「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年01月12日

1981年ハンスト神話、絶賛解体中。

URLだけはっておくので、読んでください。ダニー・モリソンの発言。

http://sluggerotoole.com/2011/01/10/we-on-the-outside-finessed/

北アイルランド紛争について、特に「植民地の解放闘争」という方面である程度興味があって本とか読んでて、1981年ハンストのことをある程度知ってる人には、かなりショッキングだと思います。シン・フェインは嘘ばっかりってこと、把握しててもね。

なんか、「まだまだこんなもんじゃないでしょ」的な見方もあるみたいだけど、アダムズの外堀は完全に埋められている、いわばall your base are belong to us的な状況、という事実に変わりはないというか。それでも「世は全て、こともなし」なのが、ディア・リーダー。

ま、2011年の年末になれば「30年ルール」で1981年ハンストのときの機密文書も全部出てくるから(2010年年末に既に1980年の第一次ハンストの機密文書は出ている)、それまでに嘘は嘘と認められるのだろうけれども、そのときには既にジェリー・アダムズは「北アイルランドの政治家」ではなくなっているということ。

これらすべてから、あの「西ベルファストのリパブリカン」は、逃げる。それも少しもこそこそしたところなく、堂々と「南の政界に打って出る」ポーズを取って。

ハンスト神話の解体について、詳しく知りたい方は:
Uncovering the Truth About the 1981 Hunger Strike
http://www.longkesh.info/


1843511843Afterlives: The Hunger Strike and the Secret Offer That Changed Irish History
Richard O'Rawe
The Lilliput Press Ltd 2010-10-10

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@SteFoyLesLyonFr
「政治家」に必要な嘘と言うには凄惨すぎ。しかもまだ同時代。神話解体を伝えるのも神話創りに加担な訳で、、、。 RT @nofrills 1981年ハンスト神話、絶賛解体中。 | http://nofrills.seesaa.net/article/180251089.html
http://twitter.com/#!/SteFoyLesLyonFr/status/24972320015650816


@nofrills
@SteFoyLesLyonFr まさに。そして人々は「殉教者」の名は口にしない。「嘘」を必要とし利用した「政治家」は脱ベルファストの手順を淡々と進めている。既に「信じる」のは無効化し、彼の「嘘」を積極的に追及するか、彼と「嘘」を共有していなければ正気が保てない。そういう感じです
http://twitter.com/#!/nofrills/status/24977122439200768


B001L7XND2Hunger [DVD] [2008]
Stuart Graham
Pathe Video 2009-02-23

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※この記事は

2011年01月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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