「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年08月03日

北アイルランド、デリーの警察署脇でカーボム

2010年8月3日、現地時間午前3:20ごろ、北アイルランドのデリーの警察署の脇でカーボムが爆発(爆発物処理班による処理ではなく、実行犯の意図どおりの爆発)。負傷者の報告はないものの近隣の建物に被害が出ている。

現地からリアルタイムでのtweetsやニュース系のtweetsを1ページで閲覧できるようまとめたもの:
北アイルランド、デリー警察署脇でカーボム(2010年8月3日)
http://togetter.com/li/39569


BBC News NIのキャプチャ:


UTVの記事によると、火曜日早朝、男2人(1人は銃を持っていた)がCooke Streetでタクシーの中に爆発物を置いて、そのタクシーの運転手にStrand Roadまで行って車を捨ててくるように命じた(Provisional IRAが「北アイルランド紛争」中によく使っていた手。proxy bombingで詳細調べられるはず)。爆発は午前3:20ごろに起き、道路の反対側の商店の正面や建物に被害を及ぼした。負傷者なし。

UPDATE:
詳細が警察から発表された。爆発物はホームメイドで、量は200ポンド(100キロ)。

BBC News NIのトップページ。


映像を見る限り、2月のニューリーのボムによく似ている。
http://nofrills.seesaa.net/article/142038700.html


※この記事は

2010年08月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼