「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年09月29日

エド・ミリバンド労働党党首が党首として初演説

党大会会場(マンチェスター)からの中継をBBCのサイトで聞いていました。

スピーチ全文(何でも、専門のスピーチライターではなく本人が書いたらしいです。だからちょっと間が持たない場面もあった):
http://www.labourlist.org/the-new-generation-ed-milibands-leadership-speech

詳細、また寝て起きてから書き足しますが、とりあえずクリップ。





スピーチの分析:


Twitterから……ジャーナリスト(ガーディアンのサニー・ハンドール、アルジャジーラのアラン・フィッシャーとBBCのローラ)の実況と、スピーチ終了後の一般の人々の感想:



好例、北アイルランドへの言及の箇所:


And I am so so proud that, against all the odds, we helped deliver peace in Northern Ireland. And it will be one of Tony Blair's great legacies to this country.

ブレアの野望は北アイルランドなんていう地域的な「達成」ではなかったんだけど、結局そこしか誉めるところがない。1997年の熱狂は何だったんだろうねというと、前の政権(ジョン・メイジャー)の不人気としか考えられない。メイジャーって冷静に見ると、そんなに悪くはない(その前がすごすぎたせいもある)。ただ実際、リアルタイムでメイジャー政権の時に私はロンドンにいたのだけど、英国人の友人たち(労働者階級でPunkの系統)は「もっとよい社会」を望んでいた。

その彼ら、労働党支持者たちが望んでいたような社会は、ブレアが実現したようなネオリベな社会ではなくて、今日エド・ミリバンドが言っていたような「(例えば)ケアワーカー(のような現場の仕事をしている人たち)がまともに生活できるような賃金を得る社会」だった。

友人たちのひとりは、広告代理店のクリエイティヴ部門(印刷物の広告制作)でフォトグラファーとして働いていたが、ある日帰って来るなり「あしたっから部署閉鎖するっつっていわれて、仕事なくなった。ひどいっしょ? だから会社勤めせず、doleの列に並んでた方がましっていうことになる」とまくしたてた。だからこそ「労働者のストライキ」がヒロイックなものになるし、労働党が支持を集めるのだなということは私にはわかった。でも、その後ようやく政権を取ったブレアの労働党は、そういう方面にはあまり注意を払わなかった。

エド・ミリバンドは、今日のスピーチで早速労組に「やたらとストるのはいかがなものか」的なことは言っていたけれど、それでも、「ブレアの失敗」(というコトバこそ使わなかったけど)を踏まえている。



※この記事は

2010年09月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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