「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月10日

ウィキリークス・探し物は何ですか&【11日目】『ナイロビの蜂』

編集長が「ガーディアン編集長だけど、リクエストある?」の呼びかけをしている。9日のガーディアンのlive updateのページの12.47pmに詳しいのだが、Twitterで、 @gdncables 宛てに「探してほしい単語、大まかな時期、発信元大使館の場所」を送信してください、とのこと。例えば @gdncables Oil Spills June 2003 Angola というように。(こういう場合、かなりの部分をソフトウェアで処理すると思われるので、かっちりした文章にせず、単に単語の羅列にしたほうがよいと思う。)

今回の文書は2005年から2009年のものがほとんどなので、その範囲で何か特定のトピックについての米外交政策上の一次資料を知りたいという方は、頼んでみるとよいと思う。私はとりあえずどんな返事がもらえるのかなというのがあって、2005年から2007年という大雑把な枠で(ガーディアンには迷惑だったかも)「沖縄」、「普天間」で尋ねてみた。お返事をいただけたらブログとTwitterでシェアします。

あ、あと今回の資料には「トップシークレット」は入っていないので(普通の会社でいうと、「ヒラ社員がアクセスできる社外秘の情報」という感じ)、あまりコアなことは調べられないと思います。

それと【11日目】のガーディアン表紙第3弾は……これ、普通に取材して記事にしてたら壮大な前振りを伴った大スクープだったと思う(一昨日の「サウジとレバノン」もすごかったけどこれは…):


※この記事は

2010年12月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼