「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年03月26日

"Twitter Fight Club" がおもしろい。



いつ始まったのか知らないのだが、"Twitter Fight Club" という企画が行なわれている。The Nation, Foreign Policy, the Slate, the Atlanticといったオンライン・メディアで仕事をしている人たちなど、英語圏(主に北米)の国際情勢・安全保障系重量級ツイッターユーザーを集めてのヴァーチャル「ファイト・クラブ」。決めるのは読者(というかフォロワー)の投票。
http://twitterfightclub.wordpress.com/

評価点は「知識の質量」、「論理性」(これは非常に重要)、「ユーモアのセンス」、「ツイートの頻度」、「カリスマ性」。これらを勘案して、2者のうちどちらかに投票する。対決しているツイッタラーさんたちは多くの場合、純粋に「書いたもの」だけで評価される人たちだが(文字媒体の記者、学者系の人たちなど)、中にはテレビでしゃべる仕事をしている人もいる。

金曜日に「ベスト32」の戦いになったのだが、私程度でも知ってる(フォローしている、リストに入れてある、頻繁にRTされてくる、など)人たちがずらりと並んでいて、逆に名前を知らない人はどういう人なのかな、などとチェックしてみたくなる。少し余裕があるときに見てみようと思う。

なお、次のラウンド(ベスト16)は来週月曜日。いきなりForeign Policyの中東専門家、@abuaardvarkと@blakehounsellの対決、など。これは悩むなあ。。。ダジャレ部としては、「Omanで反政府抗議行動」の報にうっかり "Oh, man..." と反応していたブレイクさんかしら。

でも優勝はジェレミー・スカヒルだと思う。彼をフォローしていると、ずっと見ていたい気にさせる「カリスマ」というのは「頭のおかしさ(いい意味で)」だということがよくわかる。でもその背後に、どれだけの経験と知識と…があるかを思うと、少しくらくらする。



ベスト16の結果:


その次、ベスト8の結果:


ジェレミー・スカヒル対グレン・グリーンウォルドが、事実上の決勝戦だね。準決勝、投票は木曜日朝9時(米国東海岸時間)から。



↑は勘違いで、セミ・ファイナルは@jeremyscahill対@attackerman, @ggreenwald対@abumuqawamaでした。結果、スカヒルとアブームカワマ(アンドルー・エクサム)が勝ち上がり:
http://twitterfightclub.wordpress.com/2011/04/04/the-twitter-fight-club-2011-title-match/

ファイナルは審査員による各評価ポイント採点も加えつつ、実際にTwitter上で対決。アブームカワマがPMCを雇い(爆笑)、ジェレミ・スカヒルが「ネイション辞めてネオコン言論誌に移籍しますた」のエイプリル・フールねた(心底「この人アタマおかしい」と思った。お母さんもだまされたらしい)。結果は私の予想通り。
http://twitterfightclub.wordpress.com/2011/04/06/your-2011-twitter-fight-club-champion/

※この記事は

2011年03月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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