「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2011年02月19日

I can't close my eyes to make it go away. #Bahrain #bahjp

Derry, (Northern) Ireland. 30 January 1972:


Manama, Bahrain. 18 February 2011:




両手を上げ、丸腰であることを示しながら歩いていく人々に、正面から、銃弾が浴びせられる。このYouTubeの映像の別アングル。



この流血の現場には、救急車は入れなかった(軍が道路をふさいでいた)という。人々は救急車のいるところまで、人力で負傷者を運んだ。

下記の映像が、上の銃撃のあとのものかもしれないと思う(確認は取れていない)。



この前の日、市の大通りのラウンドアバウトの広場にキャンプをはっていた人々が眠っているとき、午前3時ごろ……当局は警告もなく発砲。負傷者が運び込まれた病院の医師はアルジャジーラ英語版の電話取材に応じたとき、ほとんどパニック状態だった(負傷者には被弾したり殴打をうけたりして流血しているような人もいれば、精神的外傷でパニックになっている人もいて、病院の規模と負傷者の数が合っていなくて、現場では人数も把握できていなかったようだ)。

その病院の写真集。
http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,2051463_2238213,00.html

アルジャジーラの英語版で最初にニュースになったときは、TIMEのこの写真集のようなプロの写真ではなく、素人の(人権センターかもしれないが)スナップ写真がスライドショーで示されていた(ジャジーラはカメラを入れていない)。8歳くらいの男子が、ショックを受けた表情でベッドに横たわっている写真があったのだが、彼が着ていたのが数年前の型の、アーセナルのレプリカ・ユニだった(胸のスポンサーがO2のころのもの)。

このとき亡くなったのは3人。1人は左の腹部から胸部にかけて散弾を浴びており、別の1人は頭を割られて脳みそがなくなっていた。(TIMEの写真集にもあるが、もっと詳しい写真は私のTwitterのログにある。)

そしてその後また広場に集まろうとして、「丸腰である」ことを明示していた人々に、銃弾が浴びせられた。それが上の方のYouTubeの映像だ。

これでも、「いやあ、原油価格がねぇ」という話しかしない人や、「F1が」ということしか気にならない人もいるんだろう。勝手にすればいいと思う。(ただし人々がこうやって虐殺されていることに疑問の声を上げることを、何かの「回しもの」の所業であるかのように扱わない限りは。)

こんなことが、今、起きている。しかも、バーレーンの同盟国である西側(英米など)の大手メディアの有名なジャーナリストが何人も、バーレーンに入っていて、取材中であると記事やTwitterで明言している最中のことだ。

特にNYTのニコラス・クリストフ――私はこの人の基本的なスタンスは許容できないと思っているが(本気で「イスラエルは先進的民主主義、パレスチナは後進」と前提している)、それはこの人が何を体験し伝えるかとは関係しないこともあり、エジプトでの被襲撃体験や今回バーレーンの国家暴力の対象となった体験などは、スタンス云々とはあまり関係のない例だ。彼はNYTの記事だけでなくTwitterでかなり詳しく、早く状況を発信してくれているので、興味のある方はフォローを。

ガーディアンの表紙。



アルジャジーラのダン・ノーランは、1月末の時点で、エジプトのアレクサンドリアなどのモルグを取材し、「不条理にも息子を殺された母親の嘆き」と「一部が血に染まったシーツから突き出した生命感のない脚」の映像を、立体的な事実として伝え、おそらくはそれが原因でムバラク政権から嫌がらせを受けた(本人は数時間拘束され、iPhoneを含む機材を没収され、最後はエジプトにいられなくなった)。彼はバーレーンのこの事態をうけて、次のように書いている。



この「オトコマエ」な姿勢のジャーナリストがこの「リアリスト」っぷりというのは、かなりショッキングなことだよ。



広場が襲われた夜、私は見ていなかったのだが(すいません、さすがにもう「革命ダダ漏れ」とは距離がほしい)、広場からUstreamで中継されてたそうだ。その映像では、エジプトのカイロのタハリール広場のような、平和的なキャンプという感じで、何ら暴力の兆候はなかったという。

しかし政権側は常に「デモ隊はおそろしい連中だ、武装している」と言い張っていた。「ナイフで武装している」など。それはアラブの伝統的な衣装(男性の)で腰のベルト(帯)とセットになっているような例の刀のことだろう、という意見もあったが、デモ隊の人々のほとんどは「世界のどこにでもいる都市住民」の服装で、つまりジーンズにパーカーというような感じで、そういう武器など持っていそうになかった(ただし何人か、伝統衣装の人もいたことは事実だ)。てか、仮にナイフ持ってたとして、銃持ってるのは誰だよ、という話なんだが。

でBBCのLiveで見たのだが――BBCが最近のサイトリニューアルでアーカイヴ化がタコになってしまって、もう探せない――、「マナマ在住女性」からの投稿で「あの人たち、野蛮で怖いです。あたくし、とてもじゃないけど近づけません」というようなのがあった。明らかにクサいよね。決定的なのは、「あの人たち、全身真っ黒で怖いです」という記述。

デモ隊の映像を確認していたが、男性はなぜか黒はあまり着ていない。白か青系統(ブルージーンズの色もあれば紺もある)が多い。というか、「全身真っ黒」といったらシーア派女性の服装だ。

BBCでその投稿を読んだ時にはすでに私はTwitterで「連中はイランの仕込み」という煽動のことを知っていたので、ああ、セクタリアン煽動だな、と思った。(その後、デモ隊の側からシーア派独特の掛け声も出ていると聞いている。)

1969年ベルファスト(カトリックの家を焼き打ちして追い出したころ)によく似ている。

で、今回の最初の国家テロのとき(広場で寝込みを襲った時)、政府側は「デモ隊は武装しておりわれわれは襲われた」と、どっかで聞いたようなことを言っていた。

でもそのとき、デモ隊の人々はテントで寝ていたと言っているのだが。

そしてそのことについて、フランス外相が「不相応な暴力」と述べ、英国外相もthe level of violenceという表現で「過度の暴力」があったことをかなりはっきりと指摘しているのだが(「非難」までは行かない、「憂慮」だが)、バーレーン側はそれにも反発している。というか……さっき書いたっけ、ここに書いたのか、Twitterに書いたのかわからなくなってきているのだが(見直すのもめんどいのでとりあえず書く)、「西洋メディアはヒズボラを支持してわが国の政体を壊そうともくろんでいる」とバーレーン政府がプロパガンダをぶちかましている。その一環で、「NYTのニコラス・クリストフを追い出そう」キャンペーンとか……どうしてあの人(「問題は1948年に始まった」と考えるシオニズム支持者)を「シーア派の過激派の友人」として扱えるのか(そういう扱いを許容するのか)、意味がわからないのだが、冷静になってみれば日本でもつい先日、スティーヴン・フライがどういう人なのか把握してもおらず、英国の鉄道事故の歴史とそれをめぐる言語空間についての認識が決定的に欠落しているところに発生したくだらない誤訳(ギャグを直訳するのはコンテクスト上の「誤訳」である)で、大使館まで出てくる大騒動があったばかり。メディアが煽れば人は何でも案外簡単に信じるので……。

ともあれ、「不相応な暴力」という点について、CNNのアンダーソン・クーパー:

これは正しすぎて何も言葉が出てこない指摘だ。バーレーン政府は「不釣合いな暴力など使っていない」と反発しているが、新たに出てきた映像を見れば、まったく非武装の人々を銃撃しているではないか、と。

クーパーが見たのは、おそらく、このエントリの上の方にエンベッドした映像だろう。



さて、ここで暴力を行使しているのが誰なのかという点。警察なのか、軍なのか。

暴力行使が開始される前、ブラッドレーが出てきたときに政府側は「警察です」と言っていた。警察が使うにしてはごっついよね、という話が、Twitterで私がフォローしている人の間で少し出ていた。

そして歩いてきた人々に銃弾が浴びせられたあとの現地のインタビュー on アルジャジーラ英語版では、「撃ってきたのは警察ではない。軍だ」と野党の人が言っていた。
http://twitter.com/#!/nofrills/status/38623525174644736

しかし現場のジャーナリスト(複数)の証言からは、「警察か軍か」では決められないような感じ……つまり両方。

ガーディアンのジャーナリストらが、「ゴム皮膜弾」(これは警察が使っていた)と「散弾ではない実弾」の両方が用いられていると報告している。ということは、司令系統が2つある可能性も否定できない(発砲命令が2種類ある可能性)。

これらについては、王室が「調べさせます」的なことを言っている段階なので、当分明らかにならないし、明らかになるときが来るのかどうかもわからない。

大雑把に「中東の人々」が、どんなことから脱したくて「革命」と呼ばれるインティファーダ(蜂起)を起こしているのか、「革命(笑)」的にdisってるヒマはあっても、真剣に検討しようという気がない人のほうが多いのかもしれないけど、とにかく、彼らの求めているものは何なのかを考えてみればいいと思う。

バーレーンも別に「政権転覆」など求めていなかった。「ワーキング・プア」状態のシーア派にも人並みの生活をさせろ、制度的差別をなくせ、という要求だった。それが嘲笑されたことで人々の要求は「首相は退陣しろ、まともな政治のできる人物ではない」となり、広場で寝込みを襲われたことでついに「王室打倒」にまでなった。そして、その「王室打倒」の声が、支配層を心底脅かし、暴力的弾圧の正当化の余地を生じさせた――そういう分析をしていたのは、UAEのジャーナリスト(ハビバ・ハミドさん)だったかな。

ともあれ、入ってくる情報量が多すぎるのである。

英語のTweetのまとめ:
http://chirpstory.com/li/763
http://chirpstory.com/li/764

CPJのまとめ:
Journalists targeted in Bahrain, Yemen, and Libya
http://cpj.org/2011/02/journalists-targeted-in-bahrain-yemen-and-libya.php



※この記事は

2011年02月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:15 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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