「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2010年02月28日

【Real IRAによる「処刑」】家族はステートメントを出し、「背後に当局の関与」を主張

デリー郊外で射殺体で発見された31歳の男性のご家族のステートメントが出された。

殺害の実行を認めているReal IRAが、被害者のキアラン・ドハーティさんについて「われわれの組織の一員である」と述べていることについては、ご家族のステートメントでも何も言及がないようなので、それは事実ということだろう。となると、これは「Real IRAのメンバーをReal IRAが殺害した」という事件であり、この先、例えば2005年のロバート・マッカートニー事件のような展開を見せるとは考えられない。

ご家族のステートメントについては、いくつかの報道機関が記事にして報じているが、私が見た中ではベルファスト・テレグラフが最も細かく具体的だった。

Murdered man’s family accuse MI5 of harassment
By Clare Weir
Saturday, 27 February 2010
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/murdered-manrsquos-family-accuse-mi5-of-harassment-14701309.html

いわく、事件後初めてコメントを出したご家族は、殺されたキアランさんが麻薬製造・密売に関わっていたということ(Real IRAはそう主張し、それが原因で「処刑」したと述べている)を強く否定し、キアランの死にMI5が関わっているかどうかについての調査を求めている。(←NIのリパブリカンの思考パターンについてあまりご存じない方は、ここで「わけわからん」となると思いますが、とりあえず先に行きます。)

BBCなど他のメディアでは明示されていなかったが、ベルテレではこの「家族のステートメント」はエイモン・マッカンを通じて出された、と書かれている。(ジャーナリストとして重要な仕事をいろいろとしているマッカンはデリー出身、1960年代の公民権運動のリーダーのひとりで、より時代が進んでからはSWPのメンバーとして知られる。この人はガチの左翼、SDLPよりさらに左の左翼であって、武装闘争を是とする「リパブリカン」ではない。)

家族のステートメントは、「キアランは当局に情報を提供していたわけではない。また麻薬にも一切関わっていない」、「キアランは殺される前、何ヶ月にも渡ってMI5の恒常的いやがらせ(ハラスメント)を受けていた。MI5は何度も繰り返し、彼を情報提供者としてスカウトしようと試みた。キアランは、死の前の数ヶ月の間に、地域のメディア(デリー・ジャーナル。最初の記事は2009年11月3日付)で複数回にわたって、MI5の行動について語っている」と述べている。

「キアランは常に尾行されていた。電話や手紙も監視されていると彼は考えていた。一瞬たりとも心の休まるときはなく、週7日、1日24時間、MI5による監視のもとにあった」。

そして家族のステートメントは、「彼の動きをずっと監視していたMI5の人々は、彼が誘拐され無残に殺害された夜、どこにいたのか」という疑問を投げかけている。「北アイルランド警察などが、事情を知っている方は情報提供をと呼びかけているが、彼らはMI5に対し、(キアランをスカウトしようとしていた)『ジャスティン』なる人物への事情聴取を要請し、MI5がキアランの死について知っていることを追究しようとしたりするだろうか」。

「殺される前の数ヶ月間、キアランは情報当局から常時監視されていることで大きなストレスを受けていた。体重が減少し、ウツのために病院に入りもした」。

そして、2005年末に「シン・フェイン幹部でありながら、長年にわたって英当局に情報を提供してきた」ことが判明し党を追放され、2006年4月にゴシップ系メディアが「あのスパイの居場所が判明」みたいな記事を出したあとに何者かに射殺された(その3年後にReal IRAが犯行声明を出したが、それが本当かどうかがかなり微妙)デニス・ドナルドソンとキアランを比較して、「いくら何でも考えすぎだと思うかもしれないが、これが現実だ」と述べている。だから「家族を支援し、キアランがあのように殺されたことに嫌悪感を示してくださったすべての方に、(当局の関与についての)調査の要求も支持していただきたい」と。

「ドナルドソンとの比較」についてはベルファスト・テレグラフでも具体的には書かれていない。ドナルドソンが殺されたのは2006年4月のことで、それから4年近くになるのに、事件の真相らしきものは何もわかっていない。ただ実際には「ドナルドソンを殺したのは○○だ」という「説」は当然出回っていて、それには「PIRAの懲罰部隊が動いた」とか「PIRA以外のリパブリカンが『リパブリカンの面汚し』としてドナルドソンを片付けた」などいろいろあるのだが、ここでキアラン・ドハーティのご家族が言っているのは「MI5が口を封じた」説のことだろう。(実際に何がどうなのかについては、ドナルドソンの殺害現場となったアイルランド共和国で警察の捜査があんまり進んでないみたいなので……。)

なお、キアランの家族は、「一部報道でキアランはPIRAのインフォーマーだったパディ・ウォード Paddy Ward の甥だとされているが、これは事実ではない」とも述べているという。

で、この「パディ・ウォード」という名前、ごくごく最近見た気がすると思ったら、これ。つい最近訃報があった:
Death of 'informer'
Published Date: 23 February 2010
http://www.derryjournal.com/journal/Death-of-39informer39-.6096320.jp
A former IRA man who was branded an informer and a fantasist by Martin McGuinness has died, the 'Journal' has learned.

Paddy Ward, who was a member of both the IRA and INLA in Derry in the 1970s and 1980s, was 54 years-old. He was originally from the Creggan area of the city but is believed to have died in England.

マーティン・マクギネスが「でたらめ」と言っているのは、ウォードが「ブラディ・サンデー事件のときにPIRAからネイルボムを渡された」と証言した件について。(詳細は上記デリー・ジャーナルの記事に。)

ウォードがインフォーマーになったのは1981年。IRAを抜けてINLAに入ったときのことだ。下記URLにハンドラーの回想(2002年、タイムズ掲載)がある。
http://www.sharedtroubles.com/storydetail.php?story_id=1021

※どうやら「あの家はインフォーマーの血筋だ」的な話になってるっぽい……狭い社会というか何というか。

で、キアラン・ドハーティの「家族」というか一族についての言及があるのが、アイリッシュ・タイムズの下記記事。

Saturday, February 27, 2010
Priest says family of Derry victim 'in anguish'
Related
GEORGE JACKSON and GERRY MORIARTY
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0227/1224265277819.html

3ヵ月後にキアランと婚約者のマレードさんの結婚式をすることになっていたのに、葬儀の準備をすることになってしまった神父さんが、「昨日はずっと、ご家族を慰めていた」と語っている。

"... I spoke to the entire extended family which includes 52 grandchildren and 18 great grandchildren. They are a very close family and are in solidarity with one another at this difficult time. The sheer trauma of what has happened is just too much for many of them. There is such grief, tears, questions and anguish and it is a terribly onerous task to try to console them.

"My experience of Kieran was that he was a very mannerly fellow, courteous and cheerful," Fr Colhoun added. "He was a human being and everyone deserves their dignity and freedom. No one deserves to die in such circumstances."


雰囲気的に、まさにtight-knitな一族、という感じがする。現在最も年長の人から見て、「孫」の世代が52人(31歳のキアランはおそらくここに属していたのではないだろうか)、「曾孫」の世代が18人という大家族が、突然、あのような形で31歳という若さのメンバーを失い、神父さんも「どのような人であれ、人があのような形で死ぬなどということはあってはならない」ということを述べ……

いや、ちょっと待て。神父さんは別として、この「家族」は子供まで含めて総勢100人近くだろうか、とにかく何十人という単位の人々が家族として出したステートメントが「キアランを殺したのはMI5ではないか」というものなのか。(もちろん、直接書いたのは親・兄弟…・・・くらいに限られるだろうけれども。)

あんなにも明白な犯行声明を、Real IRAが出しているのに。

と思ったら、どっと疲れた..... orz ............

※Real IRAと「当局」の話って、以前ざーっと調べたことがあるんだけど、すっごい疲れるんですよ。オマー爆弾事件の公判がポシャったときにもその系統の話が出てて、「あの話は確かに疲れるが、なぁに、二度目だから大丈夫だろう、はっはっは」と余裕ぶっこいていたらやっぱり疲れてしまい、そして今回のこれ。自分ではいわゆる「陰謀論」に対する耐性は決して低くはないと思ってるんだけど…… (^^;)

なお、上記アイリッシュ・タイムズの記事には次のような記述もある。
In a statement, the Real IRA said Mr Doherty "was a senior member of our organisation who was executed because he became involved with a criminal gang with links to the drugs trade. He knew the risks involved in what he was doing."

Mr Doherty's home at Coshowen in Bishop Street was searched by the PSNI last month following the discovery of (EURO) 500,000 worth of cannabis plants at a house he had rented on behalf of an associate in Carrigans, Co Donegal. Mr Doherty had met the associate while both were prisoners in Portlaoise.

「ポートリーシュで知り合ったアソシエート」というのは、26日のエントリで見た記事に名前が出ていたSeamus McCreevy(今年2月はじめに「自殺」)のことだ。この記事によると、キアラン・ドハーティはシェイマス・マクリーヴィ(アイルランド共和国に住所がある)の代理でドニゴール州で家を借りていた。そして今年1月、その家で50万ユーロ相当のカナビスが発見された。

その後、マウリーヴィは自宅で「自殺」した(薬物の大量摂取だったらしい)。マクリーヴィはReal IRAのメンバーとして知られていて、死亡当時は、リトアニアでの武器入手計画に関してリトアニアが身柄引き渡し請求の動きを取っていた。そのことを報じているアイリッシュ・タイムズの記事は下記。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2010/0203/1224263657611.html



キアラン・ドハーティ殺害事件は、2010年2月9日にIICD (the Independent International Commission on Decommissioning) が活動期限を迎えて解散した後、初の「パラミリタリーの銃撃による殺人事件」である。IICDが解散する直前にINLAだとかUDAだとか、何十年も前に武装組織としての実態を失っていたと考えられていたOfficial IRAのような武装組織が続々と武器を放棄したが、これは北アイルランド和平プロセスにおける特別措置(武器をIICDに引き渡せば、武器の不法所持で起訴されない、という内容)の適用が、IICDの活動と同時に終了するからだった。今回キアラン・ドハーティの殺害を認めたReal IRAは、IICDの元での武器放棄には一切参加していない(武装解除していない)。ドハーティの殺害には、そういうふうにして所持されたままだった武器が使われたのだろう。



※この記事は

2010年02月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼