「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年09月14日

ビリー・ライト殺害事件インクワイアリ報告書(予定地)

今日14日、ビリー・ライト殺害事件についてのパブリックインクワイアリの報告書が公表される。公表直前のベルファスト・テレグラフ。



BBC Northern Ireland:


UTV:


ビリー・ライトはロイヤリスト武装組織UVFの分派でものすごい過激派のLVFの創設者&リーダーだった。殺人など重大な犯罪に何度も関わっていると考えられていたが立件して有罪に持ち込むことができたのは微罪で、服役中に刑務所内で、刑務所職員の目の前で、リパブリカンの囚人(所属はINLA。IRAではない)によって射殺された。使われた拳銃は面会のときに持ち込まれ、房内の物品検査もすりぬけたということになる。ライトの家族らは、英当局の関与がなければ犯行は不可能であると主張している。

この事件は、証拠となるはずの書類が隠滅されており、またライトを銃撃した当人も既に死亡しており(病死したり自殺したり)、残っているものだけで何がどこまで明らかになるのかが注目される。

※あとでちゃんと書く。

※この記事は

2010年09月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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