「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年07月07日

2005年7月7日から、今日で5年が経過する。

2005年7月7日から、今日で5年が経過する。ロンドンの地下鉄で次々と爆発が起きたのは朝のラッシュアワーの時間帯で、つまり時間帯としてもそろそろだ。(現在、日本時間で16:30くらい。ロンドンの時間で08:30くらい。)

しかしBBC NewsのUK Newsでは、他に大きなニュースがあるという事情もあるだろうが(メインの3件は、アフガニスタン、ヘルマンド州サンギンからの英軍の撤退の件、イングランドで男が人を撃って銃を持ったまま逃走している件、英女王が53年ぶりに国連でスピーチをした件)、右枠のOther news欄の一番下に出てくるだけである。



UK Newsのひとつ下の階層であるEngland Newsのページを見ると、銃を持って逃走中の男の件、水不足対策の件に続いて、3件目に「追悼式典が行われる」との見出しがある。



この下に、式典後のガーディアンのトップページキャプチャ。


右上の破壊されたバスの写真(当日のタヴィストック・スクエア)と、左下の一群が関連記事。


※この記事は

2010年07月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:32 | TrackBack(0) | todays news from uk/07 july 2005 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼