、少なくとも、「読む」ということで「被災していない(のにハンパに当事者扱いされる)」経験は消化できるような気がする。

※この記事は

2011年03月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:01 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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