ガーディアンに、Digested readというコーナーがある。数年前に日本で大流行した「あらすじで読む名作」みたいな感じでもあるのだが、話題の新刊本の概要を、1000語以内の短さで、ユーモアのセンスを発揮しつつ(このユーモアのセンスに慣れていない人にとっては「小ばかにしつつ」というように見えるはず)、まとめた記事である。どういう雰囲気でまとめられているかは、例えば「保守派の論客」であるメラニー・フィリップスのトンデモ本とか、サラ・ペイリンの本のまとめられ方などをご参照のほど。あ、フレデリック・フォーサイスの新作のまとめもいい味出てますけど、フォーサイスの楽しみ方って読者によっていろいろあるし、あらすじがネタバレになるかもしれないので……。
で、それの9月1日の記事が、トニー・ブレアの回想録、"A Journey" だ。
Digested read: Tony Blair A Journey
WMDs, George Bush, Cherie and Gordo: Tony Blair's memoir in just 818 words!
John Crace
Wednesday 1 September 2010 18.49 BST
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/sep/01/tony-blair-journey-digested-read-crace
リード文とかも含めて900語弱でどんなことがどんなふうに書かれているかを示してくれているこの記事、必読。
それからガーディアンではこのレビュー:
Tony Blair: He can still make us believe – and then, pages later, feel sick
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/sep/01/tony-blair-a-journey-review
「トニー・ブレアは今でもまだ私たちを信じさせることができる。そして、数ページ進むと、吐き気を感じさせられるのだが」。
トニー・ブレアの最近の発言の飛ばしっぷり(例えば今年1月末のチルコット・インクワイアリでの証言では、「イラク戦争に至った経緯」がテーマなのになぜか「イラン攻撃」論を懸命に説いていた)から普通に冷静に判断すれば、この本が嘘ばかりということは出る前から前提されていることだ。(それを「嘘ではないと私は確信している」と自分と人々に信じさせる技術はトニー・ブレアはとても高く、そのことは特筆されるべきだと思うが。)
そして実際、発売当日には、「この本は本屋さんの『クライム』のコーナーに移動させて、今日も楽しい一日を!」みたいなことがtweetされ、それがバカウケして幾度となくRTされていた。それから、これは冗談抜きでシリアスなものだが、New StatesmanでMehdi Hasanが「イラク戦争への道」の部分について、細かく指摘をしている(これを読めば、ブレアの不誠実さに心底呆れかえり腹を立てることができる。イライラしたい人におすすめ)。正直、発売日にこんだけツッコミの入った「ノンフィクション」本はないと思う。
Twitterで確認できた「ユーモアのセンス」あふれるツッコミは、下記にまとめてある。
トニー・ブレアの回顧録出版によるTwitter上の「真顔でジョーク」大会(付・北アイルランド関連まとめ)
http://togetter.com/li/46658
※ページ前半がジョークとツッコミで、後半が北アイルランドのセクションについての詳細な内容tweets by Eamonn Mallie.

この回想録の内容については、英各メディアで腐るほど記事が出ていて(→そのことは、昨日のエントリで少し書いた)、そして英国で注目されているのは「ブレアとブラウンの仲の悪さはハンパなかった」ということなのだが、ふたりとも「過去の人」である現在、そんなことは、例えば鳩山由紀夫・邦夫兄弟の仲の良さが英国人にとってどのくらいの意味を持ちうるかというのと同程度の意味しかなく、つまり要するに、うちら外国人の関心の対象は主に、コソボ、イラク(砂漠のキツネ、経済制裁、イラク戦争)といった「武力行使」および/または「人道的武力介入」のことなど新聞の「国際面」に載るようなトピックに向けられるのが当然だ。(あるいはもっともっとワイドショー的に、「ダイアナ妃の事故死のこと」とか「首相在任中に生まれた息子のこと」とか、「怪しげな取り巻きたちのこと」とかが関心の対象になるかもしれない。)
ただ、その関心が報いられるのかどうかは別問題である。
ブレアのこの本のサイトでは、PDFファイルで一部が読めるようになっている。下記ページに、Introduction, On Northern Ireland, On Reform, On Gordon Brown, On Iraqの5つのファイルがある。(NIのセクションをDLしたが、11ページで15MBあった。)
http://www.tonyblairjourney.co.uk/extracts
私は北アイルランドのセクション(11ページ、15MB)だけはDLして読み始めたが、いきなり3パラグラフ目で、(NIについてではなく)中東について「お前は何を言っているんだ」という状態になって先に進めなくなってしまった。このくらいはスルーできないと何もできないのだが、私はまだまだ修行が足りてない。これを何とか乗り切って先に進んでみたものの、この文章にはロイヤリスト(UVF, UDAなど)が出てこない。こんな「古典的」な問題(「英国で書かれる北アイルランドの本ではUVFやUDAが語られない」という問題)が今またここで……とか思っているうちに集中力が完全に消えてしまう。そんな感じ。
そして、1998年8月15日にオマーで何があったかを書いたくだりに差し掛かるのだけど……えっと、2010年の現在、それが起きるまでに当局は何をどのくらい把握していたかっていうことが最大の問題として語られてるんすよ。あと、オマー爆弾をやった組織に潜入していた英当局のスパイの告白/告発もとっくの昔に為されている。でもそれをブレアはそこは完全にスルー。
そればかりか、ちょっとこれはいくらなんでもひどいんじゃないの(ゴーストライターが書いたにせよ、杜撰で悪質なんじゃないの)というのがこれ。(確かに、オマー爆弾でReal IRAは支持者数を激減させた。でも活動は弱まっていない。2001年8月まではイングランドでボムっていた。)

この本が、例えば2009年3月に出たのならこういう「流し方」もまだわかる。でもね。2009年3月7日の夜に北アイルランドの英軍基地に銃撃があって、アフガニスタンに向かう直前の若い兵士2人が撃ち殺されるという事件が発生し、翌日の2009年3月8日にはReal IRAが犯行声明を出してる。それから1年半も経過しているけれど、この事件の「犯人」として逮捕された男の裁判はまだ行われていなくて、当然、事件は「未解決」。そればかりか、Real IRA(とその分派のONH)の活動がどのくらい活発化しているか――勝手に「懲罰部隊」を動かして銃撃を行なうのはもはや日常茶飯事だし、ある男性は射殺されて放置されていたし、最近かなりものすごい件数が発生している各種爆発物(カーボムを含む)による攻撃未遂や挑発も一部は確実にReal IRAと考えられている。ちなみに北アイルランドで暴れている武装勢力はReal IRAのほか、Continuity IRAというのがあり、さらにその分派のONH(RIRAの分派のONHとは別らしい)がある。
そんな2010年9月に出た本で、「1998年8月15日でReal IRAは失速し、それっきりだ。めでたしめでたし」みたいなことが、よく書けるよな。
確かに「北アイルランド紛争」という局面は1998年のグッドフライデー合意で終わり、その後の「和平プロセス」での政治の正常化という目的も、2007年のセント・アンドルーズ合意で達成されている。けれども、"The Real IRA never recovered." っていうのは、単に著しい事実誤認、虚偽、嘘だ。
で、それをブレアは「私が次に取り組むのは中東和平です」ということの呼び水として書いている。
そして――まあこれはそこまで計算して本の発売日を決めたとは絶対に考えられないのだけれども――、米国の大統領が「イラクでの米軍の戦闘任務の終了」を宣言した翌日、ワシントンでイスラエルとパレスチナの直接協議が久しぶりに行われるという日に、「カルテット(米欧露&国連)の中東特使」の肩書きのトニー・ブレアの「私がなしえた和平」も綴った回想録が出た。
もうこの、クソいまいましいエゴとself-servingな言葉の山とを前に、どうしろというかね……ねえ。Eamonn Mallieは特にGFAの内幕の部分について、「北アイルランドについて深く知りたい人は必読である」、「ナショナリストとユニオニストの心理をこれほどに把握することが外部の人に可能であるとは」と書いていたけれど(後者については、「当事者」性を絶対視しすぎなような気がする)、私にはこの嘘の山は登れないっす。。。
というところで、懐かしい文章。(翻訳は益岡賢さん。)
ブレアの誠実さとメディア
デビッド・エドワーズ
2003年3月21日
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/blair0303.html
※英語原文
ブレアはヒトラーではない。しかしながら、ブレアは、演説の中で、感動的なレトリックと驚くべき事実歪曲との、古典的な組み合わせを用いていた。それに対する自由なメディアの反応は、悲しいほどに一様であった。……
ガーディアン紙は、歴史家が、将来、「自分自身の政党の多くがかくも激しく彼の政策に反対している中で、いかにしてトニー・ブレアが敬意と支持を勝ち取ったかについて、未来の世代に手がかりを与えるであろう、今回の、首相による、感動的かつ印象的な演説を読み返すであろう」と述べている。
インディペンデント紙の社説は次のように述べる。
「イラクに対する戦争に最も強く反対している人々でさえ、英軍を対イラク戦争に従事させようとしている人物の指導者としての能力を賞賛することであろう。……
これら全ての記事が焦点を当てているのは、ブレアの演説における心情的な側面である。驚くべきことは、歴史上最もシニカルで、野蛮で、常軌を逸した戦争犯罪がまさに起ころうとしているときに、ブレアが実際に述べたことの欺瞞を、一紙として暴こうとしなかったことである。
そこで、ブレアの言葉を見てみよう。……
本当にショッキングなのは、ブレアがこれほどまでの嘘をつきながら、反対をささやく声すらなしに、嵐のような賞賛と賛同を浴びたことである。 ……
2003年、イラクへの攻撃が開始されたまさにそのときに書かれ、ネット上にアップロードされた文章でエドワーズがやったのと同じようなことを、2010年、イラクからとっくに英軍は撤退し米軍も「戦闘部隊」としては撤退を完了する(ただし名目を変更するだけで実質はほとんど変わらないまま駐留は続ける)というタイミングで、メフディ・ハサンがやっている。それが、上のほうで言及したNew Statesmanのブログの記事だ。
Fisking Blair's chapter on Iraq
Posted by Mehdi Hasan - 01 September 2010 02:36
http://www.newstatesman.com/blogs/mehdi-hasan/2010/08/saddam-iraq-weapons-report
※なお、Fiskingという表現を使ったことについては本人が謝罪している。
……イラクの問題について、トニー・ブレアは依然として、歪曲し、話をはぐらかし、偽り、誤誘導している。まさに「ブライアー Bliar」であるとしか言いようがない。回想録のイラクの章からの抜粋が公開されているが、私としてはどうしても、それを事細かに検討せずにはいられない。I can say that never did I guess the nightmare that unfolded, and that too is part of the responsibility
その後展開されたような悪夢については、当時は私はまったく推定することもしなかった。それもまた、責任の一部である
「まったく推定することもしなかった」? しかしなぜ「推定する」必要があったのだろうか? 2002年11月、英国でトップのイラクと国際安全保障の専門家6人が、直接対面しての会合で、トニー・ブレアに対し、イラクに侵攻した結果、壊滅的なことになる可能性があると警告していたではないか。……一方でJICは2003年2月に、アルカイダの脅威は「イラクに対する軍事行動の結果高まるであろう」と警告している。
ハサンの指摘からは抜けているが、学者の会議からJICの警告までのあいだに、何度も何度も、別々の発信源から、「警告」は繰り返されていた。例えば先ほど見たエドワーズの文章には次のようなくだりがある。
保守党の元外相ダグラス・ハードによると、イラクに対する戦争は、「中東を、反西洋テロリズムのための、汲み尽くせぬほどのリクルート地とする危険がある」(フィナンシャル・タイムズ紙、2003年1月3日)
同様の声は多い。というのも、イラクに対する攻撃は、2001年9月11日の米国襲撃を引き起こすに至ったような、力の悪用であることは疑いないからである。……
ダグラス・ハードはサッチャー政権とメイジャー政権での外務大臣。つまり1990年の湾岸戦争のときの英国の外務大臣。ハードのこのような態度は、ネオコンからは「腰抜け」と罵倒されるようなものだったが、ハードは保守のリアリストであって「平和主義者」ではない。
閑話休題。ハサンの文章に戻ろう。「サダムが武器査察を妨害したので」論へのツッコミを経て、私が発狂しそうになったところ。
(サダムは)なぜ神話を守るために自身の国に戦争をもたらすのだろうか。
サダムが「自身の国に戦争をもたらした」のではない。米国と英国が、国際法を無視して、イラクに侵攻したのである。そして、現在ではわかっていることだが、イラクの独裁者は最後の最後で戦争を回避しようと必死に試みた。例えば(よりによって)リチャード・パールへのバックチャンネルを使うなどだ。ケイ博士はさまざまな警告をしていたが、大方無視された。その中には、サダムは私たちが考えているよりも大きな脅威であろうという意見もあった。当時はこの人は何を言っているのだろうという感じに見えた。
デイヴィッド・ケイ博士か? トニー・ブレアがここで支援を求めている人物は、かつてガーディアンのジュリアン・ボージャーが指摘していたが、不偏不党とはほど遠いスタンスの人物だ。「戦争の前、ケイは最も熱心に軍事行動を支持していた人物のひとりだった」
ISGのデイヴィッド・ケイなんて名前を、今もまだ「自己正当化」のために使えるトニー・ブレアのツラの皮の厚さは500メートルくらいあるだろう。この戦争犯罪人が2010年になって言いたいことは、要するに、「私は私の元にもたらされた情報を信じたのだ」、「その情報が間違っていたのだ」ということだけなのだ。全部「情報」のせい。
そして、都合よく「情報」を選択し、誰もが知っている事実をスルーする。自信たっぷりにスルーされると、そんなことなどなかったかのように人々は思う。詐欺師の常道だ。
核兵器についてのこの結論は、事実、2004年7月のバトラー報告書で認められた。その後、同年9月にISGのフルの報告書が書かれたのだが。バトラー報告書では次のように結論している。……
そして、なんということでしょう、ブレアはバトラー報告書の一部を都合よく抜き出して、「情報への重み付けが限度を超えて過重だった」との結論には一切触れていない。バトラー卿自身が2007年2月に上院で見解を述べたのだが、それも言及されていない。卿はトニー・ブレアは、どんなに控え目に言っても、イラクの「脅威」について「不正直 disingenuous」であった、と述べているのだ。
そして、次のパートは、私は卒倒しそうになったのだが:
1979年にサダムが権力の座に就いたとき、イラクはポルトガルよりも、マレーシアよりも豊かだった。それが2003年までには、人口の6割が食糧支援に頼るようになっていた。
経済制裁への言及がない。米国と英国が推し進め、国連によって実施された経済制裁だ。……
ロンドンのウエストミンスターの国会議事堂の前の芝生のスペースに座り込んで抗議行動を続けているブライアン・ホーさんという男性がいる。彼は「イラク戦争に抗議して」と説明されることもままあるのだが、実際に彼が座り込みを開始したのは2001年6月、イラク戦争どころか、9-11の前だった。行動を開始するほどに彼が強く抗議したのは、イラク戦争ではなく「対イラク経済制裁」だった。
彼の行動はニュースになったし、彼のテントとその周辺に集められた支援者からのアートワークなど(バンクシー含む)が警察によって強制的に撤去されたときには大きなニュースになったし、そのときに撤去されたアートワークが現代美術家によって再現されてテイト・ブリテンで展覧会がおこなわれたときも大きなニュースになったが、それでも、トニー・ブレアは回想録で「英米が主導し、国連が実施した対イラク経済制裁」を無視する。
この「権力者による無視」に対し、常に抗い続けていくということは非常に大変なことだ。常に圧倒的な無力感と戦わなければならない。
ハサンの文章は、上記のように細かくブレアの記述を検討していて、読んでいると私はつらくなってくる。2002年末から2003年3月の、あのひりひりするような感覚。
2003年のエドワーズの文章は、次のように結ばれている。
これらの新聞の編集者たちは、ブレアの躁状態の強烈さと感動的誠意の見せかけに騙されたのかも知れないと、我々は思う。けれども、真実を、このように操作するためには、意識的な選択と省略が必要である。そして、誠実さがあれば、そんなことはできないはずである。未来の世代が、現在を振り返って、この道徳的破滅と知的崩壊を、暗くあざ笑うことは、確実である。
たぶんこれがそのまま、2010年9月1日発売のトニー・ブレアの回想録にも当てはまる。
そしておぞましいのは、2010年9月の「ブレアの躁状態」は、「イラン爆撃」にかける熱意に発している、という点だ。
イラン爆撃をブレアがどう考えているかについては、チルコット・インクワイアリで証言した時の記録を参照。 http://bit.ly/cnflkv にwritten evidenceあります。ただのメモでよければその当日の私のブログ http://bit.ly/arsx2K
http://twitter.com/nofrills/status/22752094410
※この記事は
2010年09月03日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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