kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年11月15日

アウンサンスーチーさんのNLD本部前での演説全文 (via @asahi_kokusai )

これは朝日新聞(国際)の超GJだ。アウンサンスーチーさんのNLD本部前での演説、全文をウェブに掲載。



上記tweetのリンクは「その1」の1ページ目にリンクしている。そして「その1」が3ページある。
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150042.html

Tweetで「長文で何ページにもわたります」とあるのは、「その1」だけではない、という意味。これが少しわかりづらいかも。(「その1」の末尾、最後の「。」の直後に「その2」へのリンクがあればいいのに! 新聞社のリンク規定だと無理なのかな……。)

以下、少しずつ引用しながら、URLをすべて列挙しておきます。

【スー・チーさん演説全文(その1)】
Page 1: 「期待するだけでは何もできません。期待することを実現するためにどうしたらいいか。実現する際にも正しい方法で行動する必要があります。……私の経験から言って、正しい方法で行動しなければ目標が正しいものではなくなってしまうからです。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150042.html

Page 2:「私たち…は、何でも『これは運だ』と考える傾向があります。……運というのは行動に基づくものです。運と言っても、自分がやったこと以上にはなりません。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150042_01.html

Page 3:「私たちに何を言ってくれても構いません。言いたいことを伝えてください。私と意見が違ったときには私は反論します。これが民主主義の基本である言論の自由です。言論の自由というのは勝手に文句を言い合うことではありません。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150042_02.html

【スー・チーさん演説全文(その2)】
Page 1:「今、私がここに出てきた時に最初に何を見つけたかというと、たくさんのカメラ付きの携帯電話です。……私は昨日、初めて使いました。6年ほど前はこんなものはありませんでした。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150043.html

Page 2:「私が言いたいのは、失望しないでくださいということです。我が国の状況を見て、失望したくなるときもあります。今まで何も変わらず、発展もしていないという思いもあるでしょう。しかし、失望する理由はありません。私たちは努力しなければなりません。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150043_01.html

Page 3:「私1人ではできません。私1人ではやりたくありません。1人で行動するのは民主主義ではありません。この考えを忘れないでください。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150043_02.html

【スー・チーさん演説全文(その3)】
Page 1:「誰も政治から離れることはできません。『政治は自分とは関係ない、政治にかかわりたくない』と言うのは政治を理解していないからだと思います。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150044.html

Page 2:「私は国民との間で、すべての人たちとの間で対話を続けていきます。……すべての人が同じ意見ということはあり得ません。そのような別の意見を受け入れることも民主主義の考えの一つです。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150044_01.html

Page 3:「国民の理解を得るということはそういうことです。国民の信頼、理解を得るためにするのです。票を得るためにするのではありません。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150044_02.html

【スー・チーさん演説全文(その4)】
Page 1:「一緒に行動してこそ実現するのです。期待だけで実現するのではありません。欲しいと思うだけで得ることはできません。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150045.html

Page 2:「私は拘束を受けていた期間、私の警備の担当者たちは私に対しとても良く接してくれました。私は事実を言っているのです。……感謝しています。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150045_01.html

Page 3:「感謝するという言葉について話をさせてください。心を強く持ってください。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150045_02.html

【スー・チーさん演説全文(その5)】
Page 1:「私は物ごいはしたくありません。皆さんも物ごいをしたいという気持ちがあるとは思いません。自分の進歩のために、当然の権利がほしいだけだと思います。」
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150046.html

Page 2:「これまでに命を落とした民主化活動家に敬意を表したいと思います。獄中にある民主化活動家にも敬意を表したいと思います。すべての活動家が釈放されるように祈りたいと思います。」(おわり)
http://www.asahi.com/international/update/1115/TKY201011150046_01.html

一方で英語圏では、外国からのビルマ軍政に対する「経済制裁」(ボイコットを含む)について、アウンサンスーチーさんがどう考えているかが大きく報じられている。(昨日の時点でBBCの電話インタビューでもかなりがっつりと話題にされていたことだが。)

Aung San Suu Kyi could call for lifting of Burma sanctions
http://www.guardian.co.uk/world/2010/nov/14/aung-san-suu-kyi-burma-sanctions


※この記事は

2010年11月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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