「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月07日

レスするのは自由。でも最低限、こっちの書いてること読んでからにしてくんないか?

今しがたTwitterであったことについて。

若干しつこいのですが、明示しておかないといくらでも好き勝手に読み替えられて、私が言っていないことまで私が言ったことにされたり、文脈をたがえられたりすることがあり、そのようなことになると恐ろしいほどの時間とエネルギーの無駄遣いをさせられるので、以下、予防線的に明示しておきます。

なお、以下はTwitlongerで投稿したものの写しです。(ブログに転記の際、URLをハイパーリンク化し、アカウント名の一部をアステリスクで置き換えました。)
http://www.twitlonger.com/show/7bu3qd

1) @abu_mustafa (京都文教大の野口雅昭教授) が、ブログ「中東の窓」に新しいエントリ、「サメ事件(モサドの仕業?)」を書いたことを告知(自動フィード)

2) @nofrills (私) がそのエントリを読んで、一文を引用。「引用」であることを明示した上で引用した文は「やれやれ、いくら悪名高い(令名高い)モサドでもこんな荒技は無理と言うものでしょうが、それが真面目に取り上げられるところが中東です」。タイムスタンプは18:12:41。

3) @omtt** が2の私のエントリに返信。文面は「モサドの仕業かどうかわからないんですけど、そういう説は一つの材料として上がって議論くらいはいいんじゃないですかね。 陰謀論についてあまりにも無防備にしてたらかえって危険。」タイムスタンプは18:15:13。

4) @nofrills (私) が3に対し、まずは「野口先生のブログの記述へのご意見は、野口先生のブログのコメント欄にどうぞ」と事務的な返信。タイムスタンプは18:17:01。

5) その上で重ねて、3の「議論くらいはいい」との主張に対し、「『議論』って…議論が成立するんすか、これ。サメをけしかけて人を襲わせるという技術が既にあるのなら、誰かがそれを使ったとかいうのが『議論』になるかもしれませんが」と対応。タイムスタンプは18:19:50。

6) @omtt** が5の私のエントリに返信。文面は「しかしあれほどのアメリカ国務省の外交公電25万点ですか、とてもじゃないけど、国務省内部の中で1人で収集して漏洩するようなことは不可能に近いと思いますけどね。」タイムスタンプは18:23:11。

7) 6に対し、「何についての話をなさっているのですか。エジプトの観光地のサメの話ではないのですか」と返信。タイムスタンプは18:23:51。その後、返信なし。現在18:59。

一連のやり取りをキャプチャ画像で:
http://yfrog.com/48d71p

※画像クリックで原寸表示。
タグ:ネタ

※この記事は

2010年12月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:12 | TrackBack(1) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。
Excerpt: 「陰謀論 conspiracy theory」についていくつかTwitterに投稿したものをまとめておく。こういうのは、断片のまま存在させておくことは望ましいものではないからだ。 まず、はっきりさせ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2014-11-22 18:39

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼