「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年11月03日

北アイルランド、「失踪者」のひとりの遺体発見か

ウィルソンさんのご家族の声明:
「今日は私ども家族にとって特別な日です。ピーターは37年間、行方知れずになっています。37年の間、ピーターのことを忘れたことはありません。何度も何度も、何が起こったのだろうかと考えてきました。今日、万聖節の日に、ピーターの遺体が発見されました。何が起こったのかがわかったわけではありませんが、少なくとも、これでようやく、キリスト教徒として埋葬してやることができます。今はまだ、いまひとつ実感はありません。作業開始時にきっと見つかると思っていたことは確かにそうですが、こんなに早く見つかるとは思っておりませんでしたので」

The Wilson family said: "This is a special day for our family - Peter has been missing for 37 years. For 37 years, we have missed him and have often wondered what happened.

"Today on 'All Souls Day' his body has been found; and while that does not tell us what happened at least now we will be able to give him a Christian burial.

"Right now it has not completely sunk in - we were hopeful when the dig began, but we did not expect a result so soon."
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/body-found-in-search-for-disappeared-14993612.html


前記事:
2010年10月27日 「北アイルランド紛争」の死者たちの声、そしてそれでも動じないであろうシン・フェイン
http://nofrills.seesaa.net/article/167381847.html

上記27日エントリで触れた、いわゆる「失踪者 the Disappeared」のひとりであるピーター・ウィルソンさんの遺体発見の作業で、人間の遺体が発見されたとの報道。まだ鑑定が終わっていない段階なのでウィルソンさんのご遺体かどうかは確定していない。合掌



前のエントリに書いた通り、1973年のウィルソンさんの失踪・殺害について事情を知っている情報源が当局に対し「そこに埋めた」と語った場所を掘っていたら見つかったのだが、その場所とは、ウィルソンさんが姿を消した後も家族がときどき遊びに出かけていた海岸だ。(UTVの記事に、小さいが、現場で人々が作業をしている様子をとらえた写真がある。きれいな砂浜のようだ。)

これは、美しく勇ましいスローガンを掲げ、北米をはじめ世界各地からの草の根支持を集めていたIRAのやっていたことだ。


ベルファスト・テレグラフ:
Body found in search for 'Disappeared'
Tuesday, 2 November 2010
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/body-found-in-search-for-disappeared-14993612.html

この記事によると、作業が行なわれたのはアントリム州のGlens of AntrimにあるWaterfootという村。

ウィルソンさんは1973年8月、ウエスト・ベルファストのビーチマウント地区の自宅を出たっきり、行方がわからなくなっていた。当時21歳の彼には学習障害(以前の言葉でいう「知的障害」)があった。

男女合わせて16人の「失踪者」の遺体発見の作業などを行なっている the Independent Commission for the Location of Victims' Remains (ICLVR: 失踪者の遺体の場所特定のための独立委員会) のスポークスマンは「ピーター・ウィルソンさんの遺体を捜している当委員会はアントリム州ウォーターフットにおいて人間の遺体を発見した。現在回収作業が進められている最中である。身元確認作業は追って行なわれる。ウィルソンさんのご家族と北アイルランド警察には上記の件は連絡済である」と述べた。

今回の作業は、同委員会に、リパブリカン・ムーヴメント(つまりIRAとシン・フェイン、およびそれらのスプリンター集団の一定範囲)の内部から来たと考えられる情報がもたらされたことによって可能となった。ウィルソンさんのご家族(ご両親は既になく、ごきょうだい)は、殺害はIRAによるものと考えている。一方で、IRAの指導部は公式には殺害を認めたことはない。

ICLVR(委員会)は、アイルランド共和国の非都市部で、これまで8体の遺体を発見している。残る8体の捜索が続くなか、今回はじめて北アイルランド側で捜索作業が行なわれたことになる。また、人の住んでいるエリアでの発見も初めてのケースとなる。

――記事が伝えているのは以上のようなことと、さらに、今日ストーモントの自治議会議事堂で「失踪者」遺族・関係者のサイレント・ウォーク(沈黙のデモ)と献花が行なわれた、ということ。

ウォーク参加者はウィルソンさんの姉(妹)さん、チャーリー・アームストロングさん(今年7月に発見)の夫人、その隣人で、先月発見された遺体のDNA鑑定作業の結果を待っているジェリー・エヴァンズさんのお母さん……アームストロングさんの捧げた黒い花輪は、まだ見つかっていない人たちの数だけ白い百合の花がつけられているもので、今年夫が発見されたことで百合の花は一つ外された。フランスに埋められていると考えられているシェイマス・ルディさんのお姉さん(妹さん)は、この毎年のサイレント・ウォークの意味について「私たちの苦しみは続いており、大切な家族をきちんとしたキリスト教徒として埋葬してやるためにできることはすべてやらねばならないということ」を記憶に留めておくものだ、と語る。

一方で、現在はその自治議会の中でお仕事をしているが、1970年代に「失踪者」がたくさん出たときにはベルファストIRAの最高幹部だったとソースつきで言われているにもかかわらず否定し続けているジェリー・アダムズは、ウォーターフットで人間の遺体が発見されたとの報を歓迎すると述べ、…… Rubbish.
"My thoughts are with the Wilson family at this time and I would hope that confirmation would be speedy to ease the burden of the final wait the family will endure.

"I again would repeat my appeal that anyone with any information which might help other families locate remains and find closure should bring that information forward."




※この記事は

2010年11月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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