BBC NIのキャプチャ:
一番上にあるのは、いわゆる「失踪者 the Disappeared」のひとりであるピーター・ウィルソンさんの遺体発見の作業を開始することがアナウンスされた、という記事。
Fresh 'Disappeared' dig for Peter Wilson announced
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-11626555
「失踪者」については以前も書いたことがあるが、主に、北アイルランド紛争中に「敵」(つまり英治安当局)に「味方」の情報を流しているなどとされてIRA(自警団的活動を行なっていた)によって拉致され拷問された後に処刑され、どこかに埋められた人々のことだ。詳細はThe Disappeared of Northern Irelandのサイトを参照。
このサイトには、Found(遺体発見済)に8人、Still Missing(行方不明)に10人が掲示されている。「行方不明」のページに出ているカラー写真の若い女性は2005年に失踪した人で、「失踪者」の法的な定義の範囲からは外れている。この人はリパブリカンではなく、ロイヤリストの暴力(麻薬密売をめぐるもの)に巻き込まれていた。また、ロバート・ナイラックはリパブリカンに潜入していた英治安当局の一員だったので、他の「失踪者」とは少し事情が異なる。
今回遺体発見作業が開始される運びとなったピーター・ウィルソンさん(当時21歳)は、1973年にIRAに拉致され殺害されたと見られている。発掘作業は当局(警察ではなく別の独立した組織)にもたらされた情報に基づいて行なわれるが、ベルファスト・テレグラフによると、その場所が、ウィルソンさんの失踪後、家族がしばしば訪れていた風光明媚な海岸(アントリム州)だというからやり切れない。
当局の人は、失踪と殺害・遺体遺棄から37年も経過しているので、その海岸に埋めたという情報が正しくても、遺体がそのまま埋まっているかどうかはわからない、と述べている。
そんな気の遠くなるような、あまりに気の毒なニュースの下に(ニュータウンアビーの暴動の報道をはさんで)、ウィルソンさんのような人たちの失踪のキーを握っていることはほぼ間違いない人物についてのニュースがある。
ニュースというか、何ヶ月も前にニュースになった件についてのドキュメンタリー番組が、アイルランド共和国でテレビ放送、という報道である。
Adams McConville allegations to be broadcast
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-11631734
タイトルにあるMcConvilleとは、「失踪者」の1人であるJean McConvilleさんのこと。夫に先立たれ、女手ひとつで10人(!)の子供を育てていた彼女は、1972年12月、英軍に情報を流していたとしてIRAに拉致され殺害され、埋められた。遺体は2003年、海岸を散歩中の人によって偶然発見された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jean_McConville
彼女の殺害に、ジェリー・アダムズが関わっているとの疑惑がある。このBBC記事が触れているのは、それについての番組だ。
広く知られている通り、アダムズ本人は完全否定しているが、このころIRAにいた人たちが大勢証言していることによると、アダムズはIRAの一員だった。「一員」どころか、7人で構成されるアーミーカウンシル(最高意思決定機関である)の一員だった。それは今さらニュースヴァリューのかけらもない。
わざわざドキュメンタリーが制作されたのは、これが「墓の中からの声」だからだ。
「声」の主はブレンダン・ヒューズ。BBCの記事の白黒写真でアダムズ(左の背の高いほう)と肩を組んでいる人物だ。この写真は彼らがインターンメント(武装組織メンバーの疑いのある人々の一斉拘留。事実上カトリックのみを対象としていた)で「ロング・ケッシュ(メイズ刑務所)」に入れられていたときのものだ。
ともに1948年生まれ、西ベルファストのナショナリスト・コミュニティの出身で、リパブリカン・ムーヴメントの盟友同士だったこの2人は、後年、袂を分かつ。シン・フェインを率い、1994年の停戦以降の「暴力停止、和平プロセス」の道を進んだアダムズを、ヒューズは厳しく批判した。シン・フェインの「何はともあれ和平を優先する」という方針を批判し、アダムズの「偽り」を批判した。
1980年のロング・ケッシュでのハンストを率いて2ヶ月間食を断つという無茶をしたヒューズは晩年健康をひどく損ない(特に視力。ハンストは神経を食い荒らす)、最終的には癌をわずらい、2008年2月、59歳で他界した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Brendan_Hughes
ヒューズの葬儀では棺を担う盟友たちの中にアダムズの姿があり、「仲違い」は最終的には解消したのだという印象操作が行なわれたが、実情をよく知るアンソニー・マッキンタイアは「仲違いは解消した」などという御伽噺めいた展開を否定する。(マッキンタイア自身、紛争ではリパブリカンとして闘い、その後はジャーナリストとして活動し、90年代以降のアダムズの方針を批判し、いろいろと厳しい環境で「発言の自由」を追求している。)
実は生前、ヒューズはインタビュー取材に応じていた。アメリカのボストン・カレッジが、「存命中は公開しない」ことを条件に、紛争の当事者に話を聞いていた。今回のドキュメンタリー放映時の記事で初めて知ったのだが、インタビュアー(聞き手)はアンソニー・マッキンタイアだったそうだ。
そこでヒューズが何を語ったかについては、今年3月末に大きく報道された(→はてブしてある記事から、2010年3月29日から4月半ばごろのものを参照いただきたい)。インタビューは、アダムズの疑惑をずっと追及し続けているエド・モロニーというベテランのジャーナリストの本にまとめられている。
![]() | Voices from the Grave: Two Men's War in Ireland Ed Moloney Faber and Faber 2010-03-31 by G-Tools |
ヒューズが語ったのは、「失踪者 the Disappeared」のシンボル的な存在、10人の子供をひとりで育てていたジーン・マコンヴィルの死に、アダムズが直接的に関わっている、ということだった。
インタビューによると、ヒューズはベルファストIRAのOO(オペレーティング・オフィサー)だった。つまり、対英・対ロイヤリストの武装闘争を行なう部門の幹部だ。一方アダムズはIRAの活動全般を管理する立場(OC: オフィサー・コマンディング)にあった。IRAは対敵武装闘争だけでなく、同じカトリックのコミュニティ内の「治安維持」の活動も行なっていた。前者は「敵」に武力を向けるが、後者は「味方」にそれを向ける部門で、つまりハンパない。(これはロイヤリスト側でも同様で、組織内の懲罰部隊は組織への忠誠心も能力も高い「精鋭ぞろい」だったという。)その両方を含む組織全体の管理者的な立場の者は……ボキャブラリーが追いつきません (^^;)
ヒューズは、ジーン・マコンヴィルがIRAの調査で「スパイ」と断定された根拠について詳しく語り、彼女を「処刑」するとの決断は、アダムズなしでは下されなかった、と語っている。(なお、後に行なわれた警察オンブズマンの調査では、マコンヴィルが「スパイ」だったとの事実はなかったとの結論が出された。)
そのあたりのことは、3月末にエド・モロニーの本が出たときに書籍抜粋などで紹介されている。(でも読むのと、語る彼の声で聞くのとではインパクトが全然違う。)
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/ireland/article7078981.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/ireland/article7078706.ece
http://hubpages.com/hub/Brendan-Hughes
むろん、アダムズは即座に否定した。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0330/1224267343063.html
この本が出た直後のシン・フェインの反応といったら、まさに「ディア・リーダー」を一丸となって守る党員!という感じで、辟易したものだ。アダムズに対しては昨年末からスキャンダルが相次いでいたのだが(シン・フェインの党員として西ベルファストで活動していたアダムズの弟が実の娘を手込めにしていたとのことで、娘から訴えられた、など)、攻撃を跳ね返すたびに強くなる党による鉄壁のディフェンスは以前にもまして固くなっていた。ご本人の反応は……ちょっと怖いです。ブレンダン・ヒューズの名前を出さずにsome of us的に言及するなど。
本が出た直後にシン・フェインから出された反応のひとつに、「ヒューズは健康を損なっていた」ことを理由として(それは事実だ)、「彼の言葉は信頼できない状態だった」などというものがあった。しかし、2008年2月に亡くなる直前ならまだしも、インタビューが行なわれたときは彼はまだ元気だったはずだ。
インタビューは2001年に行なわれているのだから。
番組のトレイラーは下記に、Quicktimeで埋め込まれている(なのでページが重い)。
http://sluggerotoole.com/2010/10/24/voices-from-the-grave/
ヒューズが関与したので、ブラディ・フライデー事件(1972年7月。ベルファストでIRAによって20箇所が連続爆破された)の映像がたっぷり使われている。流血写真はないが、かなりショッキングだと思う。私にとっては吹き飛ばされた手足の転がるバグダードの街角の写真と同様にショッキングだ、この規模のカーボムの爆発をこうも連続して見せられるのは。
番組について、ベルファスト・テレグラフのリーアム・クラーク:
http://www.nuzhound.com/articles/arts2010/oct20_Dead_men_talking__LClarke_Belfast-Telegraph.php
エントリ冒頭の、ピーター・ウィルソンさんの遺体捜索と関連付けた文章:
http://sluggerotoole.com/2010/10/26/brendan-hughes-i-had-no-control-over-this-squad-gerry-had-control-of-this-particular-squad/
そして、ブレンダン・ヒューズのインタビューの番組について、北アイルランドのジャーナリストのエイモン・マリーは「力強い番組である」としながら、「アダムズには何らダメージは与えないだろう」と述べている。「何がどうであれ、暴力を止めたのはアダムズである」と。
なお、番組で「墓の中から」声を発したのはヒューズだけではない。突然の病に倒れたPUPの党首、デイヴィッド・アーヴァイン(元UVFメンバーで有罪、ロング・ケッシュに入れられ、社会主義のユニオニスト活動家となった)も今回のこの番組で語っていたとのこと。
ただ、アーヴァインの部分についてはほとんど何も記事がない状態だし、番組全体が見られない中ではどう言及することもできないのが残念だ。
アーヴァインといえば、前の党首のドーン・パーヴィス姐さんがUVFが白昼堂々と人殺しをした(ボビー・モフェット殺害事件)ことでブチ切れて党を離脱してしまったのを受けて、つい数週間前に行なわれたPUPの党首選挙で、デイヴィッドの弟(か兄)のブライアン・アーヴァインが党首となった。ブライアンは職業は教師で、UVFでの活動歴があるという記述は見ていないのでずっとカタギの人なのだろうと思うが、党首として最初のインタビュー取材で「UVFとの関係は断絶はしない」と述べていた。
武装グループの政治へのつながりを絶たずにおくことで北アイルランド和平は成功しているので、それは「あり」なのだろうが、ちょうどこの月曜日からベルファスト北部で100人から200人規模の若者の暴動が起きていて、その背後にUVFの存在があると警察は述べている。
この暴動が、冒頭のBBCのキャプチャの2番目の記事なのだが、8月のアードインほどの人数ではないにせよ、暴力の質がハンパない(バスの運転手を追い出して乗っ取って放火する、など)。ちょっと心配な情勢である。
Google News Irelandで見てみたら、なんかすごいquoteが……。

※この記事は
2010年10月27日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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