「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月13日

【15日目】Wikileaks米外交文書大公開〜「北アイルランド」

一昨日の「ヴァチカン」でアイルランド共和国に関する資料が出てきそうな気配があったのだが、週明け月曜日、ついに来た。正直、こんなものをこういうふうに目にするとは思っていなかった。

まさにウィキリークスの本領発揮、事柄としては「うん、知ってたよ」と誰もが言うことであっても、それを裏付ける「証拠」がつかめず、また当局は否定――北アイルランドではありふれたこと。ガーディアン、本日の公開ファイルはその北アイルランドである。



【資料】パット・フィヌケン殺害事件とは。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/114128411.html

※追記予定

記事見出しが読める程度の分割キャプチャ:




ガーディアンがトップページにパット・フィヌケンの笑顔の写真(メディアではまず使われないような家族写真のようなもの)を持ってきて既に数時間経過しているが、BBCは、現地日曜の夕方に更新されたきりだ。下記キャプチャでは北米のサーバでの時間で記録されてしまっているが(タイムスタンプがET)、現地時間では "12 December 2010 Last updated at 18:12 GMT" である。


BBC News NIがこういうときは、次にどかんと来るんだよな、多くの場合。長年の経験からして。ただ、BBCでNI報道(特に調査報道)をしていた重鎮が、2007年のNI自治政府再起動とブレア退陣を境に、BBCで仕事をしなくなってしまったらしいので(定年とかかもしれない)どうかわからない。BBCでNI紛争についての調査報道で最後にあった大きな仕事は、オマー爆弾事件の実行犯の携帯電話の通話をGCHQが追跡していた、という件だろう。もう2年も前だ。

ベルテレさん。中はまだ見ていないのだが、トップページでは「みんな知っていますが何か」の件、または "I can't believe it's not the IRA" の件(こればかりは、"Chuck Norris CAN believe it's not butter" のチャック・ノリスでも、信じられないだろう)が一番上、間に事件事故報道をはさんで、次がフィヌケン事件。



UTV。こちらも So what? なニュースがトップ。今日ほどこのヒゲメガネの写真を見たくない日はないのだが、がまんして見ましょう。間に事件事故報道があって、フィヌケン、という構成はベルテレさんと同じ。


ほんで、この人たち(シンフェインの2トップ)が、IRAによる銀行襲撃の計画を知っていながら、しれっと和平プロセスの交渉を続けていた(この時期は、「IRAの武装解除」が焦点だった)ことは、別に驚きでもなんでもないし、この程度のことが露見したからって政治的に立場をなくすとか失脚するとかいうことにはなりえない、この2人に限っては。(あ、あとベルルスコーニも同じ系統の「最強の人」だ。)

そういえば今思い出したけど、ノーザンバンクの現金強奪事件のとき、むろんあんなことがあんなに手際よくできるのは北アイルランドではあの組織しかないという推測(UDAとかはいろいろとアレなのでああいうプランは立てられない、という冗談も含めて)がリアルタイムで支配的だったことは確かだが、それにしてもあまりに断定形すぎて、「断定するのなら証拠を出すべき」と私はモニタのこちらで思っていた。ちょうどイラクで「武装勢力の拠点とされる家」などががんがん爆撃・銃撃・急襲されていたころだ。「〜とされる」、「〜と考えられる」、「〜といわれる」などに辟易としていたことを覚えている。

その断定形の背後にあったのは、おそらく今回出てきたこの情報だ。これはUSとUKとRoIの間で共有されていたことだし、報道はそういうオフィシャルな筋からの情報を得てなされるものであり……。

というところでRoIのメディア。アイリッシュ・タイムズ。


フィヌケンの件はスルー。ノーザン・バンクの計画をGAとMMcが知っていたという件は扱いあり。

RoIでのこういう扱いを見て、「そうか、これは古い情報のふりをした新情報だ。本題は『シン・フェイン・リーダーシップは知っていた』ではなく、ティーショクがそういうことだと把握していたということか」と思った。ここらへんは、「ピース・プロセス (TM)」の裏が掘ればいろいろ出てきそうなところではあるので、選挙前にいろいろ政局にしたい思惑があるのかな(現在の北アイルランド和平は、現在の政権党FFが進めたもの)とも思った。

しかし、さくっと検索してすぐにわかってしまったのだが、ティーショクが把握してたということですら既報だった。(Politics.ieの議論参照: http://bit.ly/i2sxw7

となるとなぜ『シン・フェイン・リーダーシップは知っていた』が今クローズアップされているのかが「?」である。フィヌケン事件についてのマニンガム・ブラーの発言は新しいのに注目されていない……

それはやはり来るべき総選挙を前に、勢いづいているSFへの警戒だろうか……



※この記事は

2010年12月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼