「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2010年07月09日

「母の声に何らかの希望が感じられたのは何年ぶりでしょうか」

6月の下旬から、ある女性の名前がオンラインのイラニアン筋で非常に多く語られていた。7月3日にはその女性の名前がガーディアンの記事の見出しになった。



そして、「投石刑」に処せられることになってしまったというこの女性の投石刑の執行が停止された、というニュースが、昨日から今日にかけてオンラインに出た。



「投石刑」というのは、上のガーディアンのキャプチャにある写真(これは抗議行動での再現の写真)のように、処刑の対象者を肩まで地面に埋めて、一般の人々に石を投げつけさせるという公開処刑の方法だ。死刑という国家による殺人の制度そのものについての賛否は別として、単に生命の奪い方としてあまりに残酷だという点では、誰に聞いてもあまり意見は割れないだろう。

刑を宣告されていた43歳の女性、Sakineh Mohammadi Ashtianiさんは、6月後半に房を移されて「明日にも投石刑が執行されるかもしれない」ということになっていたのだが、ここに来てその投石刑の執行は停止された。しかし死刑が取り止めになったのか、別の方法での死刑に切り替えられたのかは不明だそうだ。

※書きかけ

※この記事は

2010年07月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。