「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年02月25日

オマー爆弾事件再審に関する報道についてのメモ



Michael Gallagher, whose son Aiden (21) was killed in the bombing, said the families had been disappointed time and time again. He said yesterday was the first time in years that he had felt angry.

"The families are waiting for almost 12 years. This is a crime that the (British) prime minister, the Taoiseach and the president of the United States all took a personal interest in and everyone on the island of Ireland expected those responsible to be brought to justice.

"As far as the criminal process is concerned, this is the end of the line."

―― Omagh families give up hope of any convictions after acquittal
By Breda Heffernan and Sarah Stack
Thursday February 25 2010


1つ前のエントリの後半でささっとメモったのだが、1998年8月のオマー爆弾事件(死者29人、負傷者数百人、うち1人失明)に関連したとして、ただ一人有罪判決(爆弾計画の共謀で、であって、直接の実行犯としてではないが)を受けて投獄されていたコルム・マーフィーという人物が、再審で無罪となった。警察の調書がひどかったことが原因だ。

マーフィーの逮捕・起訴はアイルランド共和国で行なわれており、今回の再審もダブリンの法廷でのものなのだが、それにしてもUKのメディアでの扱いがあまりにも小さい。Google Newsで記事の存在が確認できる(→日本時間25日夜のキャプチャ)中に、タイムズ、ガーディアンなどの英国の一般の全国紙がない(FTはあるし、新聞ではないがBBCも記事はある)。アイリッシュ・タイムズやアイリッシュ・インディペンデントなどアイルランド共和国の新聞とベルファスト・テレグラフのほか、米国のNYTやWP, オーストラリアのSMHはあるのだが、「事件の現場」だった英国の新聞が報じていない。アイルランドのメディアが第一報を出してから20時間以上が経過しているが、ガーディアンなどで記事が出そうな感じはしない。

ガーディアンの「北アイルランド」のトップページ:


現在一番新しい記事になっている「デリーで男性が射殺される」は、「オマー爆弾事件再審で無罪」のあとのニュース。

ガーディアンで「デリーでの男性射殺」と、「ニューリーでのカーボム」の間に入っているのは、選挙関係の観測記事と、ブラディ・サンデー事件の真相究明委員会の報告書をめぐるエイモン・マッカンの論説@CiFで、これら2件は「事件などの報道」ではない。

オマー爆弾再審の記事が書かれていたら、これらと同じく、「デリーでの男性射殺」と、「ニューリーでのカーボム」の間に入っているはずだ。

同じように、この位置に入っていたかもしれないニュースとして(「デリーでの男性射殺」とほぼ同じタイミングだったかもしれないが)、2005年8月にベルファストで起きた非常に痛ましい殺人事件の判決のニュースがある。

The frenzied murder of a Catholic boy in Belfast - evil pair found guilty
By Deborah McAleese
Thursday, 25 February 2010
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/the-frenzied-murder-of-a-catholic-boy-in-belfast--evil-pair-found-guilty-14699313.html

(夏休みのある晩、15歳のトマス・デヴリンが、一緒に家でゲームをして遊んでいた友達と連れ立ってお菓子とジュースを買いに行った帰りに、年上のロイヤリストに野球のバットとナイフで襲われた。一緒にいた友人はカバンに助けられたが、デヴリン少年は致命傷を負った。公判で被告人2人は、友人のほうを負傷させたことは認めたが、デヴリン少年を刺したことについては、「事件現場はカトリックばっかりで、自分たちが足を踏み入れるような場所ではない」などという理由付けをして否認するという、どうにも意味がわからないことになっていたが、最終的には有罪で終身刑ということになった。)

それから、コルム・マーフィーが無罪となったのは、アイルランド共和国警察の調書がひどすぎて証拠になりゃしなかったことが原因だが、オマー爆弾事件については数年前、ベルファストでも「実行犯」として起訴された人物が無罪になっている。こちらも、北アイルランド警察(当時はRUC、「王立アルスター警察」という名称だった)が証拠物件(爆発物の残骸など)をちゃんと扱わなかったことが原因だった。

Real IRAの「俺たちはいいように利用されてはめられただけで、真の黒幕は英当局だ」という「陰謀論」が今より広範に「支持」されるということにならないことを祈るしかない。

※この記事は

2010年02月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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