「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年09月30日

「イランのツイッター革命」の申し子、Haystackの顛末 (2)

1つ前のエントリが長くなりすぎているので、2ページにわけました。

【続き】

そしてその後、オースティンは彼のブログでこれらの疑問に応じ(10日付でのモロゾフ宛鍵つきメッセージが投稿されている)、13日に「Haystackの停止」を宣言した。



Haystackの活動のために、彼らは一般からの寄付金を募っていたが、その点については20日付でオースティンが説明している。いわく、米国政府からの金銭的支援はなく、金銭の寄付は一般の人からのもので大半が小口の寄付だった。オースティンらCRCは無報酬で働いていて、寄付されたお金はサーバと帯域をまかなうために使われた。

で、この投稿でオースティンは「イランの状況を見て勢いで突っ走ってしまったが、ソフトウェアを作ってイランに持っていくためにはさまざまな手続(組織の設立、資金集め、輸出許可の取得など)をクリアしなければならないことを最初は知らなかった」と述べ、そしてブログのエントリの最後のほうで支援者に対し次のように謝罪している。
To those we may have disappointed - those who supported us, those who worked with us, and those who have waited too long for us to deliver them from the Iranian firewalls - I apologize.

私たちが落胆させてしまったかもしれない皆さんへ――私たちを支援し、私たちに協力してくれた皆さん、また私たちが結果を出すのをイランで待っていて、待ちくたびれてしまったという皆さんへ――、本当に申し訳ないです。


この顛末を受けて各メディアも「Haystackの停止」を報じた。すぐに報じたメディアもあれば、時間をかけてたっぷりした記事を出したメディアもある。

例えば、オースティン・ヒープを「2009年のイノベーター」として讃えた英ガーディアンは、17日付でかなり長い記事を出している。(開発リーダーのダニエルさんが事後、技術者のメーリングリストに投稿した文面の抜粋も含まれている。)
http://www.guardian.co.uk/technology/2010/sep/17/haystack-software-security-concerns

ガーディアンはたびたびオースティンを取材していて、3月にはかなりヌルいインタビューを出しているが(これ、ガーディアンのトップページの下の方の「今日の目玉記事」みたいなところからたどって読んだはずなのだけど、中身なさすぎで、記憶にほとんど残ってないんだよね……よくよく思い出してみると、理想化肌のアメリカ人のバラ色眼鏡の「言論の自由」論&「民主主義の拡散」論はいいので、Haystackが正式リリースに至ったのかどうかを書いてほしいのだがとイライラして、いやまて、文字になってなくてもビデオならその話はあるかもと思ってチェックしてがっかりした記憶はある)、そのときに既にコメント欄でHaystackというソフトの中身についての疑問が提示されている。技術者畑ではもちろん、このコメントよりずっと深く本質的な指摘がなされているとのことで、例えばTechDirtの14日付記事などに技術者の間での指摘については少し書かれている。

またComputer World UKのサイモン・フィップスのコラムでは、「このような性質のソフトは、たとえコードが敵の手に渡って解析されたとしても、ユーザーの安全性は確保されなければならないという大原則すら守れていない」という指摘を中心に、まさにフルボッコ状態。

これらの指摘・説明を見ると、要するに、クオリティ的に問題がありすぎのソフトウェアだった、ということだ。

で、こういったHaystack批判の記事の多くで「オースティン・ヒープはエンジニアではなく、ビジネススクールでマーケティング専攻だった」ということが書かれている。オースティンのサイトでのCVでも確認できることなので事実は事実だ。しかし、ビジネススクールでマーケティングやってたことと、有能なプログラマーであることは矛盾しない。いや、個人的にはそう思ってたのよ、ほんとに。別にいいじゃん、スーパーハッカーがコンピュータ・エンジニアリングじゃなくてマーケティングを専攻してても。

でもほら、ええと名前忘れちゃった、「宇宙エレベータ」の本を書いた東大助教の詐欺師……(検索する)……ああ、そうだ、アニリール・セルカン(ウィキペディア)の「スキーの代表選手」のホラとか、「NASAの宇宙飛行士候補」のホラとかを知って爆笑した記憶も新しい立場では、ねえ……。

というところで参照するのは、モロゾフら、Haystackを批判した人たちの何人もが参照していた今年8月のNewsweekの記事。

Needles in a Haystack
by William J. Dobson, August 06, 2010
http://www.newsweek.com/2010/08/06/needles-in-a-haystack.html

これの2ページ目にこんな記述がある。
But then he had a stroke of luck. Someone with the online handle Quotemstr asked Heap to join a specific chatroom. Quotemstr wasn't interested in making idle conversation. He was a disaffected Iranian official with information to share. He provided Heap with a copy of the internal operating procedures for Iran's filtering software. The 96-page document was in Farsi, but the diagrams told Heap what he needed to know. (A computer savant, Heap learned his first programming language in fourth grade; he was programming in 18 languages by his senior year in high school.) "Four days ago I was killing dragons with my firepower," he recalls, "and now I was getting leaks from inside the Iranian government."

いわく、イランで民主的非武装のデモが暴力的に弾圧され、学生寮が踏み込まれ、情報は統制、というニュースに憤りを覚えてプロクシを立てるという活動をしていた米西海岸のノンポリのgeekにある日、イランの体制に不満を持つイランの役人が接触してきて、イランのフィルタリングのソフトについてペルシャ語で書かれた96ページの書類を見せてくれ……たなんて話を信じろって言われて信じられるわけがねーだろ、ぼけ。何が「4日前までゲームの世界で火器で龍をやっつけていた僕が、イラン政府内部からの情報提供を受けている」だよ。おまえどんだけスーパーハッカーだよ。それなのにできたものは、TorのAppelbaumが「ほんとにダメダメ」と評価せざるをえない出来のソフトウェアかよ。

それに、Quotemstrって「イランの役人」じゃなくて、CRCを一緒に設立したプログラマーのダニエルさんのTwitterのユーザーネームじゃん。

なお、この記事は、Newsweek日本版にも掲載があるはず。2010/09/08発売号 (2010/9/15号) の目次に「オタク戦士が独裁国家を欺く」という題名で訳出されている。(私が気づいたときは既に当該の号は売り切れていて、次の号が出たあとに図書館に行ったら貸し出し中で、日本版の誌面・記事は確認できていないが、たぶん抄訳。)

でも明らかに何割かはフィクションだよ、この記事。一部は記事を書いたライターの思い込みの結果もあるかもしれないけど。

というか、Newsweekって、記者が拘束されて裁判にかけられた西洋の唯一の媒体なんだけど、イランについての報道記事がこんなにユルくていいんだろうか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Maziar_Bahari
http://www.newsweek.com/2010/05/10/justice-iranian-style.html

と思いつつ、オースティン・「スーパーハッカー」・ヒープを賞讃するこの記事の筆者名, William J. Dobsonで見てみると……



Newsweekの中で書いた記事は2本だけ。1本はベネズエラのチャベス大統領について(2010年7月25日)、そしてもう1本が今回のオースティン・ヒープについての記事(2010年8月6日)。

普通の「ジャーナリスト」が立て続けに全然別のテーマで2本書いて、それきり書かなくなる、ということは、まああんまりありえる話ではない。

ほんでさ、William J. Dobsonという名前で、英語圏で検索をかけてみたんっすよ。そしたら検索結果の一番上がカーネギー国際平和財団じゃん。エラーページになってるけど、WebArchiveにはある。ということは「ジャーナリスト」じゃなくて「専門家」だ。



検索結果の2件目は物書きの仕事をする人たちのエージェントのページで、ここには「元Foreign Policyのmanaging editor」だとか「もっと初期にはNewsweek国際版のアジア上級エディターをしていた」とかいった情報がある。写真を見るに、年齢は40代後半から50歳くらいだろう(もう少し上の可能性もある)。

検索結果はその下はずっと、Washington PostとかUSA Todayとかに掲載されたこの人の記事。書かれたのはForeign Policyでmanaging editorをしていたときのものだったり。テーマはグアンタナモ、ロシア、「9−11で世界は変わったのか」、ダルフール、など。

そんな人の書いた記事に、「正義感からイランの人々の役に立ちたいと考え、Twitterなどソーシャルメディアを使い、フィルタリング回避のためプロクシを立てていた青年に、ある日、自国の体制に不満を持つイランの役人が接触してきて、イランのフィルタリングのソフトについてペルシャ語で書かれた96ページの書類を……」云々という、真偽不明のエピソードが含まれている。ふむー。

っていうか、あたし、6月15日にテヘラン大学の寮にバシジが踏み込んで何人か殺されたというtweetがテヘラン大学の寮から来たときからハンパなく時間と労力さいて#IranElectionのハッシュタグ見てたし、その中でプロクシ情報の流れを止めないためにRTする(Bit Torrentでいう「シーダー」になる感じ)ようなこともしてたし、@AustinHeapはフォローしてたし、彼のブログはチェックしてたし、彼がHaystackを始めたときは在外イラン人の間で信頼と評価を得ていたことも知ってるんだけど、「体制に不満を持つイランの役人が接触してきて、4日前まではゲームでうひょーとかいって遊んでたこの僕が、イランのネット規制についての書類を見せてもらっている」みたいな話は初耳だ。

私が知らんだけで実はこれまでにも語られていたのかもと思って検索してみたが、検索してヒットするのは9件で、そのすべてがこのNewsweekの記事を参照している。




8月にこのNewsweekの記事を読んでたらもっと早くからHaystackの方向にアンテナ向けてただろうけど、9月に入ってTwitterでイランのニュース関連でHaystackについて「危ない」というのが流れてきても、技術的な問題があるのだろうな、程度に流していて注意を払わなかった。「技術的な問題」では、詳しくかかれたものを見たところで私には意味がわからないので気にしなかった。

はぁ。


※この記事は

2010年09月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「イランのツイッター革命」の申し子、Haystackの顛末【補足:Newsweek日本版の記事】
Excerpt: Newsweek日本版の当該号を図書館で借りることができたので、中身を報告しておきます。
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2010-10-29 23:51

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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