「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2010年02月24日

In your head, in your head, they're still fighting ――デリーのボムスケア、ニューリーのカーボム

今月9日、北アイルランド紛争の当事者となった各武装組織の武装解除を監督する機関がその活動期限を満了した。これに伴い、各武装組織に対する武装解除特別措置(その期間内に武器を差し出せば武器の不法所持には問われない。期限を過ぎたら一般の刑法犯と同様、不法所持で起訴対象となる)が終了する前の「駆け込み」的なことだろうが、既に昨年までに武装解除の確認がなされているProvisional IRA, UVFなどに加え、UDA, INLA, Official IRA, UDA East Antrim Brigadeと続々と武装解除を行なって、「北アイルランド紛争」は完全に「過去」になり、北アイルランドからは武器は消えた……などというふうに進むのはクリシェまたは記号としての「ハリウッド映画」。現実はそうではない。

実際には、2009年3月にアントリムで英軍基地を襲い英兵2人を射殺したReal IRAや、同年同月にクレイガヴォンで騒動の現場に駆けつけた警官を射殺したContinuity IRAなど、警察や政府機関、国会議員やメディアから "dissident Republicans"(非主流派リパブリカン)と呼ばれる組織があり、それらがThe CranberriesのZombieの状態で、「闘争」を続けていることは、このブログで何度も書いてきた通り。
It's the same old theme since 1916,
In your head, in your head, they're still fighting,
With their tanks and their bombs,
And their bombs and their guns.
In your head, in your head, they are dying...


(たとえ名目だけでも)「政治的背景を有する武装組織」としてのINLAが消え、UDAが消えた今月も、彼ら「非主流派リパブリカン」の活動は続いていた。RIRAやCIRAといった武装組織の活動(ボム、パニッシュメント・シューティングなど。あとドニゴールでちょっと規模の大きい摘発があったような気がする←確認サボりますが)だけではなく、それぞれの「政治部門」である32CSMやRSFの活動も伝えられていて、特に32CSMについては、デリーで「英軍や警察と取引のある商店の前でピケを張る」と宣言したとか(それはつまり、英国の治安当局と商売上の関係を持てば、RIRAにとっての「合法的ターゲット」と見なされることになりますよ、という脅しである)いう報道がある(詳しく知りたい人は、デリー・ジャーナルの2月の記事を細かくチェックするといいことあると思う)。

そういう話があるときに、デリーの裁判所の近くにあるカトリックの教会の脇に「不審な車」が見つかって(13日土曜日)、通報を受けた警察の判断で英軍の爆発物処理班が出動、処理作業で飛んだ金属片か何かのせいで教会の窓が割れるなど建物に被害を出したが、結局のところ、その「不審な車」はただの放置車両だった(爆発物などはなかった)という、あまりに典型的な「ボム・スケア」が発生していて、クランベリーズが "in your head, they're still fighting" と歌うとき、"you" とは誰のことだろうか、とかいうふうにもなる。

そしてさらには、19日金曜日、アーマー州南部、ボーダーのエリアにあるKeadyという、人口3000人ほどの小さな町で、警察署前に不審な車が放置されているのが見つかって、警察が住民を避難させ、幹線道路を封鎖し、軍の爆発物処理班が出動したところ、最終的に事態が終息するまでに3日も(22日月曜日まで)かかり、その間住民には「何をしているのか」、「どのくらいかかるのか」などについてほとんど何も知らされないということとなっていた(「北アイルランド紛争」の時代にすごいことになっていたサウスアーマーのボーダーエリアにあるこの町は、2001年センサスによると「人口の94.2パーセントがカトリック」である。つまり、住民に「細かい話」がされなかったのは、単純な「警察の不手際」以外に理由があると考えた方が合理的だ)。さらにいうと、問題の車から見つかった爆発物2点 (two mortar bombs) について「これまでに見たことのないもの」とのコメントも出ている。

以上、長いが前置きなんだ。

2月22日夜10時半ごろ(現地時間)、Keadyから20マイルほど離れた、同じくボーダーエリアにあるNewryというわりと大きな街(人口27,000人くらい)の裁判所前で、爆発物が積まれた車が爆発した。人的被害なし。物的被害としては、裁判所の門と守衛詰所が壊れているほか、明るくなってからの映像にはっきりうつっているが、建物の窓が割れるなどしている。(なお、裁判所といってもここはボーダーエリアなので、がっちがちに要塞化されている。ただの脅しの類ではなく、そういう要塞化した施設にダメージを与えるつもりで作られたカーボムならすごい強力。)

事件の第一報から数時間後、23日午後3時ごろ(日本時間:英国時間では23日午前6時ごろ)のBBC News UKのトップページ:


この段階では、報道の記事の内容も曖昧だった。爆発があった時刻でさえかみ合っていなくて(「午後10時ごろ」という記事と、「午後10時半ごろ」という記事があった。「30分前に予告電話あり」という報道があったのだが、爆弾犯の与えた猶予が30分のときに爆発時刻が「10時」か「10時半」かで報道がばらばらになるなんて、意味がわからんという……)、規模もわからなかった(炎上する車の写真は派手なのが出ていたが、その写真では何もわからない。「炎が上がればOK」的な見掛け倒しのボムかもしれないし、PIRAが作ってたようなガチのボムで、爆風などが落ち着いた後の様子かもしれない)。いろいろなことがわかってきたのは、時間が経過して、現地が朝になったころに出てきた記事によってである。

'Sheer miracle' that Newry court bomb did not kill
Page last updated at 11:37 GMT, Tuesday, 23 February 2010
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8529884.stm

このBBC記事には、当日のニュースレポートと思しき24秒の映像がエンベッドされている。警察署長の電話での説明によると、「あと30分で爆発する」という予告電話があったのは午後10:20で、実際に爆発があったのは10:37――タイマーが不正確だったのか、予告電話が遅れたのか(←これはPIRAが民間人を巻き込んだときの言い訳でありがちなもの。「爆弾を仕掛けて予告電話をしようと思ったら、使える公衆電話がなかった」とか)、ほかの理由か、いずれにせよ、かなりとんでもない状態。夜遅い時間帯だったから現場の裁判所のあたりにはあまり人はいなかったのかもしれないけれども、それでも爆発があったときはまだ一帯をクリアしている最中だったというし。もしもこれが、昼間で人がいっぱいいる時間帯だったら……交通量もあって、駐車されてる車も何台もあったら……1998年8月15日。もーやだ。

記事から:
"We could have been looking today at multiple deaths," Police Chief Superintendent Alisdair Robinson said.

People were still being moved to safety at the time of the explosion.

"It was very significant," he said.

"It was certainly big enough to have caused multiple casualties to anyone passing."

He said the blast happened just 17 minutes after a telephone warning which said that it would go off in half an hour.

Chief Superintendent Robinson said: "We didn't get any calls warning of the bomb until 10.20pm which was from a third party.

"That stated that we had around 30 minutes to clear the area. The explosion went off at 10.37pm which was 17 minutes later.

"At the time we were still clearing the area. But for the fact there was divine intervention, there could have been multiple casualties."

...

The attack is thought to be the first time a large car bomb has exploded in Northern Ireland since the bombing of Stewartstown police station in 2000.

10年ぶりの規模の爆発したカーボム(完全に爆発しなかったカーボムではこれ以上の規模のものもあったかもしれない)……2000年のこの事件について検索してみると、2002年8月にデリーでRIRAがTAの基地を攻撃し、基地で仕事をしていた民間企業の従業員が死亡した事件の翌日にBBCがまとめた年表が出てきた。

Timeline: Dissident republican attacks
Friday, 2 August, 2002, 11:29 GMT 12:29 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/1056797.stm

未遂に終わったものも含めた年表だから、すごい件数。私はイングランドでのRIRAの攻撃事例は覚えているけれども、2001年8月のイーリング爆弾事件(イングランドで一般市民に負傷者を出したアイリッシュ・リパブリカンの攻撃の最後の事例)の後も、北アイルランドでこんなに多くの事件が起きていたとは、知らなかった。2001年9月11日の米国での事件で「テロ」が民間人を殺すということをやっと現実のものとして知ったアイリッシュ・アメリカンの間では「IRA」への支援が急速に下火になって、云々、ということは何度も書かれているし語られているけれども、「支援が下火に」なってもしばらくはこうだった……って、それは今は本題外。本題はこれ。
9 July 2000: Stewartstown

A car bomb explodes outside the Royal Ulster Constabulary station in Stewartstown, Co Tyrone, the day before the most contentious Protestant Orange Order parade of the marching season at Drumcree.

Full story
http://news.bbc.co.uk/hi/english/uk/northern_ireland/newsid_825000/825178.stm

……今は深く考えたくない名詞がいくつも。(^^;)

オレンジ・オーダーのパレードについては、今まさに、DUPとシン・フェインの「ワーキンググループ」(笑)が……。ほれ。

DUP/Sinn Fein parades group to deliver report
Page last updated at 06:22 GMT, Tuesday, 23 February 2010
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8529584.stm

っていうかつい先日、このままではストーモントが崩壊するとか、10日間連続でのエクストリーム交渉(別の立場からは「ゴド待ち」)とかいうのでいろいろあったののコアがこれで……。

閑話休題。

ニューリーのボムについて、すごい初期報道のニュース映像:
http://www.youtube.com/watch?v=oZNlZzgn3Ds

マーク・シンプソンがロンドンのスタジオからの質問に答えている。「裁判所の前にカーボムというのはProvisional IRAの戦術にあったものだが、非主流派がそれとまったく同じことをしている」など。ほか、現地からのレポートは、後に否定された話が多い(上で見たBBC記事では既にこの映像での報告は否定されている)。事前予告があったかどうかについてなど、現場の混乱が生々しい。

その少し後と思われるニュース映像。状況が随分はっきりしてきている:
http://www.youtube.com/watch?v=XDVHlerzZeM

予告電話は地元の企業と、現場に最も近い病院に寄せられた。そこから警察に連絡が行ったのだろう(警察の人も「直接ではなく第三者から爆弾の警告を聞いた」と説明していた)。実際には爆発まで17分しかなく、警察が一帯をクリアしているときに車が爆発したということは、そうやって迂回して警告を入れたことによる時間のロスによるものかもしれないが、いずれにせよ、あの連中は人を殺すつもりだ。それも、昨年3月のように「英軍基地を襲撃する」とか「警官を狙撃する」といった形ではなく、この数ヶ月の間に立て続けにあったように「警官の車に爆発物を仕掛ける」といった形でもなく、「誰であろうとそこにいた者を殺す」といった形で。

現場映像。何か破裂する音が。
http://www.youtube.com/watch?v=B2kTMDie5XM

なお、カーボムの大きさは最大で250lbsとのことで、単純に見ればこれはオマー爆弾(500lbs)の半分の大きさだ。

で、上記のBBCのKwoutキャプチャからさらに数時間経過したあとのメディアの様子:






※この記事は

2010年02月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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