「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2010年10月13日

チリ落盤事故で地下に閉じ込められていた人たちの救出が進められ、ネットで中継されている。

Jose Ojeda, by HUGO INFANTE/GOVERNMENT OF CHILEチリのサン・ホセの鉱山で発生した落盤事故のため、地下深くに閉じ込められていた33人の作業員の救出が、現在進行形で進められている。

現地時間12日午後11時ごろ(日本時間で13日午前11時ごろ……本当に地球の真裏なんだなあ)から開始された救出作業で、7時間くらいの間に7人が引き上げられた。現在、8人目が引き上げられている(滑車が回転している)。→日本時間の19:02に地上に到着、ご家族(彼女と子供)と抱擁を交わしています。

精神的・肉体的に弱っている人から先に救出されているそうだが、今のところ、全員が無事に地上に出て、家族の方と抱擁を交わすなどしてから、現場に設営された「キャンプ・ホープ」の診療所に運ばれている。この後、様子を見るため近くの大きな病院で数日を過ごすとのことだ。(最初に救出された4人は既に大病院にヘリで移送されている。)

この救出の様子は、チリのテレビ局のC5Nが、Ustreamで全世界に流している。地下の33人がいるスペースにもカメラが入れられていて、救出用カプセル「フェニックス」が到着して人が乗り込む様子なども中継されている。
http://www.ustream.tv/channel/c5n

C5Nの中継はすべてスペイン語だが、BBCがニュース特番をウェブ・ストリームしている。記者が現場から伝えているほか、現場からのスペイン語でのコメントなどは英語同時通訳。
http://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-11489439

いずれも、実際の救出が1時間に1人のペースなので、合間合間にこれまでの救出のダイジェスト(「感動」の演出たっぷりの編集)や、背景解説を入れている。私が見ているBBCのはたいへんにわかりやすいが、「感動」を煽るというか盛り立てる方向での記者の語りが少し過剰かもしれない。

そういう過剰な煽りはいらないというストイックなあなたには、チリの鉱山省が開設しているFlickrでの写真レポートを。
http://www.flickr.com/photos/rescatemineros/

Flickrでチリの鉱山省は、救出作戦の開始(救出用の穴の掘削作業の段階)から今日までの写真を、クリエイティヴ・コモンズのBY-ND 2.0のライセンスで公開している。著作権者(写真に添えられている)を表示すれば、営利でも非営利でも画像を利用できるが(ただしこの画像を販売する行為は禁止)、画像の改変はできない。→アップデートされて、BYのライセンスになった。改変(モノクロへの変換や、スライドショーにして音楽をつけるなど)もできるようになっている。

このエントリ冒頭に貼り付けた写真は、7人目に引き上げられたホセ・オヘダさん(名前の読み方はBBCで聞こえたものに準じる)。47歳で糖尿病の持病があり、健康状態が最も心配されていたが、出迎えの白衣の男性(この事態で有名になったチリ海軍のフィットネスコーチ。地下の作業員の健康アドバイザーをしていた)も健康に問題なしを確認したようだった。
http://www.flickr.com/photos/rescatemineros/5078027970/

BBCによると、オヘダさんの夫人は8年前に亡くなっており、出迎えの家族は義理の娘さんで、画面に写ったその姿はEmo系の子かなという雰囲気もあって、ヘルメットを頭に載せるのと前髪とどっちを優先するか悩んでいるふうだった(わかるわかる)。

……など、病気や家族など非常に個人的なことも知らされてしまっていいのだろうか、という若干の居心地の悪さを覚えつつ、ひとり、またひとりと地上に戻ってくる様子と、それを語る言葉(BBCのサイトに紹介されている)にある humanity というものには、圧倒されずにはいられない。

「33」という数がニュースに乗ってくるとき、それは何らかの大きな事故での死者数だったりすることが多いのだけれども――そして、この落盤事故も最悪の場合、これらの33人の人たちは「死者数」として報じられて、そのニュースに世界じゅうが「ひどいことが起きた」と一瞬はショックを受けるけど10分後には天気予報を見ている、というようなことになっていたのかもしれないけど――、今回は、1時間に1人ずつ、それが確実に「ただの数字ではない」ということが示されている。

BBCのトップページ:


ガーディアン(写真右側の白いヘルメットに赤い上着の男性がチリの鉱山大臣のLaurence Golborneさん……お名前がブリテン圏ですがお父さんがイングランド系とのこと):


※いずれもキャプチャ画像内の見出しクリックで記事に飛びます。

19:40 BBCで心理学的な話が続いている。今後の適応が大変だ、ということについてスタジオの専門家のコメントだが、特に見過ごされがちなのは家族の心理的な負担で、自分たちが迎える夫・父・兄は「うちのおとうちゃん」なのか「世界的なセレブ」なのかがわからない状態に置かれる、と。この件に関しては考えてなかった側面だけど、確かに、チリの有名なスポーツ選手や芸能人よりも、彼ら33人の鉱山労働者は世界的に有名になっていて、このordealは映画化の予定すらあって……確かにご家族は大変だろう。

でも今日は、幸せにひたってほしい。

※この記事は

2010年10月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:02 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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