「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年01月09日

アリゾナ州での議員ら銃撃事件について、英語のニュース系tweetをまとめてある。

【追記@9日夜】
BBCの下記記事が、何があったかについて、わかっていることをコンパクトにまとめている。撃たれた議員は、現時点で危篤 criticalと報じられている。事件で亡くなったのは、9歳の子供、判事、議員の補佐役を含め6名。合掌
http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-12144405


土曜日、ウィキリークスのいわば「中の人」たちのTwitter利用状況について、米司法省からTwitter社に情報開示を求める正式な書類が出されていたということがわかり、それについては別個に書きたいんだけども、ともかくその件で土曜深夜、そろそろ寝るベというモードに入っていたころにNYTの偉い人のTwitterアカウントをチェックして、仰天(本当に天井を仰いだ)。リアルタイムで、アリゾナで議員が撃たれたというニュースが速報されていた。

事件があったのはツーソン(トゥーソン)という町で、撃たれたのは民主党の下院議員(40歳の女性)。地域のスーパーマーケットで有権者と直接話をするというイベントをやっている最中に銃撃され、議員以外に何人も撃たれた(うち何人かは絶命した)とのことで「えっ、何ごと?」という感じ。

そのまま、何があったのかを確認している間に、ロイターとNPRが議員の死亡を報じ、それを自分でも日本語でツイートしてしばらくしたら今度は「死亡していない」となり(最初、警察筋で死亡と説明があり、次に病院筋から死亡していないとの説明があったとのこと)……という具合で、とにかくめまぐるしかった。最終的に、議員は死亡していない(重態)が、判事が死亡、ほか巻き添えで子供も殺された。

そこらへんの英語のニュース系のtweetsを、chirpstory (Togetterの英語版) でまとめてある。(PBS, NYT, HuffPo, CNNなど報道機関のツイート中心。)
http://chirpstory.com/li/413


Twitter上でどのように情報が錯綜し、どのように修正されるのか、という点からも興味深いサンプルになっていると思う。(実際には、「死亡していない」ということが確定した何十分か後になってからも、「死亡した」という古いニュースが流され続ていたのだが、それはまとめた段階で削ってしまってはある。)

(なお、2009年のイラン選挙後の大規模抗議行動でのTwitter上での情報流通で最もややこしかったのがまさにこの点だった、あのときは現地の英語話者がいろいろ回避策を講じて規制をくぐってtweetしてくれていたのと、在外イラン人で情報が確実な筋からのtweetで「その情報はもう古い」といったことを判断していたのだが、今回、情報のアウトレットに特に制限のない英語圏で起きた出来事ということで、イランのときほどの錯綜は見られなかったし、妙な工作員(情報撹乱担当)が介在する余地もないので、錯綜はしても混乱はしていなかった。)

今回のツーソンの事件は、「アメリカの銃乱射事件」(今回「乱射」かどうかは微妙なところだが)にありがちな「犯人射殺」または「犯人自殺」という結末とは違い、銃撃犯はその場で取り押さえられ、身柄を確保されているので、普通に尋問・聴取、起訴……という手続きの中で、動機なども明らかにされていくと思う。そうでなければ救いのなさすぎる事件だ。



Chirpstoryのまとめがかなり分量が多くなってしまったので、今度はTogetterでダイジェスト版みたいなのを作った。こちらは日本語での私のツイートもいれてある。


しかしこの事件、加害者が……私のTLで何人もが同じことを言っていたのだけど、いわゆる「責任能力」的にどうよ、という。だからすごく気分が重い。

仮にその「責任能力」の点が問われないとしても、コンテクストが……そのコンテクストの説明をするだけでも下劣さに耐えられないものがあるので具体的には書かないけど。

http://www.guardian.co.uk/world/2011/jan/08/gabrielle-giffords-shot-tucson-arizona
http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-12143774

※この記事は

2011年01月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:50 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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