kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年03月01日

外務省の「海外安全ホームページ」に注意喚起が出ています(北アイルランド)



この半年間、北アイルランドで「非主流派リパブリカン dissident republicans」の活動が「活発化している」としか判断しようのない感じになっていますが、日本の外務省の「海外安全ホームページ」に注意喚起が出ています。



このページでは、昨年9月のForkhillのカーボム(爆発せず)、10月の東ベルファストでの仕掛け爆弾(警官を狙ったもので、車を運転していた標的のパートナーが軽傷)、同じく10月のベルファストのTA兵舎への爆発物攻撃、11月のPolice Boardへのカーボム(完全には爆発せず)、今年1月のアントリムでの仕掛け爆弾(警官を狙ったもので、標的の警官が片脚切断の大怪我。最近やっと集中治療室から出られたそうですが……)、2月のベルファストの警察署へのパイプボム攻撃、同じく2月のKeadyでのMortar bomb発見、そして2月22日のNewryでのカーボムと、8件の事件が列挙されている。(デリーでの射殺事件は、この注意喚起が書かれたあとに発生していると思われる。)

それぞれ、このブログで詳しく書いているので、確認の必要がおありの方は過去ログをあさってください。

で、こんなことが書いてあるんですが:
1.北アイルランドでは、ベルファストを中心に各地でIRA(アイルランド共和国軍【原文ママ:1922年以降のIRAについては、本来、「共和軍」とすべき】)分派によるとみられる爆弾テロ事件やテロ未遂事件が発生しています。

……

2. つきましては、北アイルランドに渡航・滞在を予定されている方は、テロ事件や不測の事態に巻き込まれることのないよう、最新の関連情報の入手に努め、テロの標的となる可能性のある警察署、裁判所、軍の施設や官公庁には必要がない限り近づかず、訪問する際は、できる限り短時間に止めてください。……


ええと、まず、注意が必要なのはベルファストよりむしろアーマー州とデリー市。(ベルファストは、上記のような派手な事件の件数で見れば多いかもしれないけれども、実際に不穏な話が多いのはデリーとサウスアーマー。)

それと、「テロ事件や不測の事態に巻き込まれることのないよう、最新の関連情報の入手に努め」っていってもそれがけっこう難しい。英語が読めることが前提ですが、とりあえずベルファスト・テレグラフとデリー・ジャーナル(またはロンドンデリー・センティネル)とBBC Northern Irelandくらいはチェックしておくこと、それからTwitterでEamonn Mallieら北アイルランドのジャーナリストをフォローしておくことが、現状「鉄板」と言えるのではと思います。

テレビ、ラジオなど音声での情報収集は、北アイルランドについてはかなりハードルが高いのではないかと思いますが、BBC NIのラジオ、UTVなど日本からアクセス可能な地域のニュースソースはあります。
http://www.bbc.co.uk/northernireland/radio/
http://www.u.tv/

デリー(ロンドンデリー)方面については、BBCではFoyleとしてベルファストなどとは別に扱っています。

で、「非主流派リパブリカン」というのは、INLAが武装解除した現在ではReal IRAとContinuity IRA、およびその分派(ONHなど)や別名組織、およびそれぞれの政治部門(RIRAについては32 CSM, CIRAについてはRSF、など)がありますが、それぞれの区別を厳密につけることにはあまり意味がないようです(まったく意味がないわけではないにせよ)。ただし重要なのは、彼らは「北アイルランド紛争」(1968年から1998年まで)で「IRA」として知られていたProvisional IRAとは別の組織である、ということ。PIRAは既に武装解除していて武装組織としての実体を失っています。PIRAは政治的にはシン・フェイン(党首ジェリー・アダムズ)ですが、「非主流派リパブリカン」は彼らシン・フェインの方針・方向性に反対して離脱した勢力で、シン・フェインのコントロール下にない。逆に、シン・フェインの幹部に対し「殺す」という脅迫をしている常態。

これをしっかり把握していないと、「最新の関連情報の入手に努め」ても読み誤るかもしれないので、注意してください。

で、「非主流派リパブリカン」が目に見えて活動を活発化させた昨年3月(RIRAが英軍基地を襲い、英兵2人を射殺、ピザ配達人2人を負傷させ、CIRAが騒ぎの現場に駆けつけた警官を射殺した)、「主流派」のリパブリカンであるシン・フェインは「非主流派への支持はほとんどない。無視できるほど小さな勢力である。そのような極少勢力に事態を左右させてはならない、脅しに屈してはならない」というようなことを言っていたのだけど、それはプロパガンダと思っておいたほうがいい。人数的には小規模でも、無視できるほど小さいとは限らない。

そういうことは、シン・フェインとは別の流れで非武装で活動してきたナショナリストの活動家であるエイモン・マッカン(個人的にはすごいレスペクトしてるけど、メインストリームではないわね……)が、既に昨年3月の段階で指摘していたのだけれども、現在、ついにアイルランド共和国の司法大臣が次のようなことを述べている状態だ。

Last Updated: Sunday, February 28, 2010, 16:22
Ahern warns of dissident threat
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2010/0228/breaking22.html
Minister for Justice Dermot Ahern today said the threat from dissident republicans is as great as it was during the Troubles.

Speaking on RTÉ Radio this afternoon, Mr Ahern said the groups were trying to escalate events in the North.

"I don't think it's so much that their support is growing. The information we have is that while it used to be that these groups, particularly the Real IRA and Continuity IRA, were separate groups there seems to be an effort in recent months to bring them closer together; there seems to be cross-fertlisation," he said.

"It is a more worrying trend, because clearly their capability is growing."

Mr Ahern said there had been 13 major events since last September.

※この記事は

2010年03月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:55 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼