「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年11月03日

米中間選挙でCalifornia Uber Alles(付:「投票しました」のtweets)

今日、最初に入ってきた「当選確実」は、ケンタッキー州の上院議員だった。つまり、ランド・ポール。筋が通っていることだけは政治的スタンス関係なく誰からも一目置かれているらしいロン・ポールの息子だが、ランドはお茶会野郎の一人だ。(まあ、お茶会も「オバマにNO!!!!!!!!!!」という点で筋が通っていることだけは政治的スタンス関係なく誰からも一目……置かれるというか、ドン引きされるよな。)Twitterの私のタイムライン上にいる米国人複数は「ま、ケンタッキーだからね」、「想定の範囲内」というような反応をしていた。【→詳細は選挙tweetsまとめで。この「まとめ」については後述。】

というわけで、米国の中間選挙だ。私はそれについて何か説明できるほどの基礎はないが、英語圏のニュース(映像ではなく、文字のもの)は一応横目で見る程度には見ている。今回は上院の選挙が何ヶ月も前から大きな関心を集めたが――ひとえに、なんとかというお金持ちが資金を提供している「俺たちリバタリアン(笑)」な脳内花畑のお茶会野郎のインプレッション向上計画ゆえに。それでも、メディアが「アホの坂田」のようなツラをした学歴詐称の痴れ者を追いかけ続けたのは本当に意味がわからないのだが――、結果としては、上院は民主党の辛勝、下院が民主党大敗、全体としては民主党大幅後退だそうだ。現地のテレビは、民主党(や、そのほかリベラル陣営の政党)の支持者は見たくなくなるような感じになっているらしい。

そんなこんなで「ふーん」と何となく見ているときに、「は?」と思ったのが下記のtweet。


カリフォルニアの州知事選挙については、共和党から立候補したeBayで知られる実業家(メグさん)が私財を投じて選挙戦を進めている、ということは知っていたが(上院に出た元ヒューレット・パッカードのフィオリーナと「女社長コンビ」みたいに扱われていたので)、対抗馬が「ジェリー・ブラウン」だとは知らなかった。上記のツイートでそれを知らされたときも、同姓同名なのだろうと思っていた。しかし!

特に理由なくすぐに見つかった記事が英国の報道なのだが、デイリー・テレグラフで "Jerry Brown, elected Governor of California in 1974. Re-elected last night" という見出しを見てびっくりした。ほんとにCalifornia Uber Allesの「ジェリー・ブラウン」かよ。30年以上経過しているのに!

1979年のデッド・ケネディーズ(以下、デッケネ)によるこの曲は、こんなふうに始まる。
http://www.azlyrics.com/lyrics/deadkennedys/californiauberalles.html
I am Governor Jerry Brown
My aura smiles
And never frowns
Soon I will be president...


実際には、ジェリー・ブラウンは大統領にはならず、知事を2期(1975−83)務めたあとオークランドの市長になって(1999−2007)、その後はカリフォルニア州のアトニー・ジェネラル(2007−)。ここで再度知事選に立候補して、メグさんをやぶって当選。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jerry_Brown

年齢は……72歳ですってよ! 日本の政治家の感覚では特に高齢ではないし(でも「知事」としては高齢よね)、米国でも「民主党重鎮」とか言われる政治家はこういう年齢まで仕事していることがよくあるけど、ずっと続けているのではなく戻ってくるかね。

というわけで、California Uber Allesを元にしたデッケネの後年の曲、We've got a Bigger Problem Nowが頭をぐるぐると……。



でもこの曲は、「(州知事よりも)大統領がとにかくひどい、ほんとにひどい」ということをレーガン大統領について歌ったものであり、歌われた時期は、歌詞には出てこないが米国がイラン・イラク戦争でサダム・フセインを大々的に支援していた頃で(あ、でもアフガニスタンは歌詞に出てくる。イランのシャーも)うん、まあ、何というか……今もあんまり変わらんのう。。。ただ、今の大統領は本当に本当にひどかったブッシュではない、というだけで。


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さて、今回の選挙についておもしろかったのが、"iVoted" のキャンペーンだ。「投票することがクール」というイメージ作りが前回の大統領選挙以後続けられているらしい。TwitterやFour Squareでは、「投票しました」の申告で特別な画像が表示されたりバッジがもらえたりしたし(右の図はTwitterの #ivoted の画像)、実際に投票所に足を運ぶと「投票済」のステッカー(シール)がもらえて、それを見せると飲食店の割引サービスが受けられる、などの特典もあった(日本でも、投票所の出口のところで係の人に言えばもらえる投票済証明書で観光施設が割引になるなどのサービスが実施されていることもある)。

Twitterでは、「中学生・高校生だから投票はできない」という人たちがこの画像を表示させたくて "Did #ivoted ...?" とか、"#ivoted. jk lol" とか "#ivoted for Justin Bieber" とか、さほど意味のないことを書き込んでいたりもした。

投票済みのステッカーは選挙区(州)ごとにデザインがいろいろあったようで、Twitterユーザーがあれこれアップロードしてくれてるのを見ると……うーん、やっぱこういう小さいもののフォントの扱いとか、アメリカは大雑把だなあ。

そんなことはさておき、それらのtweetsを1ページで閲覧できるようにまとめてあるので、ヒマなときにでも眺めてみるとおもしろいかも。「民主主義」というものに対してどういう言葉が社会で共有されているか、まさに「生きた英語」のサンプルです。

米国、中間選挙で『投票してきました』の声&大手メディア速報
http://togetter.com/li/65398


私が印象に残ったのは、何と言ってもこれ。
rosa parks sat, so martin luther could walk, so barack obama could run, so our children can fly. #ivoted
http://twitter.com/b_money_z/status/29509994969


「ローザ・パークスが座った。だからマーティン・ルーサーは歩くことができた。だからバラク・オバマは立つこと(英語ではrun)ができた。そして私たちの子供たちは飛ぶことができる」。

すべての投票所が締め切られたころのガーディアンのトップページ:



※この記事は

2010年11月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼