「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年02月10日

ガーディアン/ロシア/ホドルコフスキー/ウィキリークス/椅子から落ちる

つい2, 3日前、ガーディアンのモスクワ特派員のルーク・ハーディングが、英国からロシアに戻った空港で別室送りとなり、そのまま空港を出ることなく強制送還されたというニュースがあった。
1つ前のRT、笑い事じゃないわ。ろすあの首都もすこーで、アレクサンドル・リトビネンコ殺害事件容疑者アンドレイ・ルゴボイのインタビューを含め、かなりしっかりした仕事をしてきたルーク・ハーディング(ガーディアン)が、国外退去と。 http://bit.ly/eiNJS8
http://twitter.com/nofrills/status/34683244939055104


See also:
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/08/press-freedom-moscow-editorial

ハーディングの仕事については:
英ガーディアンのルーク・ハーディングがモスクワでどのような報道を行なっていたか、米フォーリン・ポリシーの記事。 / Out of Country - By Julia Ioffe | Foreign Policy http://htn.to/6r9hMe

「外国人記者の中で最もクレムリン&ロシア外務省との間が緊張していたのがハーディングだった。4年前に着任して以降、彼と家族はFSBらしき人物の嫌がらせを受けていた。帰宅したらなぜか窓が開放されていたり、子供のおもちゃが並べ替えられていたり」

英ガーディアンのハーディングの仕事:「ロシアでジャーナリストになることは自殺である」(08年、日本語訳@チェチェン総合情報) http://bit.ly/hGLECI "これらの攻撃の背後にあるのは…プーチンの洗練された専制国家の本質"

http://twilog.org/nofrills/date-110208


ハーディングの強制送還は、この報道の出る数日前のことだったそうだが、この報道(8日付)の前の日(7日付)には、こんなのがあった。
ミハイル・ホドロコフスキーについてのドキュメンタリー映画の最終版が、ベルリン国際映画祭での上映を数日後に控えたタイミングで、ベルリンにある監督のオフィスから盗まれた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.guardian.co.uk/world/2011/feb/07/mikhail-khodorkovsky-film-stolen-berlin


こっちとしては「きゃー、おそろしあ」となるわけだ。

そこに、プラウダはこう来た。

The Guardian, Harding and the British obsession with the Cold War
http://english.pravda.ru/opinion/columnists/09-02-2011/116827-luke_harding-0/

この記事が、異常。ものすごい挑発的。

he violated a series of rules which apply not to Luke Harding and the Guardian newspaper, but to all foreign journalists, rules which have applied since they were adopted not last month, but back in 1994. Nineteen ninety-four.

ほんとにこう書いてあるから、確認してほしい。こんな新聞記事、「ネタ」は別として、見たことないwww

そしてタイムズの人が爆笑していたところ:
RT @AlexiMostrous: "British Bullshit Corporation and Sky Wey-Hey! (Raspberry) Whoops-a-daisy! News": Pravda comment on UK media http://bit.ly/gF0cHA
http://twitter.com/nofrills/status/35331068752035840

これもほんとに書いてあるwww BBCはまだしも、Sky News...

で、こちらとしてはげらげら笑いながら「きゃーきゃー、おそろしあ、おそろしあ」と言うわけだが、ハーディングのご家族はモスクワに残っているというし(お子さんの一人は日本語を勉強していて、ガーディアンのおっかけをしている私のTwitterのタイムライン上ではハーディングが日本特派員のジャスティン・マカリーに「ウィキリークス本の日本語版、送ってね」とか依頼しているという楽しい状況もあった)、笑い事ではない。

どうなるのだろうとはらはらどきどきしていたら、今朝、この展開。

椅子から落ちた。

Russia U-turns over Guardian journalist's deportation
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/09/russia-deportation-guardian-journalist

で、これは意味がわからないと言うか、「あのロシアがこんなに簡単に態度を軟化させるなんて、ガーディアンつおい!」ということなのかどうかわからないけれど、ともあれ、カイロのタハリール広場でアルジャジーラのオトコマエっぷりをみせつけられる日々のなか、浮気しててごめんなさいと平謝りしたい。

お茶ふきながら。

で、ルーク・ハーディングがなぜ任地のモスクワから英国に長期戻っていたか、「ヴィザの問題」が出るようなことになったかというと、彼がロンドンでウィキリークス本を書いていたから。

WikiLeaks: Inside Julian Assange's War on Secrecy
WikiLeaks: Inside Julian Assange's War on SecrecyThe "Guardian" David Leigh Luke Harding

Guardian Books 2011-02-01
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これの邦訳も、ものすごい早さで出ますよ〜。

4062168502ウィキリークス WikiLeaks  アサンジの戦争
『ガーディアン』特命取材チーム デヴィッド・リー ルーク・ハーディング 月沢 李歌子
講談社 2011-02-15

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原著(英語)はガーディアンで一部の紹介があったけど、日本語版についても、無料先行公開キャンペーンがあるとの告知がTwitterでありました:
http://twitter.com/Kodanshahonyaku/status/35230270860824577
http://twitter.com/Kodanshahonyaku

ウィキリークスでは、小林恭子さん、塚越健司さん、浜野喬士さん、津田大介さんと、Twitter上でよくお会いする方が多く関わっておられるこの本もあるし:

日本人が知らないウィキリークス (新書y)
日本人が知らないウィキリークス (新書y)小林 恭子 白井 聡 塚越 健司 津田 大介 八田 真行 浜野 喬士 孫崎 享

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日経BPのサイトで記事を拝読している菅原出さんの本もあるし:

482224847Xウィキリークスの衝撃 世界を揺るがす機密漏洩の正体
菅原出
日経BP社 2011-03-03

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お金も時間も、今の何倍もほしいです。。。

PS:
ガーディアンのウィキリークス本(原著)、amazonでけっこう前に注文したんだけど、全然来ないんだよね。いったんキャンセルしようかな。。。UKから買った方が早そう。

※この記事は

2011年02月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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