「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月21日

【23日目】Wikileaks米外交文書大公開〜「イスラエル」など #WL_JP

23日目となり、日本語でしか情報を入れていない人たちと英語で情報を入れている人たちの情報共有の場作りなど見返りがなさすぎて馬鹿馬鹿しくてやっていられない(だって日本ではニュースって消費されて終わりなんだもん。それに何かっていうと「日本はどう言われているのか」、「日本はどのようなスキャンダルがあるのか」の話に回収したがる。「日本」が関係しなければ関心のカケラだって持たないんだろう。しかもジャーナリストでTwitter使っててWLの情報をRTして広めてる人は、“情報の消費者”にはできない「文脈の説明」をしようとしてない。その上「あなた英語できるんならこんなこと知りませんか」みたいなまったくこっちの書いてることも読んでないような質問とか、しらねーーーーよ)と思う今日このごろ、ガーディアンのウィキリークス特集、トップとなっていたのは、下記キャプチャを取った時にはすでにトップから落ちて、キャプチャ画面内の左下に行っているが、私にとっては「誰このおっさん」としか言いようのない件で、正直、どうでもいいです。このスタンフォードという人は、富豪でいろいろ汚くて、失墜したアメリカ人だそうです(←ろくに読んでないので的外れかも)。



このおっさんのほかは、別のおっさんの話ばかりです。シリアで大統領の補佐を射殺したおっさんはイスラエルのおっさんだったのではないかとダマスカスの米大使館のおっさんが書いているとか、イングランドのビジネスマンで富豪で「サー」の称号をもらったおっさんが中国でビジネスマンのおっさんたちとランチの集いをしているときに、中国のおっさんの「イギリス人は学があるがそれだけだ」とかいうどうでもいい中華思想のdisに反論しなかったとかいうことを、米国のおっさんが書いているのが今回のリークで漏れてイギリスに伝わったとか……おっさんを陥れる陰謀だと思います。背後にいるのはカール・ローヴかピーター・マンデルソンです(匿名の情報筋による)

あと、自意識過剰の性欲大魔神のナルシシストのおっさんがBBC Radio 4のTodayのインタビューでナルシシズム全開でサウンドバイトを連発しとったという話もありますが、私はそろそろあのおっさんがウザくなってきたので聞いてません。このインタビューについての情報は、下記に含めてあります。
http://togetter.com/li/81353

※「誰このおっさん」の出典:
http://orangeflower08.tumblr.com/post/2190177404/matakimika-on


※この記事は

2010年12月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼