「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年01月30日

エジプト、国家の暴力装置は100人以上を殺し、略奪と破壊を行なっている。

エジプトで、略奪や破壊をおこなっているのは、反政府デモの人たちではないようです。政府側の雇われthugsというか、北アイルランドでいうとRUCのSBのような(←わかりづらい)……ガーディアンの中東専門ブライアン・ウィテカーが「よくまとまっている」とおすすめしていたブログから。

http://edwebb.posterous.com/egypt-regime-in-search-of-a-survival-strategy
Meanwhile, we can see another element of the regime's survival strategy. A ruling party member spoke to Al Jazeera English (by far the best English-language coverage among mass media organizations) and tried to paint the protesters as looters and thieves. If I'm reading the twitter stream correctly, though, it seems most likely that the looting and robberies going on in parts of Cairo tonight are chiefly the work of baltagis, the thugs who have traditionally acted as enforcers for the police and state security, and possibly of released and/or escaped prisoners. Residents are forming committees and patrols to defend their streets and properties, but mostly they do not have access to firearms, unlike the thugs. The army is not intervening, apparently, and the police have melted away. This suits the regime just fine


その他もろもろは、Twitterで。
http://twilog.org/nofrills/date-110129
http://twilog.org/nofrills/date-110130

以下、メディアの表紙。ガーディアンは「ベルリンの壁」のメタファーを持ち出している。





※この記事は

2011年01月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:50 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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