「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年04月12日

ストーモントでのNI自治政府司法大臣指名、今中継が始まりました→デイヴィッド・フォードが指名され、終了。

今日、38年ぶりに、警察と司法の権限がロンドンからベルファストに移されます。

ストーモントでのNI自治政府司法大臣指名、まさに今中継が始まりました@12日21:45日本時間。
http://news.bbc.co.uk/democracylive/hi/northern_ireland/newsid_8167000/8167445.stm

波乱なく、アライアンス党のデイヴィッド・フォードが自治議会議員によって選ばれ、議長によって指名されました。今、フォードが指名後の演説をしています。(フォードについてはBBC NIのProfileの記事などを参照。)
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フォードのスピーチは3分ほどで終わり、今は議会第一党DUPのスピーチ。司法大臣選出の過程についてd'Hondtの原則から外れていたことについてジャスティファイする目的の演説。
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それが今終わって、シン・フェインです。アダムズ。今喋ってる@21:52。
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なんか、SDLP相手に勝利宣言してるし (The SDLP failed today. Again. だって)。本気でむかついてくる。

その後はUUPの発言@21:55。
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アライアンス(というか新大臣、デイヴィッド・フォード)、DUP、UUPは今日のパレス・バラックス近くのカーボムについてがっつり喋っていました。

その後がSDLPで、ゲリマンダリングのためSDLPには不利だったといった決定に対する異議の表明が主だけど、SFに売られた喧嘩はちゃんと買っている。(まあ、いつものことですが。)
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それから、アライアンスのNaomi Longのスピーチ(私たちは心をひとつにして将来へ向かい、今日のパレス・バラックスでの出来事のようなことにはこの社会には居場所はないという態度を明確にしていく、的な内容)。
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それからPUPのドーンさんの短いスピーチ。PUPはロイヤリスト武装組織UVFの政治部門なので、警察・司法権限の移譲に際しての発言はそれなりに注目されるのだけれども、藪の周囲を叩いて一周してますねという感じ。北アイルランド紛争の一番汚い部分(英治安当局とロイヤリスト武装組織とのつながり)の真相究明がされるかされないか、されるとしてどこまでされるのかをめぐっては現在進行形でいろいろあるのだけれども。
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最後に無所属のKieran Deenyの短いスピーチがあり、終了。次の議題に移る前に1分ほどのブレイク。
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議場から何人かが立ち去って(誰とはいいませんが、シン・フェインのトップ3人はここで退席)、粛々と、次の議題に移りました。



補足:
d'Hondt制でいけば司法大臣はSDLPが取るのが順当だったのが、そのポストと情勢のあれこれへの配慮があり、オレンジ側第一党と緑側第一党が「落としどころ」として「オレンジでも緑でもない勢力」をそのポストに推挙することでひそかに合意していたとかいうのが、SDLPの異議の背景にあります。

その上に、フォード自身の大失言(下記)があったのだけれど、結局は「大政党の数の力」が物を言う形になった……という解説も可能だし、数日内にそういう解説がどっかに出るような気もします。

2010年03月04日
NI で「司法大臣」になりそうな政治家が「ブラディ・サンデーのインクワイアリは無駄 pointless」との見解
http://nofrills.seesaa.net/article/142771198.html

いずれにせよ、ストーモント体制が崩壊するのではないかという見方が広がった2月のあの「エクストリーム交渉」の末に合意に至ったこと(ヒルズバラ合意)が、今日ちゃんと形になったということですので、それは大きな区切り。38年ぶりに、警察と司法の権限がベルファストの自治政府に移される(ただしMI5は「国家安全保障」の範疇での活動ということで、自治政府下には入らない)。

Real IRAの "Brits" (英軍とMI5)に対するボムは、その区切りの日にタイミングを合わせたものです。

※この記事は

2010年04月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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