「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年11月27日

ウィキリークス、超特大リーク直前

11月22日、WikileaksのTwitterアカウントがこんなことを告知した――「次に流すのは、サイズ的にはイラク戦争ログの7倍あります。これについては何ヶ月にもわたってきついプレッシャーがかけられてきました」。メッセージの末尾には「お力添えを」として寄付のURLがはられている。


その一時間後には、Wikileaksはこんな投稿をしている。「この先数ヶ月で世界はすっかり変わります。地球の歴史が、再定義されます」。


これが投稿されたとき、Twitter上では「今度は何が明るみに出されるのか、楽しみだ」といった言葉以外に、「大袈裟だなあ」といった言葉が多く見られた(Wikileaksのワード検索)。

「大袈裟だなあ」という反応は、この段階では当然のものだった。何も情報が与えられていなかったのだから。

しかし、今日27日に何が来るのかがだいたいわかってくると、必ずしも大袈裟ではないと思えてくる。26日の朝(日本時間)、ウィキリークスはそれが「外交での秘密裏の取引」に関するものだということを語った。「外交」、つまり「インテリジェンス」である。

今回リークされるのは、米国が大使館を置いている各国でどのようなことに関わってきたかを示す文書だ。既に26日の昼間(日本時間)には、カナダ、オーストラリア、英国、デンマーク、ノルウェー、イスラエルなど同盟国に置いている米国大使館を通じて、各国にブリーフィングが行なわれたとAPやAFPなど大手通信社が報じている。27日早朝(日本時間)にはイラクロシアでもブリーフィングが行なわれたと伝えられている。

リーク直前の様子はTogetterにまとめてある。
#Wikileaks tweets (26 November 2010) 米外交文書大量リーク直前
http://togetter.com/li/72915


Twitterには、英語はもちろん、イタリア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語(やけに多い)、ロシア語、トルコ語、ギリシャ語などなど、ほとんど言語博覧会の様相を呈しつつ、ウィキリークスの次のリークについての(おそらくは)報道機関の記事のURLなどがたくさん投稿されている。

Wikileaksもノリノリで、ポスター(というかデスクトップの壁紙)を配布しているくらいだ。
http://twitter.com/#!/wikileaks/status/8024096495374336
http://twitter.com/#!/wikileaks/status/8024795262226432

そんな中、英国では報道機関のニュース編集長に対し、英国政府から "D-notice" が出ている、とWikileaksがtweetした。
http://twitter.com/#!/wikileaks/status/8206637680558080
UK Government has issued a "D-notice" warning to all UK news editors, asking to be briefed on upcoming WikiLeaks stories.


D-notice の "D" はDefenceでつまり「国防」。詳細はウィキペディア参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/DA-Notice
※1993年にDA-noticeと呼称が変更されたそうだが、意味合いは変わらない。

これを受けて、今回もがっつりとWikileaksとタッグを組んでいるのであろうガーディアンの編集長は:


この点について、BBC World Affairs producerの人は:



※この記事は

2010年11月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼