kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年07月23日

7月20日のチルコット・インクワイアリでのMI5元長官の証言について

このことが日本語で報道されないことについては、私は別に何とも思わなかったのだけど、日本語になっている記事が若干斜め上方向のものしかないようなので、一応。

当時政権中枢や政府・軍の中枢にいた人々を直接「証人」として召喚し、原則公開の場で聞き取り調査をしてイラク戦争について調査を進めているパブリック・インクワイアリ(通称「チルコット・インクワイアリ」)は、6月から「第二部」的なものが始まっている。第二部で証言を行なっているのは、トニー・ブレアとかジャック・ストローのようなhousehold name(誰でも顔と名前の一致するような人々)ではなく、大きなニュース記事になることも少ないのだが、どの証人がどのような証言を行なっているかはインクワイアリのサイトで公開されている。
http://www.iraqinquiry.org.uk/transcripts/writtenevidence-bydate.aspx

さて、このインクワイアリで20日に、極めて重要な証人が召喚された。当時MI5のトップでJICの一員でもあったエリザベス・マニンガム=ブラー(Elizabeth Manningham-Buller)である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Eliza_Manningham-Buller,_Baroness_Manningham-Buller

エリザベス・マニンガム=ブラーの証言内容のビデオとトランスクリプト、また今回新たに開示された証拠(書類)は下記にある。
http://www.iraqinquiry.org.uk/transcripts/oralevidence-bydate/100720.aspx

マニンガム=ブラーは1948年生まれ。MI5の対テロ部門(対スパイ部門ではなく)の人で、70年代からMI5で活動、ロッカビー事件や北アイルランド紛争に関する仕事をし、2002年10月にMI5長官となった。その後2003年3月のイラク戦争開戦、2005年7月のロンドン地下鉄&バス爆破事件などにMI5のトップとして対し、2007年4月に引退した。


で、「英国にとってのテロの脅威」が9.11後に急に浮上したかのように語りたがる人たちとは対極的と言ってもよいと思うが、マニンガム=ブラーは常に「英国は常にテロの脅威にさらされてきた」という立場である。実際、年表でも見れば一目瞭然だが、2001年9月11日の衝撃のつい数週間前には、ロンドンでは「またか」という「テロ」が起きていた……なんてことは私は書き飽きるほど何度も書いているのでURLを貼るだけにして飛ばす。
http://en.wikipedia.org/wiki/3_August_2001_Ealing_bombing

7月20日のチルコット・インクワイアリでの証言でも、マニンガム=ブラーは基本的にそういうことを言っていた。そして、サダム・フセインなど積極的に叩かずともよろしいという程度の脅威でしかなかったのに、それを無理やり叩いたことで「イスラム過激派」の怒りを買うことになり、その結果として英国にとってのテロの脅威は増大したのだ、ということを語った。私は当日、インクワイアリのサイトでのストリーミング放送で、本物の上流階級の英語(めったに耳にしないくらいに上流)で語られる元MI5長官の証言を聞いて、特に意外性はない証言だなあ、と思った。

これが日本語で報道されないことについては、私は別に何とも思わなかった。

ところが、Twitterで知らされたのだが、イランのIRIB(国営ラジオ)の日本語版が、これを記事にしている。そしてそれが、最大の要因としてはおそらく、(IRIBという媒体にある根底的な反英感情以前に)単に言語的な話で、英語(マニンガム=バラーの発言)→ペルシャ語→日本語と重ねて訳されたことだと思うが、かなり微妙になっている。(英語とペルシャ語の距離が遠く、ペルシャ語と日本語の距離が遠いので、この径路での重訳では、翻訳という作業に不可避な「ずれ」が大きくなる。)

さらに、日本語で読めるニュース記事としては(その時点では)IRIBのその記事だけだった。私もGoogle Newsなどで確認したが、マニンガム=ブラーの証言について伝える日本の報道機関(通信社、新聞社など)の記事は、ネット上には皆無だった。

となると、「英語できないんで」という人たちが参照するのがIRIBの重訳された記事だけになってしまう。(^^;)

……というわけで、このエントリを立てている次第だ。

さて、件のIRIB記事だが:


“イギリスMI5元長官、「サッダームは脅威でなかった」”という見出しがまず大袈裟。それから、記事の第一段落にある“「イラク戦争時、サッダーム・フセインはイギリスにとって全く脅威にならず……」と語りました”というマニンガム=ブラーの発言要旨がミスリーディング(というか「誤り」と言ってよい域)。

マニンガム=ブラーは「脅威でなかった」とは述べていなかったし、ましてや「まったく脅威にならず」などと語ってはいなかった。「言われるほど大きな脅威ではなかった」と述べていただけだ。

同じIRIBの記事の次の段落以降を読めば、「脅威でなかった」という文言を使ったわけではない、ということはわかるのだが……。
BBCの報道によりますと、ブラー元長官は、イラク戦争へのイギリスの参加について検証するイラク独立調査委員会において、情報局保安部の見解では、イラク側からの危険はほとんど感じられず、サッダーム・フセインがイギリスでテロ攻撃を行える能力は、非常に限られていた」と述べています。


それから同じ記事には次のような記述がある。
2002年から2007年まで情報局保安部の元長官を務めていたブラー氏は、「収集された情報は、イラク戦争を正当化するのに十分ではなかった」としています。
ブラー元長官は、イギリスの諜報機関の元メンバーであり、この機関は、物議を醸す報告書を作成していました。
その中では、「イラクは、大量破壊兵器を保有しており、当時のイギリスの政権はイラク占領を正当化するためにその報告書を利用した」とされています。


第三文の「その中では」の「その」って何だろう?

それと、これが「ぎこちない翻訳」のせいなのか何なのかわからないのだが、上記引用部の第二文、「イギリスの諜報機関」が明確化されていないのは何なのだろう。

第一文の「情報局保安部」は「イギリスの諜報機関」のひとつであるMI5のことで、マニンガム=ブラーがその長官だったことは誰でも知っているのだが、同時にMI5長官はGCHQやMI6といったほかの機関のトップとともに、JIC (Joint Intelligence Committee) のメンバーでもあるから(実際、チルコット・インクワイアリでもその点についての質問があった)、そのことを言っているのだろうか。そうとでも考えないと、第一文でMI5を特定しているのに、第二文でいちいちぼかした書き方をしている理由がわからない。

しかし、JICが作成した「物議を醸す報告書」って?

湾岸戦争の頃のイラクについて大学院生が書いた論文をコピペしたくせに「2003年時点の最新の情報を分析」みたいに出してきた、いわゆるDodgy Dossierのこと?

これは、2003年2月、国連安保理で英米とフランスがつばぜり合いを開始したころに米国のパウエル国務長官によって「証拠」として扱われ、即座にコピペであることが暴かれた(にもかかわらず、戦争への流れが止まることはなかった)トンデモない文書で、Number 10のサイト(首相府)で公開されたものだけど、あれをまとめたのは諜報機関ではなかったはず。(専門家ではなく、アレスタ・キャンベル配下の素人が専門家の書いたものを探してまとめてたはず。)

Dodgy Dossierのパクリが発覚した時、私は次のように書いている。
http://homepage2.nifty.com/nofrills/news_february2003_2.html#eight
で,この毎日の記事の最後の方にある政府の弁解というのが,
これまた全然答えになってないんですが,
参考までに,BBCでの記事はこちら。
英語で読んでも答えになってませんので,読む必要すらないかも。
挙句,「政府はauthorshipを独占するとは言ってない」だって。

ということは、「authorshipは政府」ということで出された書類だろう。(こういうケースは面倒……「内閣府のまとめた資料」みたいに明確になってないとね。)

で、誰が(どの機関が)まとめたんだっけということを確認しようとウィキペディアを参照するも、その点についての明確な記述がなく、ウィキペディアのページ内にある外部リンクを参照してもそれがさくっと書いてある文書が見当たらない。このクソ暑いのにIRIBのいいかげんな記述について、体調の悪い私がこれ以上調べなければならない言われはないので作業をストップしよう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Iraq_Dossier

というところで思い出すのだが、いやいや、JICがまとめたのはDodgy Dossierではなく、2002年9月の「45分説」のドシエじゃないか。と思ってウィキペディアを参照すると:
http://en.wikipedia.org/wiki/UK_Joint_Intelligence_Committee#Role_in_the_Iraq_dossier

ウィキペディアでもあまり詳しくないし記述が甘いが、要するに「45分説」のドシエはMI5じゃなくてMI6なんだよね、基本的に。MI6はその前から、つまり例えば2002年7月のDowning Street Memoの段階からまあいろいろとあったのだが。

で、7月20日のインクワイアリでの証言でも、マニンガム=ブラーは自身がJICの中でどのくらいの役割を果たしたかについての質問を受け、イラク戦争に関してはあまり中心的な役割は果たしていなかったと答えていた。(証言記録のPDF文書の4〜5ページを参照。)

そういうやり取りが行われたインクワイアリでの証言について伝えるものとしては、上に引いたIRIBの記事は極めて不誠実なものといわざるを得ない。たとえそれが重訳に起因する不正確さゆえであっても、これでは何ら信頼ができない。

外交的なあれこれの文脈で、英国を「敵」と位置付けているイランのメディアだから云々……ということではなく、単にテクストとしてこれでは困るし、日本語で参照できるものがこれしかない、という状態ではなあ…・・・

と思ってこの上の部分を準備したのが22日なのだが、23日にもうひとつ、IRIBよりずっと信頼性の高い日本語記事が出ていることを教えていただいた

2010年7月23日(金)「しんぶん赤旗」
イラク侵攻→テロ脅威増
イギリス 情報機関元長官が見解


 【ロンドン=小玉純一】英国のイラク戦争を検証する独立調査委員会の公聴会で20日、証言した同国情報機関「MI5」のエリザ・マニンガムブレア元長官は、2003年の米英によるイラク侵攻の結果、テロの脅威が増大したという見解を示しました。

 マニンガムブレア元長官は02年から07年までMI5長官でした。調査委は公聴会で、元長官が開戦1年前の02年3月に内務省官僚トップに送った書簡を公表しました。

 そのなかで元長官は、アルカイダによる01年9月11日の米同時テロにイラクがかかわったとする「信頼できる情報は無い」とし、イラクのフセイン大統領(当時)は「(自身の)体制の存続が脅かされている」と認識しなければテロ攻撃を命じることは「ありそうもない」と指摘していました。

……


IRIBの記事の最後にあった「その中で」の指示対象は、今回開示された例のレターなのか!(インクワイアリの7月20日のページの最初のDeclassified Documentsのところにある。私はこれ見て「すごいものが出てきた」的なことを思ったのだが、実は一番すごいところは白く塗りつぶされている。)

でもそれは「コントロヴァーシアルな報告書」なんかじゃなくってだなあ、今回初めて開示されたものなんだよ。。。 orz マニンガム=ブラーの証言が行われる前に物議をかもす暇などないものなのだよ。第一「報告書」じゃない。「レター」だ。Permanent Secretary for the Home OfficeだったJohn Gieveに宛てた書簡だ。
http://www.iraqinquiry.org.uk/media/48051/letter-manninghambuller-gieve.pdf

http://www.iraqinquiry.org.uk/media/48051/letter-manninghambuller-gieve.pdfしかもそれは、マニンガム=ブラーがMI5の長官になる前に書かれたものだ(2002年3月22日の日付)。

かなり広く知られていることだと思うが、非常に大雑把にいうと、MI5は英国内のことを担当し、MI6は国外(国際関係)のことを担当している。当時MI5のトップではなくそのひとつ下の役職だったマニンガム=ブラーは、カウンター・テロリズムは畑違いのPermanent Secretary for the Home Officeに宛てて、「米国が(英国の支援を得た上で)イラクのサダム・フセイン政権を転覆しようとした場合に、テロ攻撃という点でどのような帰結が予想されるか」について検討し、まとめたレターを出した。それが今回公開されたものだ。

で、チルコット・インクワイアリの証言の席では、マニンガム=ブラーはこのレターに明示されているような見解を改めて説明した、という感じだった。

彼女が「脅威ではない」と言っているのは、「英国内に展開しているイラクの工作員は確認されていないので、仮に英米による攻撃が実施された場合に、仮にサダムが報復で英国に対してテロ攻撃を仕掛けるにしても、そのために工作員を潜入させねばならない」ということだ。それでも「まったく脅威ではない」とは見なしていない。「脅威はlimited(限定的)である」との立場である。(パレスチナ系の組織を通じて何か工作される可能性はあるが、数は少なく当局でコントロールできる範囲内だ、的なことが書かれている。)

で、このレターの最後は次のように締めくくられている。CBとは「化学・生物兵器」のこと。
10. There have for some years been reports of contact between the Iraqi regime and Al Qa'ida about CB. But we have yet to see convincing intelligence that useful co-operation developed, or that Iraq provided genuin CB materials.

11. I am cpying this letter to Stephen Wright, John Scarlett, ...

つまり、生物・化学兵器を過去に実戦で使っているイラクが、アルカイダと関係を結び、それを供与しているのではとの報告はあるが、MI5はそれが事実だと確信できるような情報はつかんでいない。

これは、「サダム・フセインは911事件に関与している」というのと同じような感じで、米国のネオコン(特にラム爺、ウォルフォウィッツ)周辺で囁かれていた「説」で、現在では「根拠なし」と判明している。

これについて、マニンガム=ブラーは7月20日のチルコット・インクワイアリで質問され、「当時から言っていたのですよ、私どもは」といったように答えていた。

そして、インクワイアリのパネルの1人から、当時のブレア首相との距離について質問され、彼女は「首相とはあまり近い間柄にはなかった」という内容のことを証言した。(その部分はちょっと苦笑せざるをえないようなやり取りだった。)

JICについても質問があったが、JICが問題の書類(「45分説」)をまとめたときにはマニンガム=バラーは関わっていなかったということを述べた。

何ヶ月も前に同じインクワイアリで証言を行なったトニー・ブレアとしては「情報機関から与えられた情報を信じ、それに基づいた自分の信念で行動した」とのことだったが、何のことはない、その「情報」とは「自分が聞きたい情報」だったということだろう。(そういう点での結論を出すのが今回のインクワイアリの目的であって、ここで私ごときが何かを考えたり述べたりしたところで、だから何、なのだが。)

で、マニンガム=バラーは「当時はそんな、ほとんどありそうにもないテロの脅威などより、ずっと注意が必要な、現実的なテロの脅威があった」という方向性で、「アイリッシュ・テロリズム」のことを話した。ここでいう「アイリッシュ・テロリズム」とは、1998年の和平合意に反対し、和平路線を覆し、また和平路線を推進する者たちを殺そうと狙っているリパブリカン組織(Real IRAなど)、プロテスタント組織(Orange Volunteersなど)のことだ。

2002年とか2003年とかの時期には、アイリッシュのほか、ブリティッシュ(特にイングリッシュ)の極右のテロに対しても、MI5はかなりいろいろ動いていたはずだ。自分の看板を掲げると人々がドン引きしてしまうような極右組織(BNP、National Front、C18など)が右翼的傾向のある団体などに浸透をはかっていたし、一部のいっちゃった人々が1999年のSOHOネイルボム犯人を崇拝し、似たような爆発物を作ろうとしていたりもした。

そういうリアルな「脅威」があるときに、ほとんど現実的な可能性のない、絵空事といってもよいような「サダム・フセインが英国を攻撃してくる」説は、MI5は右から左へ受け流していたのだろう。

※書きかけ






※なお、Elizabeth Manningham-BullerはMI5長官を退いたあと爵位を得ており(元々貴族のご令嬢でもあるが)、Baroness Manningham-Bullerとも表記される。また名前のBullerの読み方は、普通に英単語として見れば「バラー」だし (see "butter" etc)、そう読む人名もあるはずだが、この人の場合は「ブラー」と読まれるらしい(BBC Newsの音声で確認。語強勢は第一音節に置かれる)。一方、日本語記事では「ブレア」との表記もあり、実際にそのように聞こえる発音もあるのかもしれないが、これはカタカナにしてしまうと「トニー・ブレア」のBlairと同じになってしまうので、採用しないことにする。なお、英語ではBullerとBlairの音は似ても似つかない(Bの直後の母音の有無、語強勢の位置)。



※この記事は

2010年07月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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