kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月29日

ガザ攻撃(キャスト・レッド作戦)から、2年。



昨日(27日)、ウィキリークス関連の英語tweetをTogetterでまとめる作業をしていたときに、#Gaza2 というハッシュタグに気づいた。2008年12月27日の、イスラエル軍によるガザ地区包囲攻撃、「オペレーション・キャスト・レッド Operation Cast Lead」の開始から2年、という機会に、Twitter上でパレスチナ人(その多くは在外……彼らがなぜ「在外」になっているのか、彼らにとっての「在内」とはどのような状態か、なども考えなければならない)やパレスチナ支援の人々がそれぞれの「ことば」とニュースを共有しよう、というハッシュタグだ。

わたしには、「ことば」を共有するための活動しかできない。その範囲でできることはすべき、というかしないではいられない。

というわけで、単に集めただけだが:
#Gaza2 - Tweets in English, Arabic, Spanish, German... キャスト・レッド作戦から2年
http://togetter.com/li/83864


最初のほうは、@avinunu(ニュースサイトElectronic Intifada創設者のひとりとしても知られる若き思想家・活動家、アリ・アブニマ)と、@marmite_news(英国で、個人的にピンときたニュースをTweetしている人のひとり)が #Gaza2 のハッシュタグで投稿したもの、次に、私がチェックできた時点(28日午後から夜)のこのハッシュタグでの人々の投稿――英語だけでなく、アラビア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語などなど―ー。

それら、多言語で綴られた「ことば」の多くを、私は「読む」ことはできず(英語とフランス語しか読めないので)、それでもそこに「ことば」があるということで、人は(国境とかも超えて)つながるんじゃないかという、今より少し若かった頃の理想がほんの少しだけ蘇るのを感じつつ――今の私はその「理想」を見るためには、あまりに絶望しすぎている――、無心で文字を追う。

ほかに、何ができようか。



生きて未来をその目で見ることのない者たちのために

その場にいなかったわが身を悔やむ
何もしてやれなかったわが身を悔やむ
流された涙に悲しみをおぼえる
あなたがたが地獄を経験せねばならないというのに、わたしは

かほどに悪役とされ批判されてきた民たちよ、あなたがたこそ文明の揺籃


「生きて未来をその目で見ることのない者たち」――3週間にわたる空と陸からの攻撃で、1,415人が殺された。うち、352人が18歳未満の子供だった。

その、子供たち全員の名前のリストを、Togetterでまとめていて知った。

April 14, 2010
Operation Cast Lead: 352 children killed - Defence for Children International
http://www.dci-pal.org/english/display.cfm?DocId=917&CategoryId=1



名前と年齢、死んだ場所が淡々と並べられたこのリストの、名前にはひとつひとつ、その死の状況を綴った英文PDFがリンクされている。

「ガザ」とか「ハンユニス」とか「ラファ」とかいった「有名な」地名だけではなく、あの攻撃で知ることになった地名が、いくつも、並んでいる。Zeitoun, Khuza'a (Ko'zaaなどとも)など。

スクロール・ダウンして適当にクリックして、開いたPDFを見る―― 325. Ismail Hussein Yaseen (17), az-Zeitoun, Gaza City, GAZA...イスマイル・フセイン・ヤシーン(17歳)、ガザ市ゼイトゥン。



PDFによると、この17歳の子の最期は、概略、次のような感じだ。

2009年1月9日、午後3時半ごろ。イスマイルの家の近くの果樹園から、武装勢力メンバーがロケットを撃った。一瞬の静寂。イスマイルは様子を見に外に出た。そこでおじのハミース・ヤシン(36歳)と出くわした。無人偵察機が空を旋回していた。イスマイルはハミースに、誰か怪我してるといけないから見てくるといって、果樹園に向かった。その数分後、大きな爆発音がした。土ぼこりと煙がおさまったときにハミースが見たのは、地面に横たわる2人の人間。1人はイスマイルだ。

左目には穴があいていた。ひどい出血だった。

ハミースは兄を呼び、イスマイルを安全なところに運ぼうとした。そのときまた爆発。なんとかして搬送すると、ハミースは心配蘇生を試みた。10分後、若者たちの自家用車で、イスマイルはシーファ病院(ガザ市の最大の病院……攻撃中毎日、イスラミック・リリーフのハセムさんがここから報告していた)に運ばれた。イスマイルはICUに入った。医師団はハミースに、砲弾の破片が左目から頭に入り、脳に留まっている、と告げた。

翌10日、午前2時ごろ、看護士がハミースと、イスマイルの母に、イスマイルの死を告げた。

――イスマイルの死は、キャスト・レッド作戦においては、さほど「ひどい」話ではない。ゼイトゥンでは、例の、「一家皆殺し」(イスラエル軍が「民間人はこっちの家に避難しろ」と指示しておいて、人々が避難した家を攻撃し、26人が殺された)という滅茶苦茶なことが起きている。

それに「比べれば」――ああ、私はこういう「ニュース」に接するうちに、確実に、人の心を失っている――、イスマイルの死は「さほど滅茶苦茶ではない」ように思える。

実は絶対的に「滅茶苦茶」なのに。

生きて未来をその目で見ることのない者たちへ。

済まない。ごめんなさい。何もできなかった。

※この記事は

2010年12月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:01 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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