「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年08月07日

「こんな写真を見ることがあるとは誰も思ってなかっただろう」という見出しがブラフではない件

多くの場合、派手なキャッチフレーズや見出しは、それがつけられた中身を見てみると、「まあ、うそじゃないけど大袈裟だよね」という感じのものであることが多い。見出しではないがI Can't Believe It's Not Butterという商品名のマーガリンなど。

しかし7日のベルファスト・テレグラフの「こんな写真を見ることがあるとは誰も思ってなかっただろう」という見出しの記事は、まさに「はい。こんな写真を見ることがあるとは思ってませんでした」としか反応できないものだ。

Picture from Northern Ireland you thought you’d never see
By Lindy McDowell
Saturday, 7 August 2010
http://www.belfasttelegraph.co.uk/opinion/columnists/lindy-mcdowell/picture-from-northern-ireland-you-thought-yoursquod-never-see-14900831.html



西ベルファスト、フォールズ・ロードにあるシン・フェインの本部の壁に描かれた、例の有名なボビー・サンズの壁画の前に、10人くらいの白髪頭のおっさんが並んでいる。人だけ見れば、ぱっと見、同窓会か地区の集まりか何かにしか見えない。場所も含めてみれば、「ロング・ケッシュ大学」の「卒業生」の集まりか、あるいは素直にシン・フェインの集まりか……という感じだ。あるいは、最近流行の「紛争観光」での観光客の記念撮影か。

だが、そうではない。ここに並んでいるのは、左から:
1. Rev Harold Good
http://www.qub.ac.uk/home/Graduation-Archive/HonoraryGraduates2008/RevGHaroldGood/
メソジスト(プロテスタント)の宗教家で、2005年のIRAの武器放棄の証人を務めた。

2. John Bunting
UDA最高幹部 (UDA Inner Council brigadier)。

3. William 'Plum' Smith
1994年のロイヤリスト停戦時のロイヤリスト軍事司令部連盟 (Combined Loyalist Military Command) 議長。

4. Jackie McDonald
http://www.flickr.com/photos/23386031@N00/3346296173/
UDA最高幹部 (UDA Inner Council brigadier)。

5. Martin McGuinness
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_McGuinness
元IRA最高幹部、現北アイルランド自治政府副ファーストミニスター。

6. Harry Thompson
ベルファストのリパブリカンとして長く活動してきた人物で、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスと非常に仲がよい。

7. Winston 'Winkie' Rea
Red Hand Commando, つまりUVF系武装組織のリーダー。

8. Peter Sheridan
http://www.tribune.ie/news/home-news/article/2009/jan/11/government-appeals-to-ex-constable-to-return-to-ps/
カトリックで、北アイルランド警察がRUCだった時期から警官をしていて、最終的にはPSNI(今の北アイルランド警察)の警視総監補佐になった。

9. Brian Rowan
ベルファスト・テレグラフで「紛争」に関する記事を担当しているジャーナリスト。元々はBBCの人。

……こんな写真を見ることがあると思っていた人は、絶対にいないよ。私はお茶ふくのも忘れた。


書きかけ

※この記事は

2010年08月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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北アイルランド、現場の「和解」がまた一歩進んで、「歴史的」とも言いたくなることが起きている。
Excerpt: 1987年12月22日、ベルファスト。 この日、18歳のガリーは、アルスター・ホールにいた。ベルファスト出身で最も成功していたバンドであるStiff Little Fingersのライヴ。演奏中、S..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2012-10-27 17:31

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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