「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月24日

ブラッドレー・マニング上等兵から、クリスマスに。

この子、「天使」だ。

「皆さんのご支援、ご声援、大変感謝しております。私の弁護のためにいろいろとしてくださっていることについても、篤く御礼申しあげます。そこでどうかお願いです。今この時期に、軍で派遣され重要な任務を行うため、大切な人たちと離れ離れになっている人々のことを、思ってください。私は、ともに(イラクに)派遣されていたみんなのことを考えています。もう7ヶ月も顔を見ていませんが。それから、ここクアンティコの軍事刑務所のスタッフのことも。この人たちは、家族に会わずに、クリスマスを過ごすことになります。」


ブラッドレー・マニングは23歳。米陸軍の情報部門のヒラ兵士で、今年のウィキリークスの大型リークすべて、つまり「コラテラル・マーダー」(イラク戦争でカメラを持ったジャーナリストを「RPGを持った武装勢力」と決め付けてけっこうな人数の一般人の集団をヘリから攻撃し、負傷した人を搬送しようとする車まで銃撃した戦争犯罪の一部始終)、「アフガン戦争ログ」、「イラク戦争ログ」(いずれも軍の報告書)と、この1ヶ月メディアをにぎわしている「ケーブルゲート」(米外交文書)のリーク元として軍に身柄を拘束されている(最初はイラクで拘束され、クウェートに送られ、現在は米国の軍刑務所)。起訴の手続もないまま、7ヶ月。

そして「1日のうち23時間は他人との接触がない」とか「運動は足に鎖をつけて何もない部屋を歩くことしか許されていない(腕立て伏せや腹筋などしようとすると阻止される)」とかいった彼の拘束状況について、Salon.comのグレン・グリーンウォルドをはじめ、多くの人々が懸念を抱き、ついには国連(拷問に関する特別報告者)が調査を開始したことがコンファームされたばかりだ。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/dec/23/un-treatment-leaks-bradley-manning
http://www.salon.com/news/opinion/glenn_greenwald/2010/12/23/manning/index.html

マニングの友人で、MITの研究者でありfiredoglake.comというリベラルのニュースブログのメンバーであるデイヴィッド・ハウスさんが、先週末、クアンティコに面会に訪れているが、彼がMSNBCのニュース番組でインタビューに応えている映像が、firedoglakeTVによってアップされている。7分弱。



ハウスさんは、いかにも頭脳明晰な人だが、先週末の面会のあと、かなり時間をかけてアップした記事が下記。最初は「火曜日中にはアップします」とtweetしていたのが、結局木曜日になった。

Bradley Manning Speaks About His Conditions
By: David House Thursday December 23, 2010 6:08 am
http://my.firedoglake.com/blog/2010/12/23/bradley-manning-speaks-about-his-conditions/

記事によると、米軍側は「怪我の防止」(つまり自傷を防ぐということ)を名目に、マニング上等兵の運動を厳しく制限している。しかし実際には、これは「心理的拷問」である――「拷問」というと「殴打する」とか「爪を剥がす」とかいったイメージ、あるいはブッシュ政権下で問題となった「ウォーターボーディング」のように、何らかの物理的な力を加えられるものという印象があるかもしれないが、「何もさせない」ことで被拘束者の自由を徹底的に奪い、精神的に追い込むという拷問もある。

少し引用:
Manning is held in "maximum custody," the military's most severe detention policy. Manning is also confined under a longstanding Prevention of Injury (POI) order which limits his social contact, news consumption, ability to exercise, and that places restrictions on his ability to sleep.

Manning has been living under the solitary restrictions of POI for five months despite being cleared by a military psychologist earlier this year, and despite repeated calls from his attorney David Coombs to lift the severely restrictive and isolating order. POI orders are short-term restrictions that are typically implemented when a detainee changes confinement facilities and these orders are lifted after the detainee passes psychological evaluation.


当局側は、マニングとウィキリークスのジュリアン・アサンジの間には個人的なつながりがあり、アサンジがそそのかしてマニングがデータを盗んだ、というストーリーを立証したいようだ。ただしそのストーリーは、おそらく、フィクションである。

ハウスさんはマニング上等兵に面会を許されている数少ない友人の1人で、当局側の立会人と監視カメラの前で、彼と雑談(コンピューター・サイエンスの話、物理学の話、など……マニングは大学に進んで学位をとりたがっている)をした。マニングは元々自分のことはあまり話題にしない控え目な性格で、この日の面会でも、拘束状況についてはあまり語らなかった。

それでも2時間半話をして、ハウスさんは、マニング上等兵の置かれている状況について、当局側の説明と食い違っている点をいろいろ見つけた。そのことが、メディア(salon.com, ガーディアンなど)での報道の流れとともに読みやすくまとめられているのが上記の記事である。少々長いが、必読である。

デイヴィッド・ハウスさんのTwitter:
http://twitter.com/#!/davidmhouse

ブラッドレー・マニング・ディフェンス(弁護)ファンドの詳細は:


さて、マニングが「漏洩元」であるということは、エイドリアン・ラモという「ハッカー」がマニングとオンラインで話をして明らかにしたのだが、このラモの「ハッカー仲間」で、常にコンビを組んでメディアに出てくるケヴィン・ポールソンという人に、ダン・ギルマーというジャーナリストが、「なぜラモとマニングのやり取りを全部公表しないのか」と質問……というやり取りが、今日、Twitterで行なわれた。クリスマス休暇なのでお互いそれぞれが席を外したりしていて時間がかみ合わず、まったく盛り上がらず白熱していないのだが、とりあえず、ギルマーの質問にポールソンは答えようとせず、逆にギルマーの述べていることについて揚げ足取りを試みて失敗している(ぶざまな「論点逸らしを目的とした質問返し」)。

そこらへんの経緯は、下記で一覧できるようにしてある。

「なぜ、Wiredはマニングとラモのやりとりを公表しないのか」(ジャーナリストのダン・ギルマー)
http://togetter.com/li/82372


*hat tip: Gohsuke Takama (@gohsuket)
タグ:WikiLeaks

※この記事は

2010年12月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼