「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月17日

ジュリアン・アサンジ、保釈

現在、日本時間17日午前2時半前。4時間以上前の16日午後10時過ぎに、ロンドンの高等法院でジュリアン・アサンジの保釈が申し渡された。保証人全員の署名を集めることができるかどうかなどで少しすったもんだらしきことがあったあと、先ほど、現地に張り付いているジャーナリストから「書類手続完了」のtweetがあったので、もうそろそろ姿をあらわすのではないかと思う。

ガーディアンのLive blog:
http://www.guardian.co.uk/world/blog/2010/dec/15/wiki-leaks-you-ask-we-search

Channel 4のLive blog (Twitter feed):
http://www.channel4.com/news/live-blog-julian-assange-appeal

映画『父の祈りを』のラストでのジェリー・コンロンのごとく、ジュリアン・アサンジは法廷の建物の正面玄関から出てくる。数時間前にSky Newsの人が伝えていたが、今日はアサンジ以外の誰も、正面玄関は使っていないそうだ。



そんなこんなでメディアのサイトのキャプチャと、Togetterのまとめ。

【追記@4時ごろ】





※追記ここまで

まず、保釈申し渡しの瞬間はアクセス殺到で激重になっていた(14日に現場からtweetしていた記者が、申し渡しの数分前というタイミングで、今日は担当を外れてよそからツイートしていたときに言及されていたのでアクセス急増したのだと思われる)という、「ガーディアン」という名前に負けすぎなガーディアン。



Togetterでのまとめ……こういうときに限ってTogetterがクソ重いために情報の整理整頓もできないのだが、編集前の素のデータということで(いつもあまり編集はしないけど、これはPart 4とのダブりがあるのを外したい):
【Part 5】ウィキリークスに関する日本語ツイート #wl_jp タグまとめ(12月16日)
http://togetter.com/li/79804

アサンジの保釈審問についてはこのまとめの頁の後半です。

ジュリアン・アサンジ保釈申し渡しの瞬間、Channel 4のLive blog (Twitter feed): http://bit.ly/hsiqCx
on Twitpic

BBCは、Kwoutを通すとUS版でキャプチャされちゃうんだけど、こうなってた。トップはアフガン報告書(先日亡くなったホルブルックの最後の仕事のひとつ):



でも私が東京で普通に接続して見たトップページは、トップニュースはジュリアン・アサンジ、二番目がアイルランドの中絶禁止が人権侵害に当たるという判断がECHRで示された件で、アフガンはちょっと下の方にあった。一応キャプチャあります。



From:
http://www.guardian.co.uk/news/blog/2010/dec/16/wikileaks-latest-julian-assange-bail-appeal#block-64
the text of Assange's full statement delivered outside the court on his release:

It's great to smell the fresh air of London again.

First, some thank yous. To all the people around the world who have had faith in me, who have supported my team while I have been away. To my lawyers, who have put up a brave and ultimately successful fight, to our sureties and people who have provided money in the face of great difficulty and aversion. And to members of the press who are not all taken in and considered to look deeper in their work. And I guess finally, to the British justice system itself, where if justice is not always the outcome at least it is not dead yet.

During my time in solitary confinement in the bottom of a Victorian prison I had time to reflect on the conditions of those people around the world also in solitary confinement, also on remand, in conditions that are more difficult than those faced by me. Those people also need your attention and support.

And with that I hope to continue my work and continue to protest my innocence in this matter and to reveal, as we get it, which we have not yet, the evidence from these allegations. Thank you.


※この記事は

2010年12月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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