「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年03月04日

【訃報】マイケル・フット

マイケル・フットが亡くなった。1913年生まれの96歳、大往生だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Foot



労働党の中でもかっちかちの左翼だったマイケル・フットは、生まれてこの方ずっとサポートしてきた地元のプリマス・アーガイルFCで「左の攻撃的ミッドフィールダー」として背番号をもらったことが、2003年に日本でも報じられている。検索したら下記が出てきた。
http://allabout.co.jp/sports/worldsoccer/closeup/CU20031219A/index4.htm
労働党元党首で90歳になるマイケル・フット氏(Michael Foot)が、イングランド2部のプリマス・アーガイルに入団―――。ちなみにこのニュースが飛び込んできたのは、4月1日ではありません。背番号は彼の年齢と同じで「90」、ポジションは左の攻撃的MFだというのです…。






http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Foot

He became a journalist, working briefly on the New Statesman, before joining the left-wing weekly Tribune when it was set up in early 1937 ...


というわけで:




最後のインタビュー記事は2008年11月のNSのようです。
http://www.newstatesman.com/uk-politics/2008/11/michael-foot-labour-tribune

マイケル・フットも設立メンバーのひとりだったCND:


The Campaign for Nuclear Disarmament (CND) は1957年11月のJ. B. Priestleyの文章(英国の単独核放棄を支持するもの)にルーツのあるグループで、1958年2月に最初の集会を行なっている。この集会のポスターでプリーストリー、バートランド・ラッセルといった人々の名前が列挙されているが、その筆頭がマイケル・フットだった、ということを、訃報が出たので見てみたCNDのサイトで知った。

合掌。

※この記事は

2010年03月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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