「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年02月25日

ニューリーのカーボム&オマー爆弾事件再審で無罪

記事を読むなどしていると、書き留めておきたいことがあると思うのだけれど、キーボードに指を置いてそれを言語化しようとした瞬間にどうでもよくなってしまうという状態が続いているので、記事からの抜粋と記事のURLだけ。

まず、ニューリーのボムに関して、24日のベルファスト・テレグラフのトップページのキャプチャ。普通の報道記事(PSNIの警視総監、マット・バゴットのコメントが引用されているもの)と、マッキトリックの分析記事と、ブライアン・ロウアンの解説記事。



マッキトリックはいつも通りの「反IRA」基調で歴史的文脈を参照しながらの記事。だが、読む時間をかける価値があるのはロウアンの記事のほうだろう。

Brian Rowan: Bomb warnings are deadly game of cat-and-mouse
Wednesday, 24 February 2010
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/brian-rowan-bomb-warnings-are-deadly-game-of-catandmouse-14695413.html

Brian RowanはBBC Northern Irelandで軍事的情勢を扱う部門のエディターとしての経歴を有するフリーランス・ジャーナリストで、現在はベルファスト・テレグラフに記事を書くことが多い。今回の記事では、メディア関係者として接してきた「現場」の具体的なことを参照している。つまり、「爆弾を仕掛けた」という予告電話について。(IRAは、Provisionalsの時代から、「われわれは爆弾を仕掛けたら予告電話を入れて、一般の人々が退避できる猶予を与えている」として「われわれは『一般市民を殺す卑劣なテロリスト』ではなくフリーダムファイターだ」みたいな主張をしていて、IRAの支持者もそう言い張ってきたのだが、その「予告電話」がかなり無茶苦茶だったりするという事実は、都合よく忘れられていることが多い。1972年2月のブラッディ・フライデーとか、1983年12月のハロッズとか、ねぇ。分派であるReal IRAに至っては、1998年8月のオマーでのデタラメな予告電話がどういう結果を引き起こしたか、という。)

In Newry, like on previous occasions, the dissidents walked a thin line, giving just enough time for the area around the courthouse to be cleared, but not enough time for a security operation that might neutralise the bomb.

This is a dangerous and sometimes deadly game, a ruthless play with lives.

I have taken hundreds of statements from the IRA and loyalist organisations ― warnings, threats and claims of responsibility, communications nearly always accompanied by codewords to authenticate the message.

These are the hidden and now redundant words of an old war ― Titanic, Cromwell, Crucible, Braveheart, Defender, Boomerang, Arafat, Pale Horse, Genesis and Paschendale.

The dissidents will have their own codewords, their own ways of communicating warnings and other messages.

It was in car bomb attacks that they first emerged in 1998, targeting Moira, Portadown and Banbridge before the horror of Omagh.

http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/brian-rowan-bomb-warnings-are-deadly-game-of-catandmouse-14695413.html


こんなことが書かれている記事は全文読まなきゃいけません。

同じ記事から、もうひとつ重要な点。
This fight the dissidents are continuing might look to be with the security forces, but the real targets are the Sinn Fein leadership.

This is an assault on the peace strategy of Adams and McGuinness, a battle for authority inside the republican community.

The dissidents know their war will not force the “Brits” out and will not remove the border. So, the fight is about something else, about saying in this violence that Adams and McGuinness sold out, but we fight on.

http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/brian-rowan-bomb-warnings-are-deadly-game-of-catandmouse-14695413.html


で、ロウアンのこの記事でも言及されていたオマー爆弾事件だけど、29人も殺したこのテロに関して、ただひとり有罪判決を受けていた人物が、再審で無罪(証拠不十分)になった。彼は計画立案に関わったとして前の裁判で有罪判決を受け、投獄されていた。

Google Newsを使った記事リンク集(文字が小さすぎて読めないかもしれないけど、適当にクリックしてみてください)。



2008年2月の「北アイルランド映画祭」で上映された映画(ドキュドラマ)、『オマー』で「主人公」となっていたマイケル・ギャラハーさんのコメントが、アイリッシュ・タイムズの記事に出ている。(マイケルさんは自動車整備工場のおやじさんだが、オマー爆弾で息子を失い、気づいたら被害者遺族の団体の中心人物となって政治家や警察の偉い人らと会って真相解明を求めるようになっていた――ということが映画『オマー』で語られていた。)

Last Updated: Wednesday, February 24, 2010, 18:53
Ruling 'a further blow' to families
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2010/0224/breaking56.html
Omagh campaigner Michael Gallagher, whose 21-year-old son Aiden was murdered in the bombing, said today's Special Criminal Court ruling came as a further blow to bereaved families.

...

Mr Gallagher said: "It has been the history of this process that the families have been disappointed time and time again, but when it happens it is still hard. But I think this is the first time in years I feel angry."

He said of the Omagh attack: "These people seem to be so elusive to authorities on both sides of the Border.

"This is a crime that the Taoiseach, the [British] prime minister and the president of the United States took an interest in.

"If this can't be solved what hope is there for other crimes?" Mr Gallagher said that, despite the authorities pledging no stone would be left unturned in the search for the killers, the families believed that the only satisfaction they had received was through their own civil case.

"We have had empty promises both publicly and privately from government ministers," he said. "I feel that, even more than ever, there is a justification for a full cross-border public inquiry so the families can get closure. That is the least the governments can do for us."

...

A spokeswoman for Garda Commissioner Fachtna Murphy declined to comment on the retrial collapse but added: "The resolve to tackle dissident republican activity remains as high as ever."

"no stone would be left unturned in the search for the killers" ってのは、オマー爆弾事件翌日に現地入りしたトニー・ブレア(とバーティ・アハーン)の言葉。事件から10年以上が経過して、結局誰も有罪にできず、それ以前に実行犯の特定すらできていないという現実を知っていると、この言葉は空虚すぎてどう反応していいのか困る。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/1706157.stm



ニューリーのカーボムの現場写真。朝になって、明るくなったあとのもの。
http://www.newsletter.co.uk/EditorialGallery.aspx?ArticleID=6095556&SectionID=3425




※この記事は

2010年02月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼