「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年07月31日

1971年8月9日、ベルファストの西の方でそれは開始された。

1971年8月9日早朝、ベルファストの西のほうのカトリックの住宅街の家々のドアを、英軍とアルスター警察がノックして回ったた。「インターンメント Internment」(強制収容)と呼ばれた当時の北アイルランド自治政府の政策が開始された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Demetrius

9日から11日にかけて、一帯の一般家庭の男性342人が身柄を拘束され、拘置施設に入れられた。そしてその一部に対し、「拷問」(英当局は「苛烈な尋問」と呼んでいるが)のための5つの手法 Five techniques が実験された。この件についてはJohn Conroy, "Unspeakable Acts, Ordinary People: The Dynamics of Torture" に詳しい。あと、事態が明るみに出たころに出されたパンフレットがアルスター大学のCAINのサイトで一部閲覧できるようになっているのだが、CAINが今つながらないのでそのURLはあとで。

で、この「インターンメント」開始のときに、英軍とアルスター警察に踏み込まれたバリーマーフィー(西ベルファスト)では、11人が撃ち殺された。ナショナリスト/カトリックの間では「バリーマーフィーの虐殺」と呼ばれる事件だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ballymurphy_Massacre

今年6月、デリーのブラディ・サンデー事件(1972年1月30日)についての新たな報告書で、デリーで英軍によって射殺された13人は誰も英軍兵士らにとっての脅威ではなかったという事実が認められたあと、このバリーマーフィーの事件についても「真実」を明らかにすべきという機運が高まってきていた。

※書きかけ

※この記事は

2010年07月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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