このエントリでは、土曜日までの常岡さんのご帰国後のご発言が確認できるURLをいくつかメモしておき、その下に、誘拐・監禁にかかわっていると考えられる「ヒズビ・イスラミ」について調べたことをメモしておく。
(この「ヒズビ・イスラミ」がまた、全然一筋縄ではいかないというか、自分で自分に「IRAよりはシンプル、IRAよりはシンプル」と言い聞かせていないと、このいつまでもだらだらとクソ蒸し暑い中ではまじでわけわからんほど。)
まず、ご帰国後の常岡さんの発言:(あちこちに分散してしまっている)
■常岡さんご本人の発言。
日記の9月分:
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=201009
「解放された常岡さんが犯人像を語る」(Twitterでのご発言のまとめ):
http://togetter.com/li/47923
9月7日、日本外国特派員協会での記者会見の映像:
http://www.ustream.tv/recorded/9409601
※最初の2分50秒くらいまではまったく音声が出ません。
■久保田弘信さん(ジャーナリスト)のブログ。空港などで常岡さんが久保田さんに状況を説明する様子がまとめられたAsiaNews特報の動画あり。
常岡さん帰国後の動画。 2010年09月08日 01:59
http://kubotahironobu.blog53.fc2.com/blog-entry-301.html
常岡さんが伝えたかった事。 2010年09月10日 01:43
http://kubotahironobu.blog53.fc2.com/blog-entry-302.html
■9月7日の記者会見のときのTwitterのログ。
常岡浩介氏 日本外国特派員協会での記者会見ustログ
http://togetter.com/li/48303
アフガニスタンから帰国した常岡浩介さん @shamilsh の記者会見が9月7日15:00より日本外国特派員協会にて行われました。
記者会見の模様をフリーライター畠山理仁さん @hatakezo がustreamで中継されました。ustreamのツイートを中心に、関連ツイートをまとめました。
これらのほか、メディア出演はいろいろある。詳細は常岡さんご本人のtwitterで。
http://twitter.com/shamilsh
今朝のラジオ番組は、文化放送の「高木美保 Close to you」(ご本人による告知tweet)。
8時くらいからとのことだったので7時55分くらいに http://radiko.jp/ を使って聞き始めたら、「今週のイベントガイド」みたいなコーナーをやってて、ミッフィー生誕55年の展覧会の話題でなごむ。(*^_^*) 高木美保が「ミッフィーって自分で描くと微妙にミッフィーじゃないものになる」と言い、すごい共感を覚えているうちにトシちゃんの「はっとしてグー」がかかってさらになごむ(しかしほんとにこの人は革命的な歌唱力だ)。それからニュースと天気予報と交通情報を経て、「今週のニュースな人」みたいなコーナーが始まる。無罪を勝ち取った厚生労働省の村木局長をはじめ、今週のニュースを、人物中心で語るという中に「アフガニスタンで長く拘束された後に解放され、帰国したフリージャーナリストの常岡浩介さん」(←一字一句そのままの引用ではない)の話題。まずはここで、解放数日前のtweetについて、アナウンサーの人が「びっくりですよねぇ」的にしゃべる。そしてこのあと、「生電話」がある、という構成。この「生電話」の内容についてはまた改めて。
Twitterの件については、Foreign Policyの人も書いている(Newsweek日本版のサイトにある)。
拉致犯をツイッターで出し抜いた男
2010年09月10日(金)16時22分
http://www.newsweekjapan.jp/foreignpolicy/2010/09/post-165.php
で、この記事には次のようにあるのだが:
常岡は、犯人たちは武装勢力ヒズビ・イスラミの指導者グルブディン・ヘクマティアルに忠誠を誓う兵士たちだと主張。アフガニスタン政府や一部メディアが報じたタリバン犯人説を否定した。
ヘクマティアルは、旧ソ連軍が1980年代にアフガニスタンへ侵攻した際に戦場で名を上げたゲリラ組織、ムジャヘディンの元司令官。ヒズビ・イスラミはアフガニスタンで2番目に大きいといわれる武装勢力だ。
常岡さんを捕らえていた「ヒズビ・イスラミ」は、この「ヒズビ・イスラミ」ではないらしい(?)。常岡さんのtweetから:
…… (^^;) いやいや、Oglaigh na hEireannというか、ウィキペディアに「IRAとして知られる組織の一覧」なんていうページのあるあの組織に比べれば、複雑じゃない。そう自分に言い聞かせる。言い聞かせないと即時退却を選択したくなる。これは面倒だ。
ともあれ。
「ヒズビ・イスラミ」の「ヒズビ(ヒズブとも)」は「党 group」のような意味で、イスラム圏の組織名によく出てくる。レバノンの武装組織「ヒズボラ」は「ヒズブ・アッラー」だし(それ以前に「ヒズボラ」は「アッラーに従う者たち」の意味でつまり「敬虔な信者たち」なのだが)、元々エルサレムで結成され、現在はロンドンに拠点を置くHizb Ut-Tahrirという組織は英国の報道によく出てくる。
で、アフガニスタンの「ヒズビ・イスラミ」については、6日に朝日とロイターの記事を見たあとで、kmiuraさんが次のようなことを教えてくださった。
@nofrills Hezb-e-Islamiといっても、政府よりのグループ(Khalid Farooqi)とより原理主義的なグループ(Gulbuddin)があり、常岡さんの話からすると、拘束していたのは前者。参考:http://kabulcenter.org/?p=561
http://twitter.com/kmiura/status/23135226418
@nofrills Gulbuddinグループのほうは明確に過激派で米国・アフガニスタン現政権に対立しているのですが、これのほうが一般にHezb-e-Islamiとよばれているようです。混乱しやすい。
http://twitter.com/kmiura/status/23135351380
7月の時点でHizb-i-Islami過激派がアフガン政府に媚売り始めている。8月には代表がカルザイのところまで停戦交渉(政府に要職を求めている)に訪れている。このあたり、常岡さんの開放にも関連しているだろう。 http://htn.to/6sh2za
http://twitter.com/kmiura/status/23183979766
「カブールに事務所がある」という点に関しては、この記事の下のほうに http://htn.to/aVpKVD
http://twitter.com/kmiura/status/23184086733
最後のリンク先は英デイリー・テレグラフ(保守党系の新聞で、軍関係者がよく読んでいる新聞でもある)の7月の記事。
Taliban faction supplying intelligence to Afghan government
Ben Farmer in Kabul
Published: 12:28AM BST 10 Jul 2010
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/afghanistan/7881892/Taliban-faction-supplying-intelligence-to-Afghan-government.html
インサージェント(反政府武装勢力)の強力な一派のメンバーたちが、アフガン政府に情報を流すようになり、その結果として何人かのタリバンの司令官が暗殺されたり身柄拘束されたりしている、という内容の報道だ。この「強力な一派」がGulbuddin Hekmatyar's Hizb-i-Islami groupで、活動地域がBaghlanとKunduz。(常岡さんがさらわれ拘束されていたのはKunduz州。)
テレグラフのこの記事の根拠はアフガン国軍の将軍 (General Murad Ali Murad, commander of the Afghan 209th Corps in northern Afghanistan) の発言で、つまり思い切り要約すれば、反政府活動をしてきた武装勢力が政府側に寝返った、ということである。その経緯について、テレグラフには次のようにある。
Hizb-i-Islami, led by Gulbuddin Hekmatyar, is one of three main insurgent factions battling Hamid Karzai and his international backers and had been loosely aligned with the Taliban.
Gulbuddin Hekmatyarに率いられているヒズビ・イスラミは、ハミド・カルザイ大統領と彼を支持する諸国を相手に戦ってきた3大武装勢力の一つで、タリバンとはゆるくつながっている。
However, fighters from the former allies clashed in the northern province of Baghlan in early March and dozens of fighters from Hizb-i-Islami sought government protection.
しかしながら、3月始めに北部バグラン州で、かつて同じ側にいた組織の兵士たちが交戦、ヒズビ・イスラミの戦士が数十人単位でアフガン政府の保護を求めた。
The faction further distanced itself from the Taliban by sending a delegation to Kabul to deliver a 15-point peace proposal to Hamid Karzai. The plan was not accepted, but both sides described the discussions as positive.
この一派はその後、ハミド・カルザイ大統領に対し15点からなる和平提案を行うためカブールに代表団を派遣、タリバンとさらに距離を置いた。この和平提案は受け入れられはしなかったが、双方が話し合いはポジティヴなものだったと述べている。
このことについて、アフガン国軍の北部司令官の将軍はロイター通信に対して「情報の流れはうまく行っている。重大な安全保障上の脅威をもたらす人物を消すのに役立つ」と語り、つまり完全に何らの余地なく肯定している。
この「寝返った組織」のボス、Gulbuddin Hekmatyarは、80年代には米国から巨額の支援を得ていた対ソ連レジスタンスの最大組織を率いた。そしてソ連の撤退後の内戦ではその残忍さで知られるようになったが、タリバンが政権を掌握した後はイランに逃れ、そしてさらにその後、米国などがアフガンを攻撃してタリバン政権を崩壊させた後の2002年にはハミド・カルザイ政権に反対する立場で武装活動を開始した。
そして、「寝返り」のきっかけとなったと記事に示唆されている「3月のバグランでの交戦」は、ヒズビ・イスラミの支配地域と考えられていた地域にタリバンが侵食してきて課税(「税」というよりショバ代的なもの)するようになったことで発生したといわれている、と記事は続く。これ以降、Gulbuddin Hekmatyarの率いる一派は、金銭を得るのみならず復讐も果たそうとしてタリバンについての情報を流しているのだとアフガンの治安当局は述べている、と。そしてその結果、5月にバグラン州の「影の知事」だったタリバンのムッラー・ルホラーが副官ともども殺害され、その2週間後には後を継いだMawlawi Jabbarも空爆で殺され、その後の2人の後継者は身柄を拘束された。(なんか、ハマスのヤシン師暗殺の後みたいだな。)
テレグラフのこの記述でも、「ヒズブ・イスラミ」にGulbuddin Hekmatyar派とそうでない派があるという予備知識がなければ、読み違えてしまう。写真キャプションは "Hizb-i-Islami is led by Gulbuddin Hekmatyar" で紛らわしいし。
ここでみんな大好きウィキペディア。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hezb-e-Islami_Gulbuddin
The Hezb-e-Islami Gulbuddin (HIG) is the larger of two Islamist factions of Afghanistan's Hezbi Islami Party.
【要旨】HIGは、2つあるアフガニスタンの「ヒズビ・イスラミ」党の大きい方。
The original Hezb-e-Islami was founded in 1977 by Gulbuddin Hekmatyar who is now the head of HIG. The other faction is headed by Mulavi Younas Khalis who split with Hekmatyar and established his own Hezbi Islami in 1979. It is known as the Khalis faction, and its powerbase is in Nangarhar.
元々の「ヒズビ・イスラミ」は1977年に、Gulbuddin Hekmatyarによって創設された。そのGulbuddin Hekmatyarが現在率いているのがHIGである。もう1つのほうは、1979年にHekmatyarと袂を分かち、自身の「ヒズビ・イスラミ」を立ち上げたMulavi Younas Khalisが率いている。こちらはKhalis派として知られ、Nangarharを拠点としている。
Nangarharはアフガニスタン東南部で、ジャララバードを州都とする。常岡さんが監禁されていたクンドゥズ(北の端)とはまったく反対側だ。ということは、今回の事件にKhalis派が関わっているとは考えられない。
そして常岡さんのtweetを見ると、監禁していた「ヒズビ・イスラミ」はヘクマティヤル派ではない。
で、この件についていろいろと調べたkmiuraさんによると、「HIGとHIAと頭文字で区別するようです」とのこと。「ヘクマティヤル派」はHIGという。これとは別にHIAというのがある。
それについては:
http://www.understandingwar.org/themenode/hezb-e-islami-gulbuddin-hig
Hizb-i-Islami Afghanistan (HIA) in Kabul
カブールのヒズビ・イスラミ・アフガニスタン(HIA)
Since 2004, a number of former Hizb-i-Islami Gulbuddin commanders have formed and registered a new political party under the name Hizb-i-Islami. In the 2004 Presidential elections, these former commanders numbered around 150, declared support for Hamid Karzai. The group is registered with the Afghan Ministry of Justice and has opened offices in Kabul and other major cities. Under Afghanistan’s new law on political parties, no party can have any affiliation with armed groups. HIA claims to have surrendered all their weapons to the government and have no ties with the Gulbuddin led insurgents.
2004年以降、相当数のHIG司令官が、「ヒズビ・イスラミ」の名前で新たな政党を結成し、登録してきた。2004年の大統領選挙では、これらかつてのHIG司令官は150人ほどとなっていたが、ハミド・カルザイ支持を宣言した。このグループはアフガンの司法省に登録されており、カブールなど大都市に事務所(複数)を開設している。
Relations between HIA and Hekmatyar remain unclear. HIA claims control of 30 to 40 percent of government offices. Hekmatyar's son-in-law Ghairat Baheer, who was released from prison in 2008, is a member of the party. According to Hekmatyar's former Deputy Qazi Muhammad Amin Waqad: "The party has two to three [Cabinet] ministers, five governors, a deputy minister and many other high ranking officials." The party claims tens of thousands of supporters across Afghanistan. Party member Humayun Jarir in December 2008 said an inter-Afghan conference would soon be held in an Islamic country for reconciliation between all Afghan factions. He said representatives from Hekmatyar's party and the Taliban were invited and would attend the conference.
HIAとヘクマティヤル(つまりHIG)の関係ははっきりしない。HIAは、政府オフィスの30から40パーセントを押さえていると主張している。ヘクマティヤルの義理の息子で2008年に刑務所から釈放されたGhairat Baheerはこの党(=HIA)の党員である。ヘクマティヤルの副官だったことのあるQazi Muhammad Amin Waqadによると、「党は閣僚2,3人、知事5人、副大臣1人をはじめ数多くの高官を擁している」。党はアフガニスタン全土に数万人規模の支持者がいると主張している。党員のHumayun Jarirは2008年12月に、和解のため、アフガン全体のすべての派・組織から参加者のある会議がほどなく開催されると述べた。ヘクマティヤルの党とタリバンの代表者が招かれており、この会議に出席することになっているとのことだった。
In the June 4, 2009 interview Hekmatyar disassociated his group from his former commanders who are currently politically active in Kabul under the HIA banner. Asked if the presence of Hizb-i-Islami members in the government is a sign of his party's indirect participation, the HIG leader replied that: "Former HI members who are in Karzai government are not members of our party any more, and their participation in the American-backed government is not an indication of HI's indirect participation in the government. In fact, they joined the government with an intention to weaken the HI and to create division within the party, but they failed to do so. In the past, some people had joined our party because they thought it was the right decision at the time. Later however, some of them joined other parties and others formed their own parties."
2009年6月4日のインタビューで、ベクマティヤルは、HIAの旗のもとでカブールで政治的な活動を行なっているかつての司令官たちと、自身のグループを絶縁した。政府にヒズビ・イスラミのメンバーがいることは、彼の党が間接的に参加していることを示すのかとの質問に対し、彼は次のように回答した。「現在カルザイ政権にいる元ヒズビ・イスラミ党員は、もはやわが党の党員ではない。彼らが米国が支援する政府に参加していることは、ヒズビ・イスラミが政府に間接的に参加しているということを示すものではない。実際、彼らはヒズビ・イスラミを弱体化させ、党に亀裂を生じさせる意図で政府に加わっているのである。しかし彼らの目論見どおりにはことは進んでいない。過去において、そのときはそうするのが正しいのだと思ったのでわが党に加入した者たちがいる。しかしながら後になって、そうした者たちの一部は(わが党を離党して)他の党に加入し、あるいは自身の党を立ち上げている。」
……まだ調べものは終わりではないのだが、とりあえずここまで。
で、うーむと思うのだが、ひょっとして名称については「本家」争いのようなことになっているのではないか。その場合、「組織名」だけで考えると、大きな間違いにつながることがある。例えば「1998年8月15日のオマー爆弾事件は *IRAが* やった」というような間違い(正しくは、「IRAが」ではなく「IRAの方針に反対して離脱したメンバーたちが作った分派組織Real IRAが」である)。
民衆運動、圧制への抵抗運動としての「歴史的正統性」をよりどころの一つとしている組織にとっては、名称の継承は極めて重要なものだ。IRAにしても、さすがに1969年にOfficialとProvisionalが分かれたときのことは私もよく知らないのだが(しかし何年か後にOfficialsのほうの政治組織がSinn Feinの名前を捨ててWorkers Party系の名称を採用しているので、延々とこだわり続けるということはなかったのではないかとは思う)、1998年に分派した「Real IRA」は正式名称ではなく、「通称」だ。彼らリパブリカン武装組織は、INLAは別だが、PIRAであろうとRIRAであろうとCIRAであろうと自分たちでは、Óglaigh na hÉireannという組織名(The Irish Volunteerの意味で、the Irish Republican Armyのアイルランド語での正式名称。というかIRAがIRAになる前の名称)を名乗っている。
その話はまた別項とするが、とりあえず、Provisional IRAの活動停止宣言だけ、Oglaigh na hEireann のソースとして示しておく。
2005年07月29日 The leadership of Oglaigh na hEireann has formally ordered an end to the armed campaign. 「IRA指導部は正式に武装キャンペーン終結を命令した」
http://nofrills.seesaa.net/article/24448559.html
※この記事は
2010年09月12日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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