「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2010年03月17日

あの緑の島では、3月17日はお祭り騒ぎ

3月17日である。Saint Patrick's Dayである。ネット上でゆるくつながっている先にいるアイルランド島の人たちからは、時差考えると現地はまだ3月16日のはずという時間帯から、「始まってますー」とかいう(酒臭い)文言が私のパソコンのモニタに到着している。ちらほらと。

米国では3月17日の前の週末に行事をおこなうが、「本場」のアイルランド島ではこれは「(国の基礎を築いた)建国記念日」みたいなものだから、何曜日であろうが、絶対に3月17日にお祝いをする。「冬が終わった」という風物詩でもある。

ただ今年は、アイルランドの冬がむちゃくちゃ厳しく、ドカ雪が降ったりした影響で、3月17日に重要な例のアレが足らないらしい。ハフィントン・ポストでは次のように面白可笑しな見出しを立ててそのことを報じている。

Ireland Shamrock Shortage SEVERE, Causes St. Patrick's Day 2010 Celebration Concerns
http://www.huffingtonpost.com/2010/03/16/ireland-shamrock-shortage_n_501045.html
Botanist Dr. Declan Doogue of the Royal Irish Academy told IrishCentral that the shamrock was "hit hard" by severe winter weather and it "won't be easily found" in Ireland. That means less green for this year's St. Patrick's Day.

それから、Huff Po記事からリンクされているNewsdayの記事(非登録だと冒頭だけ閲覧できる)にもあるのだが、北米で「シャムロック」と呼ばれている草と、アイルランド島(およびブリテン島)で「シャムロック」と呼ばれている草とは別のもの。植生が違うだろうから当然といえば当然だ。基本的に、3枚の葉がああいう形(クローバーの形)でくっついていれば「シャムロック」らしい。元々のいわれが、聖パトリックがキリスト教を広めたときに、「三位一体」を説明するためにそのへんの草の葉を使った、ということだから、別に種を特定するところまでこだわらなくてもよいのだろう。

(という事情だから、Huff Poの記事に添付されている写真が「四葉のクローバー」なのはおかしい。)

なお、アイルランドで「シャムロック」として最も広く認識されている草がTrifolium dubiumだそうで、Trifoliumは(たぶん)「3枚の (tri-) 葉 (folium)」の意味だ。

さて、このお祭り騒ぎ、元々はアイルランドからの移民が多かった北米のほうが派手だったそうだが(アイリッシュの人たちが遠く離れた「故国」を懐かしみ、ナショナリズムを昂揚させる祭り)、アイルランドでは1903年にパブリック・ホリデーとなった(当時、アイルランドは島丸ごと連合王国の一部で、アイルランド人の国会議員が英国会に法案を提出して通した、というのだが、この時代ってHome Ruleで英国会がすごいことになってた時代よね)。

しかしここで酔っ払い続出でいかんともしがたいという事態が発生し(20世紀はじめだと、人々がざぶざぶと飲んでいたのは「ギネス」などのビールではなく、ウイスキーだろう。過去記事参照→ギネスの200周年にあわせて、1956年に行なわれた調査では、19世紀末になってもかなり珍しい飲み物として扱われていた地域が多かったことを示している。……略……「私が話をした年嵩の男性は全員……わしらの若いころにはポーターなどというしゃれたもんはなかったといい、彼らのお父さんの世代はひたすらウイスキーを飲んでいたそうです」)、3月17日をホリデーにする法案を出した議員は、今度は「3月17日はパブ営業禁止」という法案を出すはめに。結果これが法律となり、1970年代に廃止されるまでは、3月17日はパブなしだったらしい。

……なんてことが書かれているウィキペディア英語版をつらつらと眺めていると、アイルランド共和国政府が3月17日のお祭り騒ぎの先頭に立つようになったのはつい最近のこと(1990年代)だとかいった、「イメージ」とか「思い込み」を修正してくれるような知識も得られる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Patrick%27s_Day

で、この時期、アイルランド系の人に "Happy St. Patrick's Day!" なんてメッセージを送ったりするかもしれないけど、それっぽい音楽をYouTubeで探してURLをつける……という場合には、「IRAのレベル・ソング rebel song」を外すように気を使ってください(ただし相手がレベル・ソングでも問題ない場合もあるかもしれないけど)。レベル・ソングも音ではいわゆる「アイリッシュ・トラッド」にしか聞こえないことが多いので、歌詞を確認することが必須です。例えばThe Dublinersが演奏している "Off to Dublin in the Green" (緑の服を着てダブリンに行こう) は、「3月17日はダブリンでお祭り騒ぎをしよう」などという歌ではなく、「おいらは農民、畑仕事しか能がねぇ」という男がダブリンに行ってIRAで戦うぞという歌。(この曲は、Irish Republican Songsの一覧にも入っていないが、レベル・ソングのCD複数に収録されていることは確認済み。)

そういえば先日、デリーだったかな、オレンジマン(プロテスタント強硬派)が集まってる横を車で通り過ぎながらリパブリカンのお歌をがんがん流していた男に罰金刑、というニュースがあった。(お茶ふいた。)


※この記事は

2010年03月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:04 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼