kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年04月26日

12日のパレス・バラックスのカーボムについて

今月12日の夜中、北アイルランドのベルファスト近郊の英軍基地で、MI5の北アイルランドの拠点でもあるパレス・バラックスでカーボムが爆発した。

その後いろいろ別なニュースなどがあったのでタイムラグが生じているが、その件についていろいろ断片をここに寄せ集めておくことにする。

■報道:
当日の非常にわかりやすい現場レポート。Sky:
http://www.youtube.com/watch?v=v9yqvqlehgM

BBC Northern Ireland:
http://www.youtube.com/watch?v=nCnYW7TUBY8


■現場の様子:
右図(クリックで原寸表示)は「Real IRAが犯行声明を出した」と報じられたときのBBC News NIのトップページから。写真4枚目がMI5の本部の建物で、これは敷地の奥の方にある。3枚目がボムが置かれた場所だが、これがどこなのか(MI5の建物からどのくらい離れているのかなど)は報道で見た記憶も記録もないが、表玄関側(大通り側)ではなく裏のようだ。

爆発物のタイプについては
※ここらへん書きかけ。


■過去記事:
2010年04月12日 英メディアが書こうとしない真実を大陸のメディアが!(その軍基地はMI5の拠点である件)
http://nofrills.seesaa.net/article/146321222.html

2010年04月12日 12日夜中のパレス・バラックス爆弾事件で犯行声明
http://nofrills.seesaa.net/article/146334790.html

2010年04月17日 【速報】パレス・バラックス(MI5のNI本部)のカーボムで1人逮捕
http://nofrills.seesaa.net/article/146825421.html
※この人は数日後に何事もなく釈放され、その後別の人が逮捕されています。2人目の逮捕者は取調べ中だと思います(26日現在)。

※この記事は

2010年04月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼