「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年02月06日

"They are without fear now" 恐れ知らずの人々、あるいは「オトコマエ」

主人がオオアリクイに食い殺されて1年が経ち、私がガーディアンからアルジャジーラに浮気して1週間以上が過ぎた。4日から、アルジャジーラではTahrir SquareをLiberation Squareと「英訳」して呼んでいる。「ムバラクは去れ、我々はここ(広場)から立ち去らない」と声を合わせるデモ隊は、anti-Mubarak protestersはなく、pro-democracy protestersであると再定義された。一方で、棒や石などで彼らに暴力をふるう連中――実際には政府がカネで雇って動かしている暴力専門の連中、制服を脱いだ、または元々私服の内務省の治安部隊(治安警察、秘密警察)などだと言われているが――はpro-Mubarak protestersとか、あるいは単にmobと呼ばれている。

4日の金曜礼拝からそのあとのカイロ、タハリール広場の様子をアルジャジーラのオンライン中継で見ていて、それはもう、本当に圧倒された。

Twitterのログから(下が時間的に古いので、下から上に見て下さい):
http://twilog.org/nofrills/date-110204

nofrills メモ魔です(@nofrills)/2011年02月04日 - Twilog via kwout※キャプチャだと読みづらい上に背景が緊張感なくてすみません……。リンク先でどうぞ!


4日は広場にはカメラはない(広場を撮影する報道のカメラはない)ことになっていて、前日には「明日は広場にカメラがないので、ひどいことが起きる可能性が憂慮される」といったtweet(英語)を、私はたくさん見た。現地の人権組織筋などからもそういう指摘があった。軍は、今のところは「中立」で、それについては「勢力引き離しと平和維持をするだけの簡単なお仕事ですかそうですか、こっちきてくれ」みたいなメッセージを英語で何度も見ている(現地民主化筋)。つまり命令次第では「軍がデモ隊を潰しにかかる」可能性だってある。「天安門」を覚えていますか、だ。水曜日までは「血の日曜日」を覚えていますか、だったのだが、馬・ロバ・ラクダの乱入とあの投石・火炎瓶の嵐のあとでは、もはやその段階ではない。

アルジャジーラの「ザ・オトコマエ」ことダン・ノーランは、日本時間で4日から5日の早朝に、こんなことを書いていた。(なぜ彼が「ザ・オトコマエ」なのかは、もう少し下に書くと思う。)

the Aljazeera live shot of Tahrir Sq had to be pulled as it was putting our lives at risk. Will be back up as soon as its safe to do so
http://twitter.com/nolanjazeera/status/33297648815448064

Don't worry Aljazeera will be covering/recording/documenting whatever happens in Tahrir on Fri #Egypt #jan25
http://twitter.com/nolanjazeera/status/33301032054300672

Once again, a big thank you for all the msg's of support & concern over past few days!!! Really appreciated by all jazeera staff
http://twitter.com/nolanjazeera/status/33303050542120960

Sadly i'm catchin plane out of cairo today. Threats to us been a bit too much. Need to spend some time with family & hope to return soon
http://twitter.com/nolanjazeera/status/33502210444763136

For all latest on Tahrir sq be sure to follow @AymanM or @evanchill Aljazeera still exceptionally well-covered despite ALL the challenges!
http://twitter.com/nolanjazeera/status/33502272348618752

Once again thank u so much for all supportive msgs bout our coverage in #Egypt! U guys make it feel good to b a journo! Can't wait to return
http://twitter.com/nolanjazeera/status/33585449092136960

ノーランがこう書いているころ、アルジャジーラのカイロ支局は燃やされていた。最終的に機材がほぼ全滅という被害だった。

アルジャジーラは今回最も早期から現地入りした国際メディアだが(国内メディアは今回の抗議デモは無視した)、それでも初日、つまり1月25日は現場にいなかった。

しかしいったん中に入ると、いつも以上にものすごい報道を連発。そしてすぐにライセンス(メディアとしての活動許可)を取り消され、1月30日にはオフィスで機材押収と伝えられ、翌31日にはノーランら6人が一時身柄拘束されて機材押収&携帯電話など押収。このようなあからさまな妨害を受けつつ、ときどき「記者の名前と顔は安全のため示すことができません」の状態になりながらも、まったく止まる気配がない。2月2日には機材を取りあげられて普通のマイクがないようで、ピンマイクを指でつまんでゲストに向けてインタビューするとか……いやもう、とにかくすごい。最もすごかったのはダン・ノーランによるこの取材だ。動乱の初期において、カイロ以外の都市に入り、そこのモルグを取材、「息子の死を嘆く母親や家族」をテレビの画面に出した。「国家が国民を殺している」ことを彼らは伝えた。そして、ノーラン本人の話だが、この報道が当局のご機嫌をそこねたようで、このあとジャジーラは嫌がらせを受ける。それでも退かないのがアルジャジーラ。

 on Twitpicこの仕事っぷりに敬意を表して「オトコマエTV」と私は呼んでいるのだが(左の写真はその儀式の様子)、由来は正確には私にあるのではなく、Twitter上のほかの方々が「ノーランはすごい」、「オトコマエだ」と話していたのを、私がパクってきただけだ。すいません。

なお、私が最初に「オトコマエTV」(およびその同意表現)を使ったのは1月30日のこれだ:
オトコマエ放送局アルジャジーラ、現地午後3時。カイロからの映像を流し、現地の人(セキュリティのため匿名)に電話で話を聞いている。 #egyjp http://bit.ly/VGnK
http://twitter.com/nofrills/status/31698751844257792


自分で自分のテクストを解析して判断するに、当初の意図は「隠語」のようだが、ガザでIDFに砲撃されても「ハマス戦闘員がいた」と言いがかりをつけられても全然びびらなかった(どころか、攻撃中に現場にいた唯一のメディアとして最大限の活動をしていた)あの放送局に「隠語」など必要なはずはないので、何を考えてこう呼ぶことにしたのか、自分でももうわからない。

「オトコマエ」という私のフザけた呼び方が多くの人に受けいれられたのは、これである。1月31日、アルジャジーラの取材許可取り消しのあと。
アルジャジーラのノーラン記者のオトコマエ・ツイート http://bit.ly/h5R2xQ 「うちは政府に閉鎖されることには慣れっこなのでご心配なく、何とかお伝えする方法を見つけますんで」 #egyjp
http://twitter.com/nofrills/status/31762216793407488


このあとは、その「伝える方法」を何とか見つけたのだろう、記者の名前・顔を「安全のため、お見せできません」の状態と、普通に出す状態とを華麗に切り替えながら(ああ、その切り替えの華麗さはまるでガナのパスワーク……)、連日ネットで生中継もしつつ、「エジプトの革命」の展開を伝えている。

その間、政府系民兵が「アルジャジーラ!」と叫んでよその報道機関のカメラマン(機材を持っている人)を追い掛け回すのを、ジャジーラのスタッフが目撃する、などの状況もありつつ。

で、そのアルジャジーラの仕事っぷりを、ワシントン・ポストが記事にして、それをCNN記者がRTしているというものすごい詰め合わせ状態のツイートがこちらです。





なお、ダン・ノーランについては下記のような次第で「ザ・オトコマエ」との敬称を捧げている。
「ザ・オトコマエ」の称号をダン・ノーランに。RT @abc_ijk_xyz: @nofrills ジーラのノーランにほれるね、軍司令官に報道を禁止されたのでジャーナリストとしてではなく、カイロの一人の自由人としてツイートしてる、だとよ。 #egyjp
http://twitter.com/nofrills/status/32353061921886208


それで、今一時的に「非公開」にしてあるのだが(安全確保に配慮をとの情報が複数の筋から来たので……少し様子を見ています)、彼らアルジャジーラの記者、CNNの記者など現地の取材者、現地在住の市民、在外エジプト人&アラブ人のツイートをまとめて、英語版のTogetterであるChirpstoryに「まとめ」てある。単に自分が、あとから参照できるようにと思ってのことだ。ご活用ください。

#Egypt #Jan25 Egypt: Al Jazeera's office in Cairo gets shut down and #SudanJan30
http://chirpstory.com/li/609

#Egypt #Jan25 Egypt: After Al Jazeera's shut down, and #SudanJan30
http://chirpstory.com/li/610

#Egypt #Jan25 Egypt: Sunday 30 January didn't turn into another Bloody Sunday
http://chirpstory.com/li/612

※この記事は

2011年02月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:52 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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